楊という人間
翌朝目覚めた寧はまず空き瓶を捨てにかかった。
「いままでに呑んだ量が一目でわかって気分がいい」とか、わけのわからないことを言っていた楊の赤ら顔を思い出して、嫌になる。記憶の中でさえ楊は忌々しかった。
空き瓶を
「なんでいるの?」
地面に寝そべっていた楊は、瓶で殴打された頭をしきりにさすりながら、寧を見上げた。
「よく考えたけど、ぼくには」
「ぼくとか言うな気持ち悪い」
「……私には、寧しかいないことに気づいたんだ」
なお気持ち悪いことを言い出す。寧は一歩引いた。
「
「記憶がないんだよ」
憑き物を落としてきたかのように、無垢に楊が言うから、更に寧は一歩引いた。
「そう言えば、私が許すとでも思ったの」
「聞いてくれ、本当に記憶がないんだ。ぼくが……私がどんな人間だったか、あまり覚えてない。君の父親だってことしか覚えていないんだよ!」
楊は引いて引いて引いた寧の足元に縋りついた。寧は轢きつぶされたカエルみたいな声を上げて、楊の頭を一発蹴ってしまった。
「来ないで気色悪い!」
「何がきみをそんなに怒らせたんだ、それだけ教えて、そうしたら私は
足首に頭を擦り付ける初老の男を、寧は力いっぱい蹴り上げたくなったが――記憶がないという言葉を思い出して、何とかこらえる。
「……あんたの最初の妻のことは知らない。でも
寧ははっきり言った。はっきり教えておくべきだと思ったからだ。
「姐さんはあたしの実の姉で、あたしの母さんだ。数年前に死んだ。……そしてあたしは、あんたの娘だ」
「ん?どういうこと?」
「どういうこともなにも、」笑い出しそうになるのをこらえる。可笑しいんじゃない。ばかばかしいのだ。
「そういうことよ。あたし、あんたの孫で娘なの」
「……」
楊はぽかんと口をあけた。
「しかもあんた、よりにもよって、ひ孫までつくろうとしたわよね?」
「…………私がそんなことを?」
「そうよ。ひ孫はできなかったけど。本当に残念ながら」
楊は何も言わなくなった。口を「あ」の字に固めたまま、何も言わなくなってしまった。身動き一つ取らない。
「その上あんたは借金三昧、博打打ち放題、愛人作り放題、家は豚小屋、あたしは行き遅れの雇われ洗濯婦!どう思う?殺されない方がおかしいわよね?」
楊はがくりと膝をついた。銀の彫像に戻ってしまったみたいだった。
寧はもう動かない彼に構うのをやめて、食べかすだらけの部屋を箒で掃き、汚らしく敷かれたままの布団をたたんで縛って、瓶の隣に放り出した。未だ払い終えることのない借金の証文をていねいにしまい込んで、鏡に飛び散らかった白いものを舌打ちしながら拭き上げた。しかし、綺麗にならない。
「……くそったれ」
小さくつぶやいて、ちらりと銀の父を見やる。まだ土間に膝をついたままだ。
「ほんとうにくそったれ」
捨て台詞とともに、寧は外へ出た。
勤め先に奉公に出る時間だ。
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