えみ

 テレビでは、ずっと、わたしが、わたし自身が、場違いに……明るい声で、しゃべり続けている。


 恭くんは、料理を終える。

 美味しそうな匂い。

 できあがった野菜炒めをお皿に盛って、ラップをかけて、冷蔵庫に入れる。洗い物も手早く済ませて。

 エプロンを外して、部屋に来た。


 恭くんは、とてつもなく冷たい視線で、わたしを見下ろす。

 ぞっとした。

 恭くん、こんな目――できたっけ。


「わからないの? どうすればいいか」

「う、うん……」

「じゃあ、教えてあげる。まず、犬は服を着ないよね」

「……え?」

「動物なんだから」

「……で、でも……」


 ……そんな。服を着ないなんて。聞いてない。知らない。

 ペットプレイって、そんなことするの?


「……あ、あのね。恭くん、わたしの身体がほしいなら、あげる。それでゆるしてくれるなら、いまから――」

「は? そんなことひとつも言ってない。手を出す気なんてない。俺は別に咲花さんが好きでもなんでもない。そういうことは好きな女性とするって決めてるから」

「……ご、ごめんなさい」

「咲花さんたちだって俺のこと好きでもなんでもないけど服なんて絶対に着せてくれなかったでしょ」


 わたしは――やっと気づいた。

 当たり前だ。そんなの。気づいてしまえば。……あっけないほど。


 恭くんの心は――壊れている。


「そっか。バラされてもいいんだね」

「……ま、まって。いま、するから。まって……」


 わたしはゆっくり、ゆっくりと、自分の身体から、服を剥ぎ取っていく。

 どこかで恭くんが、そこまででいいよ、って言ってくれるのを期待したのだけれど――ついに、そのタイミングは、……最後まで、こなかった。


 恭くんは服を着ているのに、わたしは……。

 ほとんど勝手に、手が、大事なところを隠そうとする。


「隠さないで」

「……で、でも」

「隠すなって言ってるんだけど」


 わたしは、泣きそうになりながら――両手を、そっと離した。


「ふうん。さすがモデルだね。よく手入れしてる」

「……恭くん、恥ずかしいよ……」

「ああ、やっとわかった? 服を剥がれると恥ずかしいってこと。咲花さんたちは知らないんだと思ってた。ひとつ賢くなれてよかったね」


 はずかしくて。完全に、自業自得なのに。……くやしくて。

 涙が、滲んでしまった。


「えみ」


 えみ?


「……は、はい」

「言葉をしゃべらない」

「……え」

「犬なんだから」


 言葉を、しゃべらないの……?

 だったら、どうやってコミュニケーションするの?


 困惑して立ち尽くしていると、恭くんは、ゴミを見るような視線をわたしに向けてきた。


「……いちから教えてあげないと駄目みたいだね。えみ、おすわり」

「え、えっと、あの」

「えみ!」


 鋭い声に、ひっと声が漏れた。


 恭くんに……このひとに、逆らうことはできない。

 だって……やっと……わたし、新しい人生を始められたのに。


 嫌悪と軽蔑の視線しか残らなかった、地元を出て。

 お兄ちゃんたちからも離れて。


 いろんなプログラムや治療を、真面目に受けて。

 ネットの中傷や、いたずら電話に、傷つけられ続けて……。


 それでも。

 こんなわたしを支えてくれる大人のひとたちと、約束した。

 ……これからは、悪いことをしないで生きる、って。


 わたしは、十代の半ばに、……最悪なことをしてしまったけれど。

 最低の子どもだったけれど。

 きっと、良い大人になる、って。


 ひとを幸せにできるような。そんな人間になるんだ、って――。


 ……そう、約束して。

 親戚の協力を得て、名字を変えて。

 不幸中の幸いで、わたしの顔はネットに出回っていなかったから……細心の注意を払いながら、モデル活動と動画配信活動を始めて。

 遅れに遅れた勉強を取り戻して、高卒認定試験に合格して、憧れだった難関大学に入学して。


 やっと。やっと。桜とともに。……わたしの人生がほんとうの意味で始まる、って思っていた。

 そんな、春だったの。ほんとうに。……ほんとうに。


 事務所にも、大学にも、わたしの過去は言っていない。

 もし知られたら――モデルも、動画配信も、大学生も、……続けられないだろう。


 わたしが。あの。男子中学生監禁事件の。加害者だなんて。知られたら。

 どこでだって。生きていけない。


 恭くんには――絶対に、黙っていてもらわなくちゃいけない。


 わたしは、飼ったこともない犬の動作を、イメージして。

 ゆっくり、ゆっくり、……床に両膝をついて。

 両手の手のひらも、床につけて……。


 犬の、おすわりのポーズを、とった。


「……うっ」


 いやだ。はずかしい。やめたい。……やめてほしいよ。

 涙が、あふれるけど――恭くんは、やめていいよとは言ってくれない。


 わたしは彼を見上げている。

 泣いて、見上げたまま、動けないでいる。

 恭くんの目線が、高い。

 すごく、ものすごく、……高い。


「……まあ。とりあえず。よし」


 それは、やめていいよという意味では――きっと、ないのだろう。


 テレビで流れる、わたしの動画が。

 リピート再生されている。わたしが。ゆめかわの服を着た、笑顔のわたしが。……明るい声で、しゃべっている。


『わたしは昔、取り返しのつかないことをしてしまったの。だから、そのぶん、みんなを幸せにしたい! そう思って、モデルと動画配信を始めたの!』


「えみ。みんなを幸せにする前に、俺を幸せにしてくれないかな」


 わたしは、ぐじゅぐじゅ泣きながら、恭くんを見上げている。

 だって、言葉をしゃべっちゃ、いけないらしいから。


「返事は?」

「……わ、わん」

「よし」


 恭くんの表情が、初めて少しだけ、ほころんだ。

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