第4話 伝統工芸を愛する職人

 世界一長いというナイル川のほとりを、僕たちはぶらぶらと歩いていた。


「フフ……この時代だとまだ庶民の食文化がそれほど豊かではなくてね。食べにくかったかな」

「別に、僕は食べられる物なら何でもいい」

「ふむ、そうか」


 今出てきた店で出された平たくて丸いパンは、確かに固くてざらっとした食感だったし、ビールと呼ばれていたものはどろどろしていて妙な味がしたが、お腹がふくれるなら何の問題もない。あと、シャルミラが言うには、国と時代によっては子どもがお酒を飲んではいけないらしいけど、ここ紀元前十四世紀とかいう時期のエジプトでは、子どもがビールを飲んでも問題ないそうだ。


 古代エジプト新王国の町、テーベ。

 古いのに新しいとはどういうことかと問うと、エジプトは歴史が長すぎるので、前後の時代と比べるとそう呼ぶしかないのだと言われた。


「もっと昔の、別の町だったら、造り立てのピラミッドとかが見られたんだけどね。やはりそちらの方が良かったかな」

「ピラミッドって何?」

「とても巨大な三角形をした、世界的に有名な建造物で、ファラオの墓のことだ」

 ファラオというのはエジプトの王様を意味すると、さっき僕は教わっていた。

「この時代のこの町にピラミッドは造られていない。墓からものを盗む事件が多発しているから、ファラオの墓は川の対岸の、目立たず隠れた場所に造られるようになった。代わりにファラオの権威を示すものとして、神殿が造られているというわけだ」


 僕たちは食事の前に、「イペト=スゥト」またの名を「カルナック神殿」という場所を訪れていた。一般人に公開されているのは神殿の手前側のごく一部だけだったが、壁とか柱に描かれたレリーフを眺めたりはできた。レリーフとは、輪郭線を彫って絵を浮き彫りにしたもののことらしい。カルナック神殿のレリーフはきれいに彩色してあった。


 ちなみに今の僕のかっこうは、白い麻布の腰巻きに、ぺらぺらしたサンダル。シャルミラは同じく麻布の、筒状のワンピース姿。薄茶の髪は頭の後ろで三つ編みにしてあったが、以外と目立つ。これまでにすれ違った女性はみんな、髪の長さが肩より上と短めだった。そして確かに、褐色肌の人がそこそこいる。

 そんな往来の真ん中でシャルミラは立ち止まった。


「うん、この辺はもう良いかな」


 そしてナイフで空間を縦長に切り裂いた。パッと切れ目が円形に広がる。

 砂漠の中にある、泥を固めたもので造られた町が目に入った。


「ちょっと移動するよ。あちらの町は、アケトアテン、別名アマルナと言う。この国の首都さ」

「え? 僕、こっちが……テーベが首都だと思ってた」

「一昔前はね。今だけ特別だ。さあ、おいで」


 シャルミラは僕の手を取って、穴をくぐりぬけた。目の前にそびえるのは、二つの台形の壁と、長細くて四角い塔。どうやらこれも神殿らしい。

 それはさておき。


「あの、シャルミラ。時空移動って、周りにびっくりされないの? 急に人が消えたりしたら、変だと思うけど」

「そこは、周囲の人間が違和感をいだかないよう、錯覚を起こさせる仕組みになっているよ」

「……都合がいいんだね」

「ネフ様の計らいだ」

「ネフ?」

「私の上司だよ。天使たちを統括し、力を与えて下さる」

「へえ」

「それよりも、見なさい、このアテン大神殿を。美しいだろう」

「アテン大神殿」


 テーベで信仰されていたのはアメンという神だと聞いた。長い二本の棒を頭にかぶった人間の姿の神で、レリーフにもたくさん描かれていた。


「アテンってのも神様?」

「うん。今のファラオであるアクエンアテンがそう定めた。彼はアテン以外の全ての神の存在を否定して、アテンだけが唯一の神だと決めたんだ」

「ええ!?」

 僕は、カルナック神殿で見た他の神様たちを思い浮かべた。人の姿だったり、頭だけ動物の形をしていたり、さまざまな神様がいたはずなのに。

「何で急にそんなことを」

「本人に会ったことがないから分からないな。ただ、アメンの元で権力を握っていた神官たちをどうにかしたかったという説が有力だ。何しろ、都をここに移したというのに、神官は全員テーベに置いていかれている。その上、アテンはファラオとその家族としか交流しない神なのだと定めて、神官の入り込む余地をなくした」


 シャルミラは台形の壁に近寄り、レリーフの一部を手で示した。

「ごらん。これがアテン神だ」

 絵の中では、立派な服を着た人が、片膝を立ててしゃがみ込んで、ひじをゆるく曲げて両手のひらを向けるという、礼拝のポーズを取っている。その手の先にあるのは、ごく単純な形をした絵だった。

 まず、赤く塗られたまん丸の図形がある。その下からは何本かの直線が伸びている。線の先には不思議な形をした謎の道具がついている。

「……この、丸くて線が生えてるのが、アテン?」

「そうだよ」

「他の神様たちとは全然違うというか……何か、落書きみたい……」

「フフ……。一応、太陽の形を表しているそうだぞ」

「変なの」

「それと、この人間たちの方もよく見ておくといい。みんな横を向いているだろう」


 横にいるアテンをあがめているのだから当たり前だ、と思ったが、あることに気づいて僕はレリーフを見直した。


「確かに横向きだ……」


 カルナック神殿の方では、人も神もみんな、顔と足を真横に向け、胴体は正面を向けるという、一風変わった描き方をされていた。それがここでは、胴体もちゃんと同じ方向を向いている。それに、こちらの方が曲線を多用していて、より自然に近いような印象を受ける。


「テーベで見てきた方の描き方は、古来からずっと変わらない、エジプトの伝統的なスタイルだ。二千年以上はあの描き方をしていたんじゃないかな、確か」

「二千年!?」

「その長い長い伝統を、アクエンアテンは破った。大胆なことだよ。ただ、あまりに急に色んなことを変えたものだから、周囲になかなか受け入れてもらえなくてね。彼の死後は、おおむね全てが元のやり方に戻された。新しい神も、新しい絵も、新しい都も、なかったことにされたんだ。だからこの絵は今しか見られない」

「へえ」


 アテン大神殿は一歩も中に入れないそうなので、僕たちは門前で一度礼拝のポーズを取ってから、町の方に歩き出した。

 日差しがきつい。

「リイ、ちょっと口を開けてごらん」

「え、口?」

 僕が聞き返した途端に、いきなり冷たい水が口の中に飛び込んできた。

「ガボボ!!」

「君の殻はそれなりに頑丈だが、私よりはもろい。ていねいに扱わなくてはね」

 僕は激しく咳き込んだ。

「こ、これ、ゲホ、ていねいって言うかなあ!?」

「フフ……倒れないよう気をつけることだ」

 気づかいはありがたいが素直に喜べない。僕は苦労して息を整えた。


「ねえ、シャルミラ、どこ行くの。僕、まだ何にも思い出さないし、多分この時空はハズレだよ」

「まあもう少し待ちなさい。まだ、ここにどんな人々が住んでいるかは見ていないだろう」

「それ、大事?」

「もちろんだ。そちらの方が君の記憶に近いはずだからね。他人に無理に話しかけなくてもいいが、見るだけ見ておこう」

「……分かった……」


 僕たちは、四角い小さな建物が並んでいるところまでたどり着いた。シャルミラはとある店の前で立ち止まった。建物には文字が書いてあるが、よく読めない。というのも、この文字が意味するモノを僕は知らないし、文字がそもそも発音を完全には示していないのだ。

「チ……何?」

「チェヘネト屋だ」

「何それ?」

「工芸品の一種で、ガラスと陶器の中間みたいな焼き物のことだよ。ここではきれいな青色をしているものが多い。ちょっと見てみるか」

 シャルミラはずかずかと店内に入った。僕も遠慮がちにおじゃまする。

 誰もいない。奥の方は工房だろうか、ずっと物音がしている。

 僕はそろりそろりと足を運んで、台の上に置かれている青色の物体を見ていった。

 首かざり。器。小さな人の像。小さな動物の像。全部、真っ青で鮮やかだ。


「おうおう、外国人のお客さんかい」

 工房の方から声がしたので、僕はびくっとしてシャルミラに一歩近寄った。

 出てきたのは、白髪混じりの男の人だった。

「こっちの言葉は分かるかい」

「分かるよ」

 シャルミラはほほえんだ。

「そうか。どっから来た?」

「ミタンニ」

 どこだそれは、と思ったが、僕は黙っていた。

「ミタンニ? そりゃ、今の王妃様がお生まれになった国じゃないか。長旅じゃあないのかい」

「確かに遠かったが、心配には及ばないよ。エジプトに着いてからは、船で川を上ってきたからね」

 前々から思っていたが、シャルミラは流れるようにうそをつくことがある。もちろん、時空移動をして来た、と伝えるよりはだいぶましではあるが。


「そうかそうか。んで、何だって途中で船を降りたんだい? 行き先はテーベじゃないのか?」

「おや、今はこちらが首都だと聞いたが?」

「ま、そりゃあそうだがね、まだまだ出来立てだから見るもんも少ないよ」

「問題はないよ。ここのチェヘネトは質がいい。だからここもきっといい町なのだろう」


 ほめられた男の人はちょっとにやけていた。


「そうだろうそうだろう。おい、お前さんにも分かるか、ぼうず」

「あ、えと、僕は……」

 たじたじになってシャルミラにもう一歩寄ったが、男の人は近づいてきた。

「こういう上質なチェヘネトはな、ターコイズやラピスラズリなんかの代わりになるから、欲しがる客が多いんだ。ぼうずは、何か気に入ったものがあるかい?」

「……」

「この人間の像は小さいのに精巧だね」

 シャルミラがすぐに会話を引きついだ。

「ここまで細かい作品は珍しいと思うが」

「ああ、それはファラオ様のご要望だ。何でも写実的に、本物のように作れとのことだから、俺も苦心している」

「しかし、それで売れるのか?」

「大もうけとは言わんが、物好きの貴族や商人なら買っていくね。テーベの神官たちにゃ受けが悪いだろうが、しばらくはここでやってみるさ」

「ふむ。君自身には抵抗はないのかな。伝統的な工芸品を変えてしまうことに」

「特にないね。常に変化を続けてきたからこそ、伝統として今も残ってるってこった。新しいことに挑戦すりゃ、それだけ技にもみがきがかかる。真に伝統を重んじるってのは、探求と進化を続けるってことなんだよ」

「フフ……。いいね。見かけによらず、若々しい感性だ。だからこそ作品も美しいのだろう」


 僕は二人の会話を黙って聞いていた。男の人は、メンナという名前らしかった。シャルミラは、メンナをほめそやしつつ、何だかんだでチェヘネトは買わない方向に話を持っていった。


「構わんよ。宝石じゃないとはいえ、チェヘネトも高価だ。旅の人なら手持ちにも限りがあるからね。子ども連れなんだ、不便をかけるようなことはしちゃいかん」

「そう言ってくれると気が休まるよ。ありがとう」

「これからテーベに行くのかい」

「ああ、そのつもりだ」

「あっちもいいところだ。古めかしいが、にぎわいがある。ぼうず、色んなものを見て、よく勉強してきな」

 僕は頷いた。もうテーベは見てきたけれど。


 僕たちはメンナにさよならをして、店を出た。またぶらぶら歩きかな、と思っていたら、数歩ほど進んだところで、僕の胸元でポンッと何かがはじける音がした。

「わっ」

 僕はのけぞった。とっさに出した手のひらの上には、なぜか赤いものがちょこんとのっていた。

「何だろう……かご?」

 高さが小指くらいしかない。赤くて細い材料で編まれていて、白い差し色がアクセントになっている。底は平たい円で、側面は上に向かってやや広がりを見せる。とんがり頭のふたもついているので、中に何かあるのかと思ったが、小さいくせしてなかなか開かない。

 僕はシャルミラを見上げた。


「これ、何?」

「知らないな」

「え? シャルミラが出したんじゃないの?」

「『物体生成』のことか? 私は使っていないぞ。リイが出したんじゃないかな」

「僕が? まさか!」

「私と行動を共にする時空の迷い子は、たまにこうして、理屈では説明のつかない不可解なことをやってのける。なぜなのかは私にも分からない。だがその小さいのは、リイの記憶を取り戻すのに重要なアイテムである可能性が高い」

「……でも僕、これ知らない」

「残念ながら私も知らない。リイの場合、忘れているだけだと思うが」

「シャルミラも知らないことがあるんだ」

「あるよ。この世界のあらゆることを五千年分も丸暗記はできていない」

「そうなんだ」


 ようやくふたが開いた。中身は空っぽだった。僕は拍子抜けして、ふたを閉めた。

 シャルミラはずっとのぞきこんでいた。


「ふたの先に輪っかがついているな。そこにひもを通して使うんじゃないか? それだけ丈夫なつくりなら、おそらくふたをぶらさげるだけで本体もついてくるだろう」

「うん……」

「はい」


 シャルミラは細いひもを出して、輪っかに通し、僕の首の後ろで結んだ。僕の胸の辺りで、かごがゆらゆらとゆれている。


「良かった、一つ収穫だな」

「収穫がないと次に行けないの?」

「そういう決まりはないが、何も分からないよりはいいだろう?」

「うん……」

 僕はかごを見つめた。

「でもこれ、エジプトとは関係なさそう」

「そうだな。しいていえば、工芸品の一種ではあるようだが……この時空のものではなさそうだ」

「……というかシャルミラは、どうしてこの時空を選んだの? アケトアテンはすぐになかったことにされるって言ったよね。だったらここのことを僕が知ってる可能性は、あんまりなさそうなのに」


 シャルミラはどこか遠くを見つめた。


「……エジプトの歴史は長い。だから時空の迷い子の出身地である可能性も高く、これまでに何度も訪れてきた。だがこの、短くも歴史に残る有名な時期を、訪れたことがなかったと気づいてね。一度見てみたくなったのだよ」

「つまり、シャルミラが行きたかっただけってこと?」

「そういうことだな。結果的にはそれが手に入ったし、来て良かったよ」

「……」

「フフ……悪かったね。次からはもう少しまじめに選ぶとしよう」

 そう言うとシャルミラは、腕を組んで考え込んだ。

「うん、決めた」

「……どこ?」

「日本。知っているかい?」

 僕は首をかしげた。

「知ってるような、知らないような」

「中国とは海をへだてておとなりどうしだ。さ、行こうか」


 シャルミラはナイフをふりかざした。

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