第6話 戦の中に生きる市民
現れた男は、さらさらとした金色の髪を一つにまとめ、白い上着と白いズボンと白いくつをつけ、えりの下には黄色い布のかざりをぶらさげていた。変なかっこうなのに、なぜかピシリと整った印象も受ける。
「ティルダード」
シャルミラはため息をついた。
「またじゃまをしにきたのか。しかもそのかっこうで」
「そういうこった。仕方ないだろ? 俺は衣装替えの術が使えないんだからさ」
「君が捕まるのは勝手だが、仕事のじゃまはするな」
「いいや、するね。おいお前、仮名は何だ」
急に話しかけられて僕はおどろいた。
「……リイ」
「リイ、その天使と一緒に行動するのはよせ」
「え、何で」
「よく考えてみろよ。お前の故郷がいいところだとでも思うか? ちがうだろ? 確実に」
「え?」
「あ?」
「どうして? ……あ、虐待されてたから? 僕は気にしないよ」
ティルダードはジロリと悪意のある目でシャルミラを見た。
「シャルミラ、まさかお前、わざと教えなかったのか」
「……ネフ様が、今後は教えるなとおおせになった」
「ハァー! あいつと縁を切って正解だったぜ。あのな、リイ、よく聞け」
「やめるんだ、ティルダード」
「黙ってろシャルミラ。あのな、時空の迷い子になるには条件があるんだ。子どもが、強いショックやストレスを受けて耐えきれなくなった時、まれに記憶を失って魂だけになっちまうんだよ。つまり故郷でのお前は、かなりの精神的苦痛を受けていたか、下手したら命の危険にさらされていたかで、絶対良くない状況にある。自然災害か、戦争か、事件か、流行り病か……何かは分からねえが、何か起こってるのは間違いない」
僕はまたたきをした。
「そうなの? シャルミラ」
「……そうだ」
「えええ……」
僕が困惑している間に、ティルダードがたたみかける。
「シャルミラよぉ、現にお前がこれまで面倒を見てきた迷い子の奴らだって、けっこう死んじまってるじゃねえか。前の奴は、第二次世界大戦の日本の沖縄だったか? 集団自決とかいうやつで死に損ねて、時空の迷い子になったが、故郷に戻ってすぐに敵兵に撃たれた。その前の奴は確か、ムガル帝国時代のインドのコルカタらへんだったかな。巨大地震に襲われて家族を亡くして時空の迷い子になったが、地震の直後の時空に帰ったせいで余震に見舞われ、建物の下敷きになって死んじまったなあ。他にもたくさん例があるはずだ。今回も同じことを繰り返す気か? 良心の呵責とかないのかよ」
シャルミラは表情を変えない。
「私は与えられた仕事をしているだけだよ」
「へえ? 悪いことは何にもしてないってか?」
「ネフ様のなさることに文句はない」
「あーあーそうかよ。天使様のお考えは、堕天使の俺にはさっぱり分からんな。リイ、今の話を聞いても、まだシャルミラについていく気か? それより俺と来いよ。安全なところに案内してやる」
僕は、ゆっくりと首を振った。
「いい。シャルミラと行く」
「はあ? 何でだ?」
「故郷に大切な人がいるんだ。もし故郷が危険な場所なら、助けにいかなくちゃ。それに……」
僕は、身を挺して僕を事故からかばってくれたシャルミラの姿を思い返した。
「ぼ、僕は、誰かを完全に信用することはないけど……今のところ、シャルミラは悪い人じゃない……と、思う……」
「ふうん、そうか」
ティルダードはつまらなさそうに言った。
「まあ、気が変わったら教えてくれよ。また来てやっから」
「君のようなうつけ者はもう来なくていいよ」
「うるせー。じゃあな」
ティルダードは時空移動を使ってどこかに行ってしまった。
「……」
「私を恨むか、リイ」
シャルミラが平坦な声で尋ねた。
「ううん、別に……」
「そうか」
「それよりシャルミラ、僕、ちょっと思い出した」
僕は、農業用の短い刃物のことと、何かの血がそれに関係していることを、シャルミラに伝えた。
「もしかして誰かが刃物でけがをしたのかな……」
「そういう比較的小さな事件が原因だとしたら、故郷の特定は困難だ。それでも探るしかないが……ふむ。次は試しに、危険をおかしてみるか」
「危険?」
「小さい刃物と血、というところに焦点を当てる。短剣がよく用いられていた時空の戦争を見にいって、何か思い出すかどうか試す。もちろん君にけがはさせないよ。だが、精神的に苦痛かもしれない」
「……大丈夫。手がかりを見つけるためなら、がんばる」
「分かった。気分が悪くなったらすぐ言うように」
こうして僕たちは次の時空へと飛んだ。
そこは、茶色い石造りの建物が所狭しと並んでいて、坂や階段の多い町。
そして毎度のことながら服装が変わっている。僕は茶色のひざまでの長さのゆったりした服に、長ぐつ。そして赤い布で頭をぐるぐるまきにして、布の余った部分を肩にかけている。シャルミラは薄桃色のワンピースで、こっちはもっと丈が長く布地がたっぷりしている。そして頭に白くて長い布を巻いている。布からは少し、茶色いくせっ毛がのぞいてはいるが……。
「髪、かくしてる!!」
「そういうルールなんだから仕方ないだろう」
「……。で、ここはどこ」
「エルサレムにほど近い、ヤッファという町だ。イスラム王朝の領土だが、今はキリスト教徒の軍が占拠している」
僕はよく分からなかった。
「リイは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という宗教は知っているか?」
「……知ってると思う」
「そうか。フフ……。つまり君は、イスラム教が確立された後の時代が故郷なんだね」
「……?」
「エルサレムは、この三つの宗教にとって大切な地だ。特にキリスト教徒とイスラム教徒は、エルサレムを自分たちの領土にするために、何度も戦ってきた」
「へえ」
「キリスト教徒はエルサレム王国というのを建てたが、今やほとんどの領地を取られた。肝心のエルサレムの町も、イスラム側の領土になっている」
「エルサレム王国なのにエルサレムを持ってないんだ……」
「フフ……。キリスト教徒としてはもちろんエルサレムも手に入れたい。イスラム教徒としてはエルサレムを奪われないようキリスト教徒を遠くに追い払いたい。それで、戦争だ。今、戦いの舞台がヤッファに移ろうとしている。この町にはさまざまな宗教の人々が住んでいるんだが、今はちょうど町を十字軍が……キリスト教徒の軍が支配している。物々しいが、もうこれが何ヶ月も続いているから、多くの住民たちはその中で仕方なく生活している。ところが今は、町の周りがムスリムの……イスラム教徒の軍に包囲されている。今日中に二つの軍がぶつかって、市街戦になる」
道理で道に人がいないわけだ。先ほど遠くに、甲冑をつけた人の行列を見かけたが、それ以外は誰とも会わない。どこかに逃げたのか、家に閉じこもっているのか。
「私たちは今回、ヤッファに住むイスラム教徒のふりをする。安全なところで戦争を見物するぞ」
「ふーん。どうしてイスラム教徒側なの?」
「色々と理由はあるが……。前の戦いでたくさんの無防備なイスラム教徒がキリスト教徒に殺されたから、イスラム教徒はものすごく怒っている。よって、キリスト教徒のふりをしたら、何をされるか分かったものではない」
「……」
「あと、イスラム教徒の女性は基本的には肌や髪を見せないのがよいとされる。だから私はこれを巻いている」
シャルミラは頭の布を指さしてから、話を続けた。
「イスラム教徒側の指導者、サラーフッディーンは歴史に残るほどの人格者で、敵にすら尊敬される素晴らしい人物だ。普段ならばキリスト教徒の方がよほど野蛮で乱暴で、逆にサラーフッディーンは自分の軍に決して悪さはさせないのだが、今回ばかりは制御がきかないかもしれない」
「へえ……」
「とはいえ、まだ襲撃まで時間がある。少し町を回ってから、安全な高台に登って、彼らの戦いを見物しよう」
僕たちは坂道や階段を上ったり下ったり、うろうろした。市場があったので入ってみたが、ほとんどの店が閉まっている。
そんな中、香ばしいにおいをただよわせている店が一軒だけあった。
「失礼」
シャルミラは店の中で何か料理をしている男に話しかけた。
「おう、姉ちゃんとガキンチョか。いらっしゃい。炒ったひよこ豆はどうかね」
「もらおう。この麻袋に入れてほしい」
「はいよ、めいっぱい入れてやろう」
ざくざくと、男は道具で豆をすくって、ザーッと袋の中に入れた。シャルミラはお金を手渡しながら尋ねた。
「それにしても君は、逃げなくていいのか。今にも戦争が始まりそうだが」
「ぎりぎりまでねばってから逃げ出すよ。姉ちゃんみたいな客は他にもいるんでな。戦争が長引きゃあ、食いもんに困る」
「そうか。くれぐれも気をつけてくれ」
「はいよ、ありがとな」
シャルミラは豆の袋を僕に渡すと、「そろそろ行こうか」と言った。僕たちは階段を上って、町で一番の高台までやってきた。
そこには逃げてきた人々がいくらか集まっていて、髪の毛をかくしている人とかくしていない人がいた。それと、十字軍の兵士らしき甲冑の男たちも何人か。だがそんなことより僕は、景色の方に気を取られていた。
「不思議な場所。まわりが全部青い」
「ああ、きれいな海だね」
「海……これが海?」
「おや、海のことも忘れているのか。目の前のこれは、地中海だよ」
気持ちのいい風が吹いている。太陽はさんさんと輝く。
「こんなにいい景色なのに」
もうすぐこの町で戦争になるなんて。そういえば戦争って、何をするんだろう? シャルミラは短剣をよく使うと言っていたけれど、さっき見かけた十字軍の人たちは、長い武器を持っていた。あと、銃とか爆弾とかを持っているようには見えなかった。
やがて、ズズン、と地響きのような音がした。人々は音のした方をいっせいに見た。
「城壁がこわされたようだね」
シャルミラは言った。
「サラーフッディーンの軍が入ってくるぞ。ここからなら戦いの様子が少しは見える」
シャルミラの言う通り、しばらくたつと、この高台から見えるあちこちの小道や階段で、兵士たちが激突しているのが分かるようになった。
ワアワアと高台が騒がしくなる。
「がんばれ十字軍! 唯一の神、我らが主よ、我々に勝利を!」
「がんばって、サラーフッディーン様! アッラーの他に神はなし!」
シャルミラはそれらの声に全く興味がないようで、熱心に下の方を見ている。
「おや。ごらん、リイ。サラーフッディーンご本人だ。立派に兵士たちを先導している」
「……あの人?」
「そうだ」
確かに、ひときわ威厳のある人物が馬に乗っている。あれが、歴史に残る人格者……。
「ああ、あっちの階段では、兵士たちがかち合った」
シャルミラは興味深そうに見下ろしている。
「上の段にいる十字軍の方が有利だな。がっちり武装している相手と戦う場合、ああやって長い武器でなぎたおしてから、短剣でとどめをさすのが効果的だ。……ほら、イスラムの兵の方が殺されてしまった」
確かに、イスラム側の兵士の首に、十字軍の兵士が短剣を突き立てていた。
ドクンと、いつか感じたような衝撃が僕の全身をかけめぐる。
「短剣で、刺すのが、効果的」
「そうだ。短剣なら、わずかなすきまを的確にねらえるからな。……ん?」
シャルミラが僕の顔をのぞきこむ。
「リイ、顔色が……。いや、呼吸がおかしいな。どうした?」
僕はうまく息ができなくなっていた。苦しくて、がんばって息を吸うのだが、ますます苦しくなるばかりだ。
「過呼吸よ!」
白い布を頭に巻いた女性がかけよってきた。シャルミラのように前や横から髪は出ておらず、きっちりの布を巻いている。あまりよく見る余裕はなかったが。
「あなたがこわがらせるようなことを言うから! ほら、落ち着いて。座れる?」
女性は背中をなでてくれた。僕はゆっくりと地面に腰を下ろした。
「こういう時は心を落ち着けるのが一番よ。大丈夫、大丈夫」
「あ、ああ。大丈夫、大丈夫」
シャルミラも僕の背中をなでる。僕は目をつぶって、動揺をおさめることに集中した。
だんだんと、胸が楽になっていく。
「ありがとう」
僕は言った。
「直ったみたい」
「そう。よかったわ」
女性は言った。
「もう戦いを見物するのはよして、あちらの方で休んだら? ……あなたも、保護者だったらちゃんとこの子を守らなきゃ!」
「……そうだね。その通りだ。助かった、ありがとう。リイ、あちらへ行こう」
シャルミラは僕の手を取った。僕はゆっくりと立ち上がり、戦いが見えないところまで後退した。そして時空移動の穴を開けた。
その先には、最初に僕が浮かんでいた、時空の狭間があった。シャルミラは僕の手を引いて、その夜空のような場所に僕をつれていった。
入った途端、心がふわっと軽くなる。
「ここには気持ちを楽にする効果がある。傷ついてやってくる魂が多いからね」
シャルミラがつぶやくように言う。
確かに僕も、ここで気がついた時は、穏やかな気持ちでただよっていたっけ。
シャルミラはそっぽを向いていた。
「悪かった。君の身の安全は保証すると約束したのにね。刺激が強すぎた」
「いいよ、別に。手がかりをつかむためだったでしょ。僕も賛成したし」
はあ、とシャルミラはめずらしく落ち込んだようすで、頭の布を取った。
「これではティルダードに、それ見たことかと言われるな。……しばらくここで休もう」
僕たちは、ひよこ豆を食べながら、ふわふわと浮かんでいた。少量の塩をまぶされたひよこ豆は、外側はカリッとしていて、中身はポクポクとした不思議な食感だった。
「……次は楽しいところに行こうか」
シャルミラは言った。
「君の故郷のことはゆっくり探るとして、一度関係のないところに行こう」
「ううん、僕は平気だよ。それより早く帰りたい」
「ティルダードが言っていただろう。君は激しいショックか何かを受けて、魂が抜けた。そんなところに帰るのに、ストレスを溜め込んだ状態では……おそらく非常につらい気持ちになるだろう」
「でも」
僕は言葉に詰まった。シャルミラはひよこ豆を片手でつかみ取って、袋を僕に渡した。
「残りは君が食べなさい。それからここでゆっくり眠ろう。じゅうぶんに休息を取ったら、遊びにいくよ。故郷探しは、その後でいい」
それからシャルミラは豆を一気にたくさん口に入れた。
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