第3話 遠くから来た航海士

 シャルミラが作った円の向こうを、僕は少し離れたところから見物した。


 町の中を川が流れているようだ。一つ、橋がかかっている。向こう岸には、四隅に高い塔のある立派な建物が見えた。

 手前側には石で舗装された道があり、これまた大勢の人が行き来していた。また人混みか、と僕はうんざりした。


「これがイギリス」

「うん。全盛期を迎える少し前のイギリスの首都、ロンドンだ」

 シャルミラはひょいっと円に顔をつっこんで、町の様子を見た。

「ふむ、雨ではなく曇りか。ラッキーだな」

 そう言って迷わず踏み出す。その瞬間にシャルミラがパチンと指をはじくと、シャルミラと僕の服装ががらりと変わった。


 シャルミラは赤褐色のドレス姿だった。袖などは簡素な形で、首周りには少しひだがついている。スカートの部分は腰の辺りがふんわり膨らんでいた。髪の毛はぎゅっと後ろに引っ張られるようにしてまとめられている。

 動きづらそうな格好だが、シャルミラはどんどん歩いていってしまう。僕は慌ててシャルミラの後を追った。びくびくしながら、周りを歩く人々を観察する。


 大半の人が、やたら白っぽい肌をしていた。顔立ちはくっきりしている。それから、髪の色がそれぞれ違う。黒や茶色や赤茶色や金色など様々だ。あと、男の人はだいたい、髪が短いようである。

 服装に目をやると、多くがシンプルな形の上着と半ズボンを着用していた。脚の下半分を覆う服は、ぴっちりとしてきつそうだった。

 そんな人々の間にちらほら混じるのは、鮮やかな色のドレスの女性や、複雑な形の服の男性である。男性の服は、ズボンの太ももの部分が両足ともまん丸にふくれているのや、靴の先がとがっているのが特徴的だった。布を多く使っているようだから、多分あれを着られるのは身分の高い人なのだろう。


 僕のズボンもまん丸だった。赤とか黄色とか、派手な色の布がたくさん使われた服装だ。えらい人の子どものふりをするのかと思うと、少し緊張する。僕は何となく、自分の長めの黒髪をなでつけた。髪型は中国にいた時と同じらしい。


 すたすたと町の中を進んでいたシャルミラだったが、突然立ち止まって僕を振り返った。

「な、何」

「今回は君が、話し相手を決めてごらん。適当でいいから、気になる人を見つけてくれ。誰にする?」


 僕はぽかんと口を開けた。困惑しながら、周りの人々とシャルミラとを見比べる。


「そんなこと言われても……」

「ん? 難しいか?」

「……僕、人間は、……き、嫌いだから」

「おや。そうなのかい?」

「うん。だって、僕が大事なのは、たった一人の子だけで……。それ以外の人間はみんな嫌い」


 うつむきがちになりながらも、僕ははっきりと言った。怒られるだろうか、と思ってシャルミラをちらりと見上げると、彼女はかすかに目を細めた。


「そうか。ではここでは、町を歩いて回るだけにしよう」

「え、いいの?」

「何でもいいよ。気になる人がいたら言ってくれればいいし、いなかったら何もしなくていい。多くのものを見聞きするだけでも、君のためになるからね」


 シャルミラはまたずんずんと歩き出した。町を行く人はみんな忙しそうだ。時折、馬車が現れて、ガラガラと大きな音を立てながら通り過ぎていく。やがてシャルミラは川にかかる橋までたどり着き、その橋を渡り始めた。

 僕は少しだけ気になっていることを質問してみた。


「ねえ……さっき言ってた、イギリスが多くの人とかかわってるって、どういうこと?」

「イギリスは世界中に植民地をたくさん作って支配するからだよ。リイは、植民地とは何か分かるか?」

「知ってる。差別されて、支配されて、働かされて、お金を取られちゃうところ」

「……まあ、だいたい合っている。今の時代はまだそれほど苛烈ではないが、もう少し経つとイギリスの植民地はとてもつらい状況に置かれる」

「そうなんだ」


 橋を渡り切った僕たちは、四つの塔があるお城の方向へと向かった。城の前に立ち、シャルミラはうんうんとうなずいた。

「よろしい。やはりいつ見てもすてきな塔だ」

「ふうん……」


 僕はしばらく城を見上げた。建築物の良し悪しなどは判断しようがない。そこで、何となく道ゆく人々をながめ始めた。別に人間なんて見たところで大して面白くもないけれど、と思った時、ひときわ目を引く人物が通りかかった。

 僕の心臓がドクンと鳴って、頭の中がしびれるような奇妙な感覚が走った。


「ね、ねえ、シャルミラ」

「うん?」

「あの、あの人は、肌の色が周りの人と違う」

「えー、あー、あの男か。そうだな。褐色をしている」

「どうして?」

「それは、聞いてみないと分からないな」

「へえ……」


 僕は不思議な気持ちで、遠ざかっていく男性を見ていた。彼も丸いズボンをはいているから、おそらく少しはお金持ちなのだろう。

「彼のことが気になるか?」

 シャルミラは問いかけた。

「話しかけてみようか」

 僕はしばらく考え込んだが、人間への嫌悪感よりも好奇心の方が勝った。

「……そうする」

 僕は小さくそう言っていた。

「分かった」

 シャルミラは男の背中に手のひらを向けた。

 それからふいっと方向転換をして、城の前から去り、何故か近くにあった酒場に入店した。


「話すんじゃなかったの?」

「大丈夫。仲良し念波は、相手をこちらに誘導する効果もあるんだ。無理に話しかけなくても、向こうから勝手にやって来るよ」

「ふーん」


 シャルミラは長机の前に置かれた椅子に座った。僕はそのとなりの椅子によじ登った。


「エールを一つ、コップを二つ。それからチェダーチーズを一皿、頼むよ」

 シャルミラは店員に注文した。

「はいよ」

「お代。釣り銭は結構だ」

 チャリンと硬貨を渡されて、店員は目を丸くした。僕はシャルミラを見上げた。

「エールって何?」

「うーん、ビールの仲間みたいなものかな。ビールは分かるかい?」

「分かる」

「ビールとは違うところが多くあるが、一番はアルコールかな。エールのアルコール度数は非常に低い。人々は水の代わりにエールを飲むくらいだ。そこいらの水をそのまま飲むよりよほど安全だからね」


 話していると、さっそくエールの入った大きな容器が提供された。金属製のコップも渡される。このコップに自分でエールを注いで飲む形のようだ。

 そして、木の皿に山盛りのチーズも出された。


「おや……こんなにたくさん、いいのかな」

「サービスだよ」

「そうか。ありがとう。リイ、好きなだけ食べな」

「シャルミラは?」

「私は食事を必要としない体をしているからいいんだ」

「へえ……」


 僕は四角く切られたチーズを口に入れてみた。固そうだと思っていたが、舌の上でほろほろとほどけるような食感である。少し酸味があっておいしい。僕が無心になってチーズをむさぼっていると、酒場のドアが開いた。立っていたのは、さきほどの褐色肌の男だ。本当に来た、と僕は思った。

 彼はシャルミラのとなりに座った。エールを注文すると、気さくに話しかけてきた。


「こんにちは。女性と子どもが二人で酒場にいるとは珍しいですね」

「こんにちは。まあ、色々あってね」


 僕はチーズを口に運びながら、シャルミラ越しにそっと男を見ていた。


「うん? 坊や、僕の顔に何かついてます?」

 僕は慌てて首を振った。

「フフ……」

 シャルミラは笑った。

「もし失礼に当たるならば申し訳ないが、この子は君の肌の色が珍しいと思っているんだよ」

「ああ」

 男は気にした様子もなく頷いた。

「まあ確かに、褐色肌のイギリス人は、数は多くありませんよね。でも、すごく珍しいというほどでもないでしょう。ロンドンの繁華街を歩けば、数人くらいは見つかるんじゃないですか?」

「そうだね、その通りだ」

「それにあなたたちだって、アジア系の顔立ちではありませんか」

「フフ……。お互い、少数派どうしということだね。ここで会ったのも何かの縁だ、仲良くしよう。私の名はシャルミラ。この子はリイという。よろしく」

「よろしく。僕はアフメドと言います」

「ふむ。よければ、君がロンドンにいるわけを教えてくれないか」

「構いませんよ」

 アフメドはにっこり笑って、運ばれてきたコップにエールを注いだ。一口飲んで、話し始める。


「僕は北アフリカのサアド朝……モロッコと言った方が分かりやすいかな、そこで生まれました。父はアラブ人、母はベルベル人です。どちらの民族も、一般的に肌は特別に黒くはありません。一般的にはね。でも、ベルベル人はアフリカ各地を移動して生活していますから、色んな民族と結婚してきました。たとえば僕の母方の祖父は、僕よりももっとずっと黒い肌をしています」


 僕はチーズを食べる手を止めて、じっとアフメドの話に耳を傾けていた。


「僕の父はモロッコを起点にヨーロッパと商売をする船乗りです。僕もよく父と一緒に船に乗って、知識や技術を学んでいました。大きくなってからは自分の船を持つようになりまして、父の手を借りずに商売をやり始めました。ところが残念なことに、僕は商売の方が上手ではなかったようで。なかなか稼げず、悩みながら偶然イギリスに寄港した時に、今の妻と出会いました。僕は彼女を幸せにするために、船での商売の他にも仕事を持つことに決めて、ロンドンに移り住みました。それで妻とも結婚できて、子どもも授かって、何だかんだ暮らしています」

「なるほど。ちなみにその、他の仕事というのは何かな」

「イギリス海軍の傭兵になることですよ」


 アフメドは少しばかり胸を張った。


「国から募集がかかったら応募して、イギリス海軍の船に乗ります。僕は商売とは違って船を動かすのは得意ですから、航海士かつ傭兵隊長として、重宝されているんですよ。おかげで高い給料が出ます。普通の水兵よりうんと高い給料がね。まあ、普通の水兵といっても、海賊やら何やらの出身の荒くれ者が多くて、手を焼くんですが」

「へえ、興味深い経歴だ。しかし傭兵ということは、戦争に出るのだろう? 死の危険もあるのに、よく決断したね」

「妻と子を養うためですから」

「フフ……愛ゆえの選択というわけか」

「そういうことです」


 僕はまじまじとアフメドを見た。

 この人は子どもに優しい親なんだな、と僕は考えた。覚えてはいないが、どうやら僕の親は優しくなかったようだから、ほんの少しだけアフメドの子どもがうらやましい。


「とはいえ、不安もありますけどね。近ごろイギリスはスペインとの仲が悪いでしょう? 今に戦争になると、みんなうわさしています。スペインの海軍は非常に強いそうですから、果たして僕は生きて帰れるか……。まあ、仕方のないことです。もし僕が死んだら、エリザベス女王陛下が、残された妻と子どもに多額のお金をくれるはずです」

「なるほどね」


 アフメドはエールをぐいっと飲んで、おかわりを注いだ。


「まあ、僕の話はこれくらいのものです。次はあなたがたの話が聞きたいですね。アジアはどんなところですか?」

 シャルミラはほほえんだ。

「ああ、いいよ。しかしアジアといっても実に色々な地域があってね。一言ではとても語れない。だが、私が来たところは──」


 シャルミラが話し出した時、ガランガランガラーン、とけたたましいベルの音が外の方で響き渡った。僕はびくっとしてシャルミラを見上げた。シャルミラは話を止めてアフメドを見ており、アフメドは心配そうな様子で店のドアを見ていた。

「緊急のお知らせがあるようですね……。話を聞きに行った方がよさそうです」

「そうだな。いったん、外に出よう」


 僕とシャルミラとアフメドは店から外に出た。橋の方に人だかりができている。台にでも乗っているのか、大きなベルを持った男が一人、人々の間から顔を出している。彼は思いっきり息を吸い込んだ。


「エリザベス女王陛下より知らせである! このたびスペインとの本格的な交戦が決定した! したがって、兵を募集する! イギリスを守るため勇敢に戦う名誉を得たい者は、進んで応募するように! 繰り返す! エリザベス女王陛下より──」


 僕は心配になってアフメドを見上げた。

「言ったそばからこれだね」

 シャルミラは苦笑していた。

「アフメド、君は応募するのかい」

「もちろんですよ」

 アフメドは決然として言った。

「早く応募しなくては。その前に、家族に話をして……」

「まあ、そう焦るな、アフメド。ひどく思いつめた顔をしているぞ。ここは、店に戻ってエールを少し飲んで、気持ちを落ち着かせてから家に向かうと良い」

「そ、そうかもしれません」

 アフメドは何度か深呼吸をした。

「ふう……。確かに僕は慌てていました。このまま家に帰っては、家族を心配させてしまう。あなたの言うとおりにしましょう、シャルミラ」


 僕たちは一緒にエールを飲んで一息ついた。


「やれやれ、おかげさまで冷静になれましたよ。ありがとうございます」

「どういたしまして」

 シャルミラの横で、僕はアフメドに話しかけたくてもじもじしていたが、勇気を出して、チェダーチーズが半分以上残っている皿をアフメドの方に差し出した。

「これ! 残り全部、アフメドにあげる!」

「え?」

 アフメドが僕の方を見る。僕は一生懸命にしゃべった。

「アフメドと、アフメドの家族にあげる。僕は何も持っていないし、これだってシャルミラのお金で買ったやつだけど……食べていいよ。だから、その……死なないでね」

「ああ」

 アフメドは破顔した。

「それはありがとう。あなたの気持ちは確かに受け取りました。しかし、皿ごともらうわけにはいきませんね。店主に怒られてしまう」

「では、私からは麻袋を贈ろう」

 シャルミラはまたどこからか袋を取り出した。

「これにチーズを入れて持って帰るといい」

「おや、それは助かります。しかし、なぜそんなものを持ち歩いているんです?」

「たまたまだよ」


 僕とシャルミラは、家へと急ぐアフメドを見送った。また店に戻ってエールを飲みながら、シャルミラは言った。


「リイは、人間は嫌いではなかったのかな」

「ん? 嫌いだよ」

「しかしアフメドには親切にしていたね」

「あ……うん、そういえばそうだね。何か力にならなくちゃって思って……」

「なぜだろう」

 僕はシャルミラからわずかに視線を外した。

「なんか、認めたくないけど、世界にはああいう優しい大人もいるんだなって知って……少しだけ考えが変わったかもしれない」

「フフ……。そうかい。それは良いことだよ。生きていく上で、人間が嫌いでいるよりは、好きでいる方が便利だからね」


 シャルミラは容器から残りのエールを僕のコップに全て注ぐと、束の間、目を閉じた。


「ところでリイ、君は、肌の色が気になったから、アフメドと話そうと思ったんだね?」

「うん。多分そう」

「ふむ。……それなら一度、別の大陸にでも行くか」

「別の大陸?」


 シャルミラは悩ましげに天井を仰いだ。


「肌が褐色の人が多そうな場所に行けば、何か分かるかもしれない。問題は、いつのどこにするかだが」

「どうするの?」

「まあ、適当でいいか」


 また適当か、と僕は呆れたが、黙っていた。シャルミラは立ち上がった。


「とりあえず、疲れただろう。ここの店は宿屋も兼ねているようだから、部屋を貸してもらって泊まることにする。しっかり休むんだよ。明日からまた、冒険の続きが始まるのだからね」


 かくして僕は、明日どこに飛ばされるか分からないまま、眠る羽目になった。

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