銀父と楊、そして寧
そうして疲れ果てて家に帰った
「おかえり、寧。今日は薬味粥だよ」
「あ、え? 何?」
寧はきょとんとした。目の前のすべてが想像の範疇をこえていた。
「何が起こったの?」
「部屋は、片づけておいた。汚かったからね」
そういえば、布団も瓶もどこにもない。捨ててきてくれたんだろうか?
楊はぐるっと部屋を見渡した。「
「ぎ、銀は?」寧は思わず尋ねた。「銀はどうしたの」
「銀は売って金に換えてきた。そこに置いてあるよ」
楊は机の上を指さした。寧は金に飛びついて、一枚二枚と数えた。あさましい行動をしている自覚はあった。だが相手はあの楊だ。どんなに稼いでも一日で湯水のように溶かしてしまう楊である。気を抜けないのだ。
「いっぱいある……
「
「考えなくていい!」
寧は大声をあげて、紙幣をきれいにタンとそろえ、その中から二枚だけを抜き取ると立ち上がった。
「
「??」
「私、ご飯を食べたら布団を二組買いに行くわ」
「一人じゃ大変だろう。ぼくも手伝おうか」
「……なんで?」
「え?」彼は首を傾げた。寧は小さな声で続けた。
「なんで、そんなに優しくするの?何が目的なの?どうせまたもとに戻るんでしょう?」
「家族だもの。寧はぼくの娘だし……ついでに孫なんだろう?だから当然」
「嘘。絶対嘘。安心したすきにまた」
「嘘じゃない。……寧、ぼくはどうしたらいい? どうしたら信じてもらえる?」
寧は楊を見た。楊、ではない。銀の父。
「家を出ていっても行くところは無いし。何より、寧以外に知っている人もいないから。それでも出ていけというのなら、ぼくは出ていく。……それで寧が、ぼくのことを信じてくれるんなら、そうするよ」
銀父は立ち上がった。かまどの火を消して、そのまま土間へと降りていく。
――人間の本性は悪。悪だから、強い心で律しなければ善にはならない。
だけど。だけど、だけど! 今までされたことが脳裏をよぎる。楊はひどい男でひどい父でひどい奴だったけれど。
「待って」
寧は涙ぐんだ。思ってもない、優しいことばかり起こったから。
「あなた、あのくそったれの楊じゃないんだ。姿かたちはおんなじだけど、別なんだ。湖の女神さまが、下さった、新しい……父さんなんだ……」
寧は泣きながら膝をついて謝った。蹴ったこと。死ねといったこと。罵ったこと。
「ごめんなさい、あなたは全然悪くなかった」
銀父はことんと首を傾げた。そのしぐさは幼児のそれに似ていた。
「あ、謝られるようなことをされたっけ?」
「たくさんひどいことをしたし、言ったわ。反省しています」
「……寧。いいよ。前のぼくが、あんまりひどかったんだろう。だから、おあいこだ」
「ごめんなさい。
「無神経だった。すまない」
銀父はその代わり、大きな手を差し出した。
「じゃあ、これを仲直りの記念にしよう」
寧は荒れた手を差し出した。銀父はその傷だらけの手を見て、「薬が必要だね」と言った。寧は頷いた。
「ついでに薬も買いに行きましょうか」
その日の晩のことを寧は鮮明に覚えている。銀父が買ったばかりの布団を背負って、寧が薬を買ってきた。並んで歩くのは生まれて初めてだったかもしれない。
そして、湯あみの後、手に薬を塗りこんだ。しみるほど効くと思いながら、塗った。
新しい綺麗な布団で眠った。銀父は今まで楊の使っていた奥の部屋(ここもきれいに掃除されていた!)を寧にゆずり、自分は居間に布団を敷いた。そして
「これまでのぼくのふるまいは忘れなくっていい」
「え?どうして?」
「それはぼくの罪だから」
「……あれは楊の罪だわ。銀父は何もしてない。わたしに優しいし、金も盗らないし、殴らないし……」
「ぼくの罪だよ」
銀父は繰り返した。「それはぼくだ」
寧は眠りに落ちるまで、楊と銀父の違いについて考えていた。それはぼくだと銀父は言ったが、寧にはまったくそうは思えなかった。楊のようにしのんだ足音が聞こえてくることもなかったし、布団を暴かれることもなかったし、何より……。
「慣れないことやって疲れたんだろうなぁ」
聞こえてくる襖越しの大いびき。寧は自分でもそうと知らぬまま笑って、布団を深くかぶって眠りに落ちた。
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