第8話 故郷を追われた一族
「よう、シャルミラ。それからリイ。お前ら、今回は楽しそうに遊んでたじゃねえか」
となりにいたのは、ティルダードだった。前と変わらない白い服装で、足を組んでにやにやと笑っている。何度見ても奇抜な姿だが、お祭りの会場ではそれほど悪目立ちはしていない。
「シャルミラお前、俺の助言のおかげで、少しは自分の行動を反省できるようになったらしいなあ? 感謝してくれてもいいんだぜ」
シャルミラはほほえんだ。
「おや……つけ上がっているところ申し訳ないが、私は仕事中に迷い子の心身を守るのが義務でね。君が何か言おうと言うまいと、私の仕事に関係はないんだ」
「またそんなうそばっか言いやがってよぉ。後輩のくせに素直じゃねえなあ」
「君のようななまけ者の前任者など、尊敬する気はみじんもないよ。ネフ様にクビにされて堕天して、ひまなのか何なのか知らないが、二度と来るなと伝えたはずだ」
「まあそう冷たくすんなって。俺には俺のやることがあんだよ。誰に命令されたわけでもねえ、俺自身がやりてえと思ってることがな」
シャルミラはほほえみはそのままに立ち上がった。
「おいで、リイ。彼の話につきあう義理はない」
「あ、うん」
「まあ待て。おもしれえもんを見せてやるからよ」
「……」
「オイ、待てっつってんだろうが。少しは関心を持て」
「シャルミラ、次はどこへ行くの」
「そうだねえ……」
「だーっ! もう! 面倒くせえなあ! ほらよ!」
リイとシャルミラの目の前に、ティルダードが時空移動して立ちふさがった。
「君、じゃまだよ」
「そうあせるな。どっか行くんなら、これを見てからにしな!」
ティルダードは手に持った小さなナイフで、僕たちの前に時空移動の穴を出現させた。
向こうに見える景色は、時空の狭間で見たのとほとんど同じような、満天の夜空だった。シャルミラのところとちがうのは、星々のような光たちが、さまざまな色の光を灯している点だ。
「ティルダード。これは何かな」
シャルミラは淡々と問う。
「君はネフ様に追放されて、狭い辺境の時空に住んでいたと思うが……ここに充満している異質な感覚は何だ。それに、心を落ち着かせる作用が異様に強まっている」
「やっと興味を持ったな」
ティルダードはにやりと笑って、両腕を広げた。
「これは俺の作った『楽園』だよ。時空の迷い子を保護するために、俺は俺のすみかを改造した! 空間をいじったから、一人ずつ個別の場所も用意できるし、他の魂とおしゃべりできる場所もある。必要とあらば俺を呼ぶこともできる。さらに、幸せの成分を何倍にも強めてみた。これで迷い子たちは自由に幸せに──」
「ストップ」
シャルミラは急に言った。
「君は堕天する時に、時空移動以外の全ての力を、ネフ様に奪われたはずだ。なぜそんな勝手なことができる」
ティルダードは大げさに嘆くような動作をしてみせた。
「やれやれ、これだから、与えられてばかりの奴はだめなんだ。思考をしなくなる。俺はちがうぞ。力を奪われてから、独自にいろいろ研究してきたんだ。そしたら、ネフに頼らずとも新しい技が身についた。まず、勘がするどくなって、天使たちの時空移動の痕跡を見つけられるようになった。それと、時空移動の術を応用して、時空をねじまげて個室なんていくらでも作れるようになった。さらに、幸福成分をこつこつ分析したら、扱い方も分かってきたぜ」
「……」
「これでかわいそうな魂たちは救われる。ここにいれば、何もつらいことは起こらない。傷つくことなんて何一つない。幸せな思いに満たされながら暮らせる」
「……それで魂たちは、ずっとその楽園とやらに留めおかれるのか」
「いや、残念ながら、終わりはある。然るべき時が来たら消滅するはずだ。……だがそりゃ、つらい現実に戻って危機にさらされ続けて早く死ぬか、心を幸せなことだけで満たしてそこそこ生きてから死ぬかの違いだぜ。どっちが賢い選択か、分かるよなあ、リイ?」
「ぴゃっ」
いきなり話を振られて僕は小さく飛び上がった。
「ぼ、僕は、その……」
僕が言葉を探している間、シャルミラもティルダードも黙って待ってくれた。
「……その、楽園には……僕の大切な人も連れていける?」
「あー、そりゃできないな、残念ながら」
ティルダードは首を振った。金の髪がさらさらと揺れる。
「普通の人間は魂が体にちゃんとくっついてる。お前の魂は、やりようによっちゃあ引き抜けるが、時空の迷い子になったことのない人間の魂は、時空の狭間に来られない」
「何だ……。じゃあ意味ないよ。行かない」
僕が言うと、ティルダードは僕の顔をのぞきこんだ。
「切り捨てるのはまだ早いぜ? 必要ならいつでも俺のところに来な。たとえば──故郷に戻ったら、お前の大切な人は死んでいた、……なんてことになっていたら、な」
僕はひゅっと息をのんだ。
「ティルダード」
シャルミラは今度はかすかに苛立ちをふくんだ声で呼ばわった。
「ふざけるのもたいがいにするんだ。ただちに去りなさい。でないと私が実力行使に出ることになるよ」
「へえー? ネフの言いなりの天使様が、この俺にどう太刀打ちできるってんだ?」
「どういう意味かな」
「言ったろ? 俺は独自にいろいろ研究してきたってな」
「……」
シャルミラは黙って、いつものナイフを生成した。
「オイオイ、逃げても無駄だと分からなかったのか? 俺はお前の痕跡を追えるんだぜ」
「そうだな。せいぜいがんばるといい」
シャルミラは素早く円を出現させ、僕を強く引っ張ってくぐりぬけた。向こう側に足がついたと思ったら、シャルミラは即座にまたナイフを振るった。こうして、いつのどこだか分からない時空を点々とすること二十回ほど、ようやくシャルミラはナイフを消滅させた。ふう、とシャルミラは少しつかれたようすだった。
「これで逃げ切れるかは分からないが、ティルダードも少しは手間取るだろう。今のうちにさっさと旅を続けようか」
「分かった。ここはどこ?」
「あまり考える余裕はなかったから、適当なところに来てしまった。西部開拓時代のアメリカだ。……意味は分かるかい?」
「……アメリカは分かる。どこかの大きい国。セイブカイタクは、分かんない」
「ふむ。やはり君は、比較的新しい時代の住人らしいな。……アメリカにヨーロッパ人が侵入したてのころ、彼らはアメリカの東の方に住んでいた。アメリカが発展していくにつれ、彼らは西へ西へと移動して、領土を拡大していった。これを西部開拓と呼ぶ」
「ふうん……?」
「だがここにも例のごとく先住民たちがいてね。白人たちの西部開拓は、先住民たちから土地を奪うことでもあった。だから、そうだな、今回はこうしよう」
シャルミラは指をぱちんと鳴らした。
シャルミラは黒いワンピースに、大きく草花の刺繍がしてあるものを着て、頭に小さな羽根かざりをつけている。僕は、水色のワンピースのようなものに、赤や黄色の刺繍がされたものを着ていた。
「アメリカの先住民の顔立ちは、東アジア人に近いことが多いんだ。ここでは白人ではなく、先住民のふりをしよう」
「分かった」
「それとすまないが今回は、食事にありつけそうにない。次の時空に行くまでがまんしてくれ」
「あ、そうなんだ……分かった」
僕たちは歩き出した。
そこは広い川のほとりで、背の高い草がぼうぼうと生えているので、歩くのは一苦労だった。天気は快晴。暑いくらいだ。
僕は息を切らしながら、少し気になっていたことを聞いた。
「あの……シャルミラは、ティルダードから仕事を引きついだってこと?」
「ああ、そうだよ」
「ティルダードが仕事をしていた時、シャルミラは何してたの?」
「寝ていた」
「……ん?」
「私はネフ様に、補欠として生み出された。どこかで不具合が生じた時のために待機するのが役目だった。だからティルダードがクビになるまでは、指示通りにずっと眠っていた」
「ずっと……」
「天使はいつも眠っている。時空の迷い子が現れた時だけ目覚めて、仕事をする。仕事が終われば、次が来るまでまた眠る。眠っている間に、自分の担当区域に関する情報が頭に入ってくるから、ただ休むのとは少しちがうがね」
「へえ……」
草地が終わり、僕たちはかわいた砂地に出た。
「ああ、見つけた」
シャルミラは前方を指さした。
「先住民が移動している」
確かに、多くの人たちが列をなして歩いている。その周囲を、馬に乗った人が何人か、見張っている。
「ナヴァホ族という一族が、故郷を追い出されて、強制収容所まで連行されているところだ。彼らは今日までに二十日間くらい歩き通しだよ」
「ひ、ひどい」
「ちょっと話しかけてみよう」
「え、大丈夫? 白人に怒られない?」
「平気さ。多分ね」
実際、早足で行列に追いついた僕らは、怒られなかった。白人たちはあまり僕たちに興味がなさそうだった。
シャルミラは列の後ろの方にいたナヴァホ族の女性に話しかけた。
その女性は銀色と水色のきれいな首かざりをつけていた。服は、緑やピンクなど色とりどりの模様のついたワンピースに、布製のベルト、それと長靴。
「こんにちは。君が首長かな」
「ん? 一応そうだが、あんたら誰だ」
「私たちはアニシナアベ族の者だ。君たちナヴァホ族が危機にあると聞いて、偵察に来たんだよ」
そういう設定なんだ、と僕は呆れ半分に思った。
「いや、うそ言うんじゃないよ」
一瞬でばれた。
「あんたら、ぜんぜん違う土地に住んでるじゃないか。こんな遠くまで偵察にこられるわけがないだろう。だいたい、どうやって砂漠と山を越えた?」
だがシャルミラも堂々たるもので、少しもうろたえなかった。
「それが、私たちも白人に追われて、一部はこうして西へと逃げているんだ。あたしたちは、山の付近に逃げ込んだ」
「そうなのか!? それは……大変だな」
「君たちほどじゃない。強制収容とはひどい話だ。私たちは会議をして、こうして様子を探りに行くことを決めた」
「ふむ。……あんたら、名は?」
「シャルミラ」
「リイ」
「あたしはタルラー。まあ、偵察でも何でも好きにしな」
「ありがとう」
シャルミラは言った。
「それにしても、きれいな首かざりだ。それをつけているから、君が首長だと思った」
「これかい? 銀とターコイズでできてるよ。昔はナヴァホ族はみんなこれを持ってた。でも生活のために売っちまってね。あたしも売ろうとしたんだが、みんなが、せめて首長だけは伝統を守ってほしいと言ったから、大事に持ってるのさ。首長なんてただの話し合いのまとめ役でしかないのにね、このごろはなぜかみんな私をいたわってくれる」
「そうか……」
「リイもかざりをつけているな。珍しい品だね。素朴だがかわいらしい」
「あ、ありがとう。これは僕の宝物だよ」
かごをほめられて嬉しかったせいか、思ったよりちゃんと返事をすることができた。
「そうか。奪われないよう、大事にしな」
「うん」
「白人のやつらは、何でも奪うからね。……あたしたちの家もトウモロコシ畑も小麦畑も果樹園も焼き払ったし、山羊も羊も馬も根こそぎ盗んだ。これじゃあもう生活なんてできやしない。だから負けを認めたんだけど……」
タルラーは不快そうな表情だった。
「とたんに、歩かされることになった。疲れるし、食い物はろくにもらえないし、みんな痩せ細っちまったよ。あたしだってぶっ倒れそう。何とか手に入れたパンと水は、なるべく子どもにあげてるからね」
「……どうして白人は、そんなことをするんだろう」
僕がつぶやくと、タルラーが説明してくれた。
「やつらは、この地を全て自分たちのものにしたいのさ。新しい土地を手に入れれば、新しい商売ができて、もうかるからね。やつらは、もうけのためなら、じゃま者なんか死んだって構わないと思ってるんだ。およそ人間のやることじゃない」
「……そう、だね」
その時、どさっと音がした。見ると、一人の老人が地面に倒れていた。
「……母さん!?」
タルラーは血相を変えて老人にかけよった。ふるえる手で、彼女の脈と息を確認する。ナヴァホ族のみんなは足を止め、疲れ切った表情でそれを見守る。
「だめだ、死んでしまった」
タルラーは沈痛な声で言った。僕はドクンと心臓が鳴るのを感じた。こわくなって、よろけた僕の背中を、シャルミラが支えてくれた。
「母さん……ごめんなさい、母さん」
タルラーは泣きそうな声で言ったけれど、泣いてはいなかった。うちひしがれて、うなだれるばかりだ。他のみんなも、悲しそうにうつむいている。
「……これまでにも、こうした死者はしょっちゅう出ていたはずだ」
シャルミラが小声で言った。
「それほどまでに、きびしい旅路だったから」
僕は、何も言うことができなかった。かすかに体がふるえるのを感じる。
しかしその重たい空気は、監視者によって破られた。
「ババアは捨ておけ。早く行くぞ」
僕はぎょっとして、その白人と、亡くなった老婆を交互に見た。
──打ち捨てられた遺体。
頭がしびれる。こんなふうに置き去りにされた死人を、僕は見たことがある……。
「この人でなし!」
タルラーがキッと顔を上げて白人をどなりつけたので、僕は我に返った。
「あんたたちのせいで、年老いた母親が、飢えと疲れで死んだんだよ!? 兵士でも罪人でも何でもない一人の人間が! それを埋葬することも許さず、こんな荒れ地に置いていけって言うのか! いつもいつも、仲間をほうむることもできずに歩かされるあたしたちの気持ちを、少しくらい考えたらどうだ!」
「知るか、そんなもの。それより、もう少し行けば、アパッチ族の農地に着く。早く歩け。埋葬なんぞしているひまがあると思うな」
タルラーはぎゅっとこぶしをにぎった。
「だったらせめて、その荷馬車の食糧をよこしな! あたしはもう、仲間がのたれ死ぬところなんて見たくないよ!」
「これは俺たちのもんだ。何で貴様らなんかに、やらなきゃならん」
「それを言うなら、あの土地はあたしらのもんだよ! 何であんたらなんかにやらなきゃなんなかったんだ」
「やかましい。野蛮人が一丁前に土地を持てると思うな」
「あたしも英語ってのがかなり分かってきたけどさ。野蛮ってのは、あんたらみたいな奴らのことを言うんだよ!」
タルラーの真っ当な怒りに対し、何が引っかかったのか、白人は悪魔のような形相でどなり返した。
「はあ!? てめえみたいな劣った人種が、この俺たちを侮辱して、許されるとでも思ったか!? よほどムチで打たれたいらしいな! それとも銃で一発ズドンとやってやろうか!?」
「やめないか」
シャルミラが、毅然とした態度で止めに入った。手のひらを白人に向けて仲良し念波を送りつつ、説得に入る。
「タルラーはみんなに慕われている。乱暴をしてもみんなの怒りを買うだけだよ」
白人はみるみると、体じゅうの力を抜いていった。
「……確かに、そうなったら厄介だが……」
「穏便に行こう。食べ物くらい分けてやるんだ。その方が君たちの仕事も楽にすむ」
シャルミラのおかげで、ナヴァホ族はパンと水を与えられ、休息が許された。タルラーはさっさと食事をすませると、母親のために手で穴を掘った。他のナヴァホ族の人もそれを手伝った。
しかし、再出発の時はあっという間に訪れた。僕たちはいそいで土を整えた。
歩き出してどれほどたっただろうか。空が夕暮れ色に染まるころ、僕たちは旅の目的地についた。
タルラーはひどく困惑して、周囲を見渡した。
「……収容所と聞いていたが、建物はどこだ?」
「そんなもの、作ってやる義理はない。適当に土の上で寝ていろ。朝になったら向こうで農作業をやれ。いいな」
馬に乗った白人たちは去った。
タルラーたちは呆然として立ち尽くしていた。確かに、向こうの方を見てみれば、土にいくつも穴が掘られていて、その中で人々が休んでいた。
「……アパッチ族とは長らく敵対関係にあったけど」
タルラーがつぶやく。
「こうして運命を共にしてみると、あわれになってくるもんだね」
「……タルラー」
シャルミラが話しかける。
「私たちは戻る。このことを仲間に伝えてくる」
「戻るって、もう日が暮れるよ」
「問題ない。タルラーは自分と仲間の命のことだけ考えてくれ」
「……。分かった。二人とも気をつけな」
「ありがとう。こちらこそ、無事を祈る」
タルラーたちを見送ったシャルミラは、少々物思いにふけると、おもむろにナイフを生成した。
「行こう、リイ。君にはもう一度、休息が必要らしい」
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