第7話 華やかな祭りの踊り子


「人間が多すぎる!」

 僕は道にひしめく群衆を前に頭を抱えた。

「ここまで人間がぎっしりしているところなんて、見たことないよ! 僕、人混みは嫌いって言ってるのに!」

「フフ……そうだったね。ならば少し外れたところに行って座ろうか」


 とにかくいろんな服装のいろんな肌の色の人間がぎゅうづめになっていて、しかもみんな陽気に踊っている。夜中に開催される祭りに行くとは聞いていたが、どこをどう間違えればこんなにみんなしてハイテンションになれるんだ。


 ちなみに僕の服装は、紺色の半ズボンに、紺色の長袖の服に、白いえり。

 シャルミラは、やたらほっそりした形の、赤と白の水玉の柄のワンピースに、小さくてかかとの高いくつ。髪の毛はめずらしくそのまま下ろしている。


「そこに屋台が出ている。座って休もう」

「うん……」

 僕はシャルミラに続いて長椅子に座った。そして何となくとなりの女性を見て、思わず声を上げた。

「ウワア!」

「ん?」

 女性がこっちを見たので、僕はすっかりあわててしまった。

「あっ、えと、その……」


 女性は、緑色と銀色の下着のようなものしか身につけていなかった。黒い肌がむき出しになっている。屋台に入る前は、彼女は背中にフワフワしたものをつけていたので、気づかなかった。


「おやおや」

 シャルミラは興味深そうに彼女を見た。

「衣装のまま屋台に入るとは大胆だな」

「ああ、それでびっくりしたのね!」

 彼女は快活に笑った。

「そう、あたしは出演者だから、こういうかっこうなんだ」

「な、何て言うか……布が少なすぎるような……」

「いやいや、これでいいんだ。これはこの土地の先住民族の伝統衣装をまねているんだよ。何たってカーニバルは、南アメリカと、アフリカと、ヨーロッパの伝統を受け継いだ、歴史の深いイベントだからね。あたしは、誇りを持ってこの衣装を着てる。チームメンバーががんばって作ってくれたものだし。それにみんながみんな、これを着られるわけじゃないんだ。着る権利があるのは、あたしのような選ばれたダンサーだけなんだよ」

「そ、そっか」


 ブラジルのリオデジャネイロで年に一度開かれるお祭り、リオのカーニバル。にぎやかな時空に行けば元気が出るとシャルミラは言ったが、今のところ僕はただただ混乱し続けている。


 シャルミラは料理を注文した。コシーニャ、という名前の料理らしい。芋の一種であるキャッサバでできた生地の中に、鶏肉やチーズを詰め込んで、カリッと揚げたものだという。出てきたものは、先はとがっていて下はまん丸で、大きくてずっしりしている。

 もぐもぐコシーニャをほおばりながら、シャルミラは説明した。


「昔、ヨーロッパのポルトガルという国の人がここに攻め込んで植民地にし、先住民を奴隷にして働かせた。それでも奴隷が足りないと思ったポルトガル人は、アフリカから人間を強制的に連れてくることにした。たくさんの黒人が捕まえられて、船の中にモノみたいにぎゅうぎゅうにつめこまれて運ばれて、南アメリカや他の地域で奴隷として無理矢理働かされた。ひどい環境と差別と暴力にさらされて、先住民や黒人はつらい思いをしたし、死んでしまう人もたくさんいた。今はみんな、解放されているけれどね」

「……!」

「だから今のブラジル人は、南アメリカ先住民と、入植してきた白人と、奴隷として運ばれてきた黒人の、混血であることが多い。それぞれの文化を大事にするのは、ブラジル人にはとても重要なことなんだよ」

「そっか」

「そして今年から始まったのが、コ……」

「そう!」


 女性が割り込んできた。


「今年からリオのカーニバルはコンテスト形式になったんだ! 参加チームはみんな、優勝するためにいっそう気合が入っているんだよ!」

「うん。……それで、演技の花形である君が、こんなところでまったりしていて大丈夫なのかな」

「平気、平気。こういう適当なところもブラジルの文化だから。花形だって、まったりしたい時はあるよ。本番でうまく踊りさえすれば、問題ないでしょ?」

「……そういえば、選ばれた人しかその服を着られないって言ってたけど」

 僕が言うと、彼女はニッと笑った。

「その通り! あたしはパシスタってのをやってる。ソロで踊って目立つ役割の、めちゃくちゃダンスがうまい人のことだよ」

「じゃあ、あなたは、めちゃくちゃダンスがうまいんだ」

「そういうこと! あたしは超実力派のダンサー! カーニバルのためだけに、日々練習してきたんだよ。そうだ、どうせならあんたたちもあたしを応援してくれない? あたし、ガブリエラっていうの。うちのチームはウニドス・ダ・チジュカっていう名前で、今回はサンバそのものをたたえるシンプルなテーマで勝負するよ。派手な飾りをつけたでっかい台車とかもあるし、音楽も情熱的だし、出演者もたくさんいるし、あたしもめちゃくちゃうまく踊る。絶対優勝してやるから、楽しみにしといてよ。あ、チームの出演は後半、二十番目だよ。よろしく! それじゃあね」


 ガブリエラはぺらぺらとしゃべるだけしゃべると、その場を去った。情報の多さに、僕は頭が痛くなりそうだった。

「えっと……シャルミラ。サンバって何」

「ブラジル生まれの、音楽のジャンルだよ。色々なパターンがあるが、どれも打楽器が多く使われているかな。リオのカーニバルでは特に好まれていて、よくみんなでこれに合わせて踊る。腰の動きとステップのふみ方が特徴で、即興的……つまりその場で考えたアドリブを取り込んでいるのも、魅力の一つかな」

「つまりガブリエラは、自分たちの音楽や踊りそのものを表す出し物をするんだね」

「そのようだ。他にもサンバには、世界平和だとか、人種差別をなくそうだとか、そんな社会的なメッセージが込められた歌も多い」


 そんなおしゃべりをしながらコシーニャをかじって食べていると、なぜかガブリエラが戻ってきた。

「暑いでしょ? ジェラート買ってきたよ。レモンとココナッツとマンゴー。どれがいい?」

「おや、もらってしまっていいのかい」

「買っちゃったんだからもらってくれなきゃ困るって。ほら、早くコシーニャを食べ終わらないと、こっちが溶けちゃうよ!」

 なぜ急かされているのかは不明だったが、僕は急いでコシーニャを口につめこむと、ガブリエラからマンゴー味のジェラートなるもののカップを受け取った。スプーンですくって口に入れると、濃厚な甘みが広がった。それと、すごく冷たかった。

「冷たっ!!」

「あっはっは! ジェラートなんだから当たり前でしょ!」

 僕はジェラートが冷たくて甘い食べ物だということを学んだ。


 僕の大切な人もこうやっておやつをくれた、というのが、僕がこの旅に出てから最初に取り戻した記憶だ。そういえばあの子はおやつだけじゃなくて、おもちゃや本を貸してくれたりもした。あとは手作りの……手作りの、……か……かご?

「あっ!?」

 僕は胸元を見た。小さいかごがゆらゆらと揺れている。

「シャルミラ、大変! 僕、思い出した! このかごは、僕の大切な人が作ってくれたんだ!」

 シャルミラはあっさりと頷いた。

「まあ、おおかたそんなところだろうと思っていたよ」

「何々、どういうこと?」

 ガブリエラが首をつっこんでくる。シャルミラはまたすらすらとうそをつく。

「この子はちょっとした病気でね、物忘れがひどいんだ」

「ありゃ、それは大変! だったらあたし、あんたが忘れられないくらいの、熱いダンスを見せてあげるよ! あんた、名前は?」

「……リイ」

「私はシャルミラ。楽しみにしているよ、ガブリエラ」

「任せといて! じゃあねー」

 ガブリエラはレモン味のジェラートを食べながら歩み去った。


 ガブリエラたちの出番はずっと後だ。僕はシャルミラの説明を聞きながら、少し離れたところで、このどんちゃんさわぎを眺めていた。


「時代が下ると、カーニバルはどんどん派手になるよ。専用の舞台が建設されて、世界中の人がチケットを買って観客席を取るようになるし、コンテストのおかげもあって演出の質がうんと上がる。でも私は今の方がリイのためになると思った」

「どうして?」

「サンバの即興性のよさが表れているからかな。より庶民的で、より気軽で、出演者と観客の距離が近い。何しろ、観客が勝手に飛び入り参加できる」

「え」

「さっきからさまざまな人が入り乱れているだろう。あれはかなりの割合で、出演者ではなく一般人だ」

「……それでコンテストになるの?」

「さあね。記念すべき第一回のコンテストだ、どんなことが起こるかは分からない」

「適当なんだね」

「フフ……。リイも踊ってきたらどうだ」

「エッ!?」

「行こう」


 シャルミラが僕の手を引っ張って、踊りまくる人間の群れまで引きずっていく。音楽隊の演奏と人々の歌声が、よりはっきりと聞こえるようになる。


「ウワアー! 嫌だー!」

「さ、楽しんでおいで」

「えっえっえっ、シャルミラは!?」

「私は見るのに専念するよ」

「ずるい! 僕も……」

 僕は人混みにのまれて、シャルミラを見失った。途方に暮れてつっ立っていると、近くで踊っていたおじさんが話しかけてきた。

「やあやあ、ぼうや。サンバは踊れるか?」

「えっ、むっ、無理。できない」

「心配いらないさ! ほら、まねしてごらん。足をこう、こんな感じで、すばやく交互に組みかえるんだ」

「……」


 おじさんは熱心で、断るのは逆に気が重い。

 僕にはダンスなんてできないよ。

 お祭りなんて、一度も参加したことなんかないのに。

 そう、生まれてから一度も。想像だけど、きっと両親が駄目だって言っていたんだ。


「あと腰はこう! こんな感じ! これだけできれば、あとは自然に体が動き出すさ!」

「う……」

 僕はなぜだか泣きたいような気持ちで、おじさんをまねて、足をゆっくり動かした。

「そうそう! それでいい! 自由でいいんだ! 好きにふるまって、楽しみたまえ!」

 おじさんは楽しそうに笑った。僕は何となく体を動かしながら、おじさんが踊りながら去っていくのを見ていた。


 人間ばかりのこんなやかましい場所で踊ることの何が楽しいのか、と思っていたけれど、……どうやら、つまらなくはない。

 いろんな人が話しかけてくる。

「上手だねえ」

「楽しんでるかい?」

「あら可愛い踊り!」

「こりゃすてきなダンサーがいるな!」

「やるじゃないか」

 僕は決してうまく踊れていなかったと思うけれど、誰一人として僕を否定しない。けなさない。怒らない。無視もしない。みんな優しい。おかげでだんだん、自信が出てくる。

 僕は、楽しんでいるかもしれない。こんなに人間だらけの祭りなのに。


 ──でも、同時に思い出した。僕が人間嫌いな理由は……。


 僕がつかれて、集団からはなれて一休みしていると、シャルミラが僕を見つけて寄ってきた。

「楽しそうだったじゃないか」

「うん。自分でもびっくりしてる」

「息苦しくはなかったかい」

「平気だった。みんな、優しく、て……」

 僕は徐々にうつむいていった。

「あのねシャルミラ。分かったことがある。僕が人間を嫌いなのはね」

「うん」

 シャルミラは優しげな顔で僕の話を聞いている。

「それは……どんなに優しい人でも、どんなに親しい人でも、……急にこわい人に変わってしまうことがあるから……」

「……ほう」

「これまでの旅で、優しい人にたくさん会った。でも、その人たちだって、いきなり優しくなくなるかもしれない。僕に危害を加えるかも……。そう思うと、僕……」

「リイ」

 シャルミラは静かに言った。

「君の過去に何があったのかは分からないが、私から言えることがある。だから落ち着いて、聞いてくれないか」

「……うん……」


 シャルミラは顔にかかった髪の毛をはらりと払った。

「人間の行動が急に悪い方向へ変わる例はたくさんあるが、それはその人自身が悪いとは限らない。多くの場合、周囲の環境が人間を変えてしまっている」

「周囲の環境」

「広い海にいる同じ種類の魚たちを水槽に入れたら、いじめが発生した──という報告がある。自然界ではそんな行動など取っていなかった魚たちが、狭い環境に入れられるだけで態度を変えたんだ」

「そう、なんだ……」

「人間の場合、事情はもっと複雑だろう。たとえばこんな心理学の実験があった。ごく普通の常識的な被験者を集めて、監獄のまねごとをさせたんだ。数名を看守役、十数名を囚人役として、しばらく監獄風の施設で生活させた。結果、ただの一般人だった看守役の人々が、囚人役に対し、常軌を逸した暴力や虐待を加えるようになった。この実験は中断され、以後は禁止されているのだが……。つまり、人間の行動とは環境もしくは設定によって大きく変わってしまうものなんだ。必ずしも、その人間そのものが悪いとは限らない。リイ、必要以上におびえることはないよ。戦うべき時を見極めることができれば、世界はもっと、君に対して優しいものになる」

「……そう、かな」

「私はそう思っている」

「……そっか」

 僕はうなだれたままつぶやいた。シャルミラは僕の手を取った。

「今は休憩も兼ねて、向こうの観客席に座っていよう。そのうち、ガブリエラも出てくるはずだ。だから、元気を出してくれ」

「うん……」


 ウニドス・ダ・チジュカの演出は圧倒的だった。長い長いパレードの間、派手に着飾った人々が休まずに踊り続ける。ドンドコドンドコ、血の沸き立つような打楽器のリズムに、ラッパか何かの楽器がメロディを高らかに奏で、そこにみんなの歌が合わさって響き渡る。台車も非常に芸術的だった。巨大な天使のような像がいくつものっていて、みんなちがう顔をしていて、みんなきらきらに輝いている。

 このサンバチームを象徴する色は黄色と青色であるらしく、出演者のほとんどはこの色の衣装を着ていた。そんな中で、パシスタのガブリエラの、緑と銀の色彩は、うんと鮮やかだった。さっきとはちがい、背中にも緑色の羽根をつけている。しかも、ただ目立つだけではない。黄色と青色を混ぜれば緑色になる……つまり、彼女は周囲との調和をも表現しているのだ。

 そして本人の言葉通り、ガブリエラのダンスは目をみはるものがあった。動きのキレがとにかく美しい。一瞬で観客たちを釘付けにしてしまうような、鮮烈ですさまじい存在感。僕はすっかり感動してしまった。


 結果的に、ウニドス・ダ・チジュカの順位は第三位で、優勝を逃してしまったが、僕の胸にはしっかりと、彼らのパレードが焼き付いていた。


 明け方になり、カーニバルが終わった。僕たちはわらわらと会場をはなれていく人々を見ながら、何となく座っていた。


 するといつのまにか、リイの隣の席に、誰かが座っていた。

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