第5話 閉ざされた国と異国の医師


 シャルミラは豪華な花模様があしらわれた赤い布を体に巻いて、お腹には金糸で刺繍をしてある帯も巻いて、髪の毛はまたまた複雑な形に結い上げてかざりもつけていて、木でできた不思議なくつをはいている。

 僕は濃い灰色に細い縦じまの入った服と、藍色の帯、草か何かで編まれたくつ。あと、赤いかごの首かざりはそのままだ。


「私はお金持ちのお嫁さんになった女性、君は付き人。そういうことにするよ」

「うん」

「この時期の日本の首都、江戸の人口は、世界でも五本の指に入ると言われているんだ。日本よりも人口が多かったのは中国とイギリスだが、そこはもう行ったからね。次は日本にしてみた」

 なるほど、まじめに考えると言ったのは本当らしい。

「それと、大福餅を食べることができる」

「大福餅を」

「君の魂の形を見てから、無性に食べたくなっていたんだ」

「……まあ、いいけど。すごい人混みだね、江戸って……」


 僕は息苦しい気持ちで言った。何か、変な髪型をした人ばかりだ。女の人もそうだけど、男の人は頭を一部ハゲにして、後ろの方の髪を結んでいたりする。そんな人がすたすたと行ったり来たり、めまぐるしい。そしてシャルミラからは予想外の返事があった。


「ああ、ここは江戸じゃないよ。長崎という町だ」

「えっ?」

 話の流れからして、江戸に来たのだと思った。

「人の多い町には行かないの?」

「少し不都合があってね。今、日本は、ほぼ全ての外国人の入国を禁止しているんだが……」

「え!?」

 そんなことができるのか。想像がつかない。

「……困ったことに、日本人のほとんどが、真っ黒な髪をしている。だから私の髪の色を見られればすぐに、よそ者が不法に侵入したと思われてしまうんだ」

「よそ者が不法に侵入しているのは本当のことだと思うけど……衣装替えの術で、かつらとか作れないの?」

 シャルミラは肩をすくめた。

「作れるが、あまり好まない。かつらがマナーの場所ではもちろんかぶるけれどね」

「そんなマナーあるんだ……。っていうか、好みの問題?」

「うん」

 シャルミラは当然のように言う。

「私はネフ様に頂いたこの体を誇りに思っている。必要以上に隠したくはない。髪の毛も体も完全に隠すのがルールの場所ではもちろん隠すけれどね」

「そんなルールあるんだ……。いや、見た目なんて、都合で変えていいと思う。それよりも、人の多い江戸に行けるようにした方がよくない?」

「おや、リイの人間嫌いが直ってきたのかな」

「ちがうよ!」

 僕は憤然とした。

「僕は早く故郷を思い出したいだけ!」

「フフ……そう怒るな。からかっただけだよ。ともかく、江戸は私には危ないところだ。でも、長崎ならば少し事情が違う。長崎では中国人とオランダ人だけ、商売に来てもいいことになっている。彼らも、特定の区画から出ることは禁じられているがね。私はオランダ人の商人と日本人の遊女の間に生まれた、という設定で行くよ。これならぎりぎり不自然ではなくなる。……長崎も日本の中では屈指の大都市だ。そう不満そうな顔をしないでいいよ」

「ふうん」

 かつらをかぶることよりも、ぎりぎりをねらうことを選ぶシャルミラの気持ちが、僕には分からない。何せ僕は自分の本当の姿も思い出せていないのだ。しかしこれ以上口を出すのも面倒だから、とりあえず必要なことだけ聞いておく。


「オランダって何?」

「ヨーロッパの国だ。小さい国だが、商売がうまい」

「へえ。じゃあ、ユウジョって何?」

「……。男の人を甘やかすのを仕事にしている女の人だ。楽器や歌や踊りを披露したり、ゲームで遊んだり、共にお酒を飲んだり、一緒の布団で眠ったりする」

「……変な仕事だね」

「似たような職業の女の人は、たいていどこの国にもいるぞ」

「そうなんだ」


 僕たちはまたぶらぶらと長崎の町を歩いた。木製の建物がぎゅうぎゅうと並んでいる。客引きのかけ声がかしましい。

「おや、菓子屋だ。リイ、お腹は空いているかな?」

「空いてな……いや、空いてる……。さっきパンを食べたのに」

「いいよ。君は食べざかりの殻を持っているからね。大福餅を食べよう。米と砂糖をこねた生地で、豆と砂糖を煮たあんこを包んだおやつだよ」


 シャルミラはさっそく菓子屋の店員に注文を入れた。

「大福餅を二つ。ここで食べていくよ」

 そして、店前のベンチのようなものに腰かけた。すぐに、白くて丸い物体が二つと、湯気の立つお茶が運ばれてきた。

 お菓子の方は、確かに鏡で見た僕の魂と似ていなくもない。

「のどにつまるから、ゆっくり食べなさい。お茶も飲むように」

 シャルミラの注意を聞きながら、ちょっとかじる。非常にやわらかい。それで……何だ、これは? 甘さの爆弾? いや、ちがう。決して甘すぎはしない。心までがやわらかくなるような不思議な甘さと食感。しかもずっしりとしていて、おなかに溜まる。これの合間にお茶を飲むと、こちらも思いのほかおいしく感じた。

 シャルミラも、上機嫌で大福餅を食べていた。食事の必要がないと言っていたけど、割ともりもり食べられるんだな、と僕は思った。


「うん、満足だ。さて、またぶらぶらしてみるか」

 シャルミラは会計を済ませると、さっさと道の方に出ていった。僕はこっそりシャルミラに尋ねた。

「ずっと思ってたんだけど、お金を自分で作るのって、犯罪じゃないの?」

 シャルミラはこれまでの支払いを、物体生成によって行なっていた。あまり複雑な物は作れないけれど、お金くらいなら本物と寸分違わないものができるという。でも所詮はにせのお金だし、それは使ってはいけないものだと思う。

 ところがシャルミラは、何が悪いのか分からない様子だった。

「うん? 法律とは人間のためのものだろう? 私は天使だから関係ないぞ」

「そういうもの? というか、にせのお金を作るより、料理を作る方が良くない?」

「できなくはないが、まずいものしか作れた試しがない。私は何度も吐いた」

「あ、そう……」

 硬貨は単純なものの部類に、料理は複雑なものの部類に入るらしい。

 吐いてしまっては栄養が取れないので、さすがの僕も食べる気にはならない。


 僕たちは人混みをしばらく歩いたが、特に進展はなかった。僕は人酔いしてしまったので、シャルミラはいったん人の少ない道に連れ出してくれた。

「ふう……」

 僕が気持ちをしずめていると、「おい!」と声がかかった。

「そこの女、ちょっと止まりなさい」

 見ると、僕たちが今いる坂道の下の方に、黒を基調とした立派そうな着物を着た、変な髪型の男が近づいてきていた。


「えっ何」

「腰に刀を差しているね。おえらいさんだ。役人かな」

「刀……」


 僕は男がぶらさげている刀の柄を見た。

 その瞬間、頭がびりりとしびれた。

 ぱっと脳裏に浮かんだものがある。

 短い刃物の記憶だ。これは多分、農作業のためのもの。僕も、僕の周りの人も、この小さな刃物をよく使っていた……。僕の家は農家だったのだろうか?

 でも、シャルミラのナイフを見ても、僕はあの短い刃物を連想しなかった。これはどういうこと?

 心拍数がわずかに上がる。

 だがそれも束の間のことだった。

 僕がせっかく何か思い出しかけたのに、役人が威圧的にシャルミラに話しかけてきたので、僕はこわくなってシャルミラにかくれた。


「お主、オランダ人か? なぜ異人の、しかも女が、出島の外にいる!」

 やっぱりあやしまれた、と僕は動揺した。だがシャルミラは涼しい顔をしている。

「私はここの出身だよ」

「うそをつけ! 何だその髪は!」

「うそをつかずに話すから、聞く耳を持ってくれるかな」

 シャルミラがじっと見つめると、役人は逆に気圧されたように黙った。そうしてシャルミラはいけしゃあしゃあとうそを並べ立てた。


「私の父はオランダ人、母は遊女だよ。生まれてからずっと遊郭に住んでいたんだが、運良く今の旦那様に身請けしてもらってね」

 僕は、シャルミラが一瞬だけ役人に手のひらを向けたのに気づいた。少しの間、仲良し念波を使ったらしい。男の肩の力が抜けていく。

「そ……そうか。そのような出自ならば仕方あるまい。して、お主の名は何という」

「シャルミラ」

「シャ……? それはオランダ語の名前か?」

「そうだが、何か問題があるかな?」

「いや……ない……」

「全く。他人の容姿やら名前やらについて、とやかく言うものではないよ」

「それはすまない。だが、こっちも仕事でな」

「まあ、見逃してくれるならそれでいい」


 どうやら無事に解放されそうである。僕がほっとした時、坂の上から「あああー!!」という叫びが聞こえた。

「ん?」

「リイ、危ない」

 シャルミラは僕をいきなり道の脇まで突き飛ばした。僕は尻餅をついたまま、意味が分からずにシャルミラを見上げた。シャルミラは、坂を下って暴走していた荷車にぶつかって吹っ飛ばされ、あおむけに地面に叩きつけられて動かなくなった。荷車は坂の下まで転がっていき、壁に衝突して荷物ごと大破した。


「シャルミラ!?」

 僕が駆けつけて呼びかけても反応がない。肩を揺すろうとして、役人に止められた。

「こら、頭をぶつけた人を揺さぶっちゃいけない」

「あ、はい……」

「あああ、やっちまった!」

 荷車を引いていた男もすっ転んでいたが、立ち上がってかけよってきて、頭を抱えた。

「どうしよう、この人、まさか死んじゃいないよな……?」

「死……!?」


 僕はぞわっとした。

 こわい!

 誰かに死なれるのは、何よりもこわい。

 

「死んではおらぬ。落ち着け」

 役人は男に言った。

「お主、この人を鳴滝塾なるたきじゅくまで運ぶのを手伝え」

 役人がシャルミラの頭の方を支え、荷運び人が足の方を持った。シャルミラが、慎重に運ばれていく。

「ここが鳴滝塾の近くで良かった」

 役人が言い、男は激しくうなずいた。


 運ばれている最中に、シャルミラはぱちっと目を開けた。役人がふうふう言って坂道を登りながら問いかけた。

「おい、気分はどうだ」

「ふむ……景色がやたらとぼんやりして見えるな。あと、少しだるいかもしれない」

「そうか。いや待て、歩こうとするな。おとなしくしておけ」

「もしかして私を医者にみせてくれるのかな?」

「あのまま見捨てて行くわけがなかろうが。幸いシーボルト先生の塾がすぐ近くだ。安心しろ」

「シーボルト……? ああ、あのシーボルトか」

「誰?」

「彼は特別に入国を許された、ド……じゃない、オランダ人でね……」

「こら、おとなしくしろと言っただろう」

 役人に叱られ、シャルミラは黙った。


 鳴滝塾というところには診療所があって、シーボルトという人がさまざまな人を分けへだてなく治療しているらしい。

 板張りの床に、白いふとんが並んでいる。その内の一つに、シャルミラは寝かされた。


「どういった患者さんですか」

 様子を見にきたのは、背の高い男。周りの人たちと顔立ちが全く違うし、背が高い。頭を打った、と説明すると、彼は慎重にシャルミラの髪の毛をほどき、頭にふれた。

「おお、これは大きなたんこぶだ。何があったのです?」

「あの、シーボルト先生」

 荷運びの男が口を開いた。

「坂道で、俺の足がもつれちまって……ゴロゴロッと転がってく荷車で、吹っ飛ばしちまいました。この人は少しの間気絶してました」

「ふむむ……荷車は重かったのですか」

「へえ、その、米俵を九つ」

「そうですか。……後頭部を打って気絶……」

「あと、視界がぼんやりしていて、だるさもあったぞ。今は治っているが」

 シャルミラが付け足した。シーボルトはゆっくりうなずいた。

「……おそらくは脳震盪のうしんとうでしょう。この程度ですんだとは驚きですが。しかし予断は許されません。しばらくここでうつぶせになって、たんこぶには水布巾を当てて、三刻ほど安静にして下さい。その間、頭をむやみに動かさないように」

 了解した、とシャルミラは言った。

 役人は安心した様子でシーボルトを見た。

「よろしく頼む、シーボルト先生。わしはこの荷運び人を連れていかねばならんので、失礼させてもらいたい」

「ひえっ! 俺、捕まっちまうんですか」

「念のためだ。死人は出なかったのだし、大したことにはならん。……ぼうず、その人の面倒を見られるか」

「え、あ、はいっ」

「では、これにて」


 役人と荷運び人は部屋を出ていった。僕は、何をすべきか分からず、おろおろしてシーボルトを見上げた。

「君が手伝ってくれるのですか」

 僕はうなずく。そこへ、木製の大きな丸い入れ物が持ち込まれた。水が入っていて、白い布がひたっている。

「今当てている水布巾が乾かないうちに、こちらをしぼって交換してください。使っていた方はこちらにひたしておきます。あとは、くりかえしです。できそうですか?」

 僕はまたうなずいた。

「いい子ですね。では、よろしく頼みます」


 僕はひざを抱えて座り、シャルミラを見ていた。部屋では他の患者も寝ていたりうなっていたりしているが、基本的には静かだ。シャルミラは、さっきまで普通にしゃべっていたのに、今はぐっすり寝ている。

 しばらくして、僕が水布巾を取り換えるために布巾をしぼっていると、シャルミラはいきなり目を覚まして、僕ににやっと笑いかけた。


「治った!」

「え?」

「私は、けがなんてすぐ治る。手間をかけてすまなかったね。シーボルトにあいさつをしたら、出ていこう」

「でも」

「よいしょ」

 シャルミラは立ち上がった。ちょうどその時シーボルトがみんなのようすを見にきた。彼はシャルミラを見て「いけませんよ!」とあわてた。

「でもたんこぶはなくなったぞ」

「そんな早くになくなったりしません! それに脳の方が心配です。本当なら二、三日はおとなしくしていませんと……」


 そこにばたばたとかけこんできた人たちがいる。


「シーボルト先生! 子どもが……この子が石垣から落ちて、頭から血が……! どうかみてやってください」

 確かに、母親の腕の中で目をつぶっている小さな女の子が、額から血を流している。


 血。

 血の色。

 血のにおい。

 また、頭がしびれる。

 何があった? どうして今……農作業のための刃物のことを思い出している?


「リイ、今のうちに出よう」

 シャルミラが僕の手を引いた。

「ああ、だめですよ、患者さん!」

「これは治療費だ。世話になった。ありがとう」


 シャルミラはつかつかと鳴滝塾を後にした。

 誰もいない坂道に出る。シャルミラは髪を結い直そうと手をかかげたが、突然後ろから声がかかった。


「オイオイ、またそんなことやってんのか、シャルミラよ」

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