無名夜行 神話の生まれた日

青波零也

神話の生まれた日

「いやあ、旅人さんに手伝ってもらえて助かるよ」

「俺たちだけじゃさっぱり進まなくて困ってたんだ」

「見ず知らずの我々にここまで親切にしてくれるとは」

「本当に素晴らしい旅人さんだ、この仕事が終わったら、是非とも私の家に来てくれ。歓迎するよ」

「いえ、その……。お役に立てているなら、嬉しいです」

 陽気に語り掛けてくる『異界』の住人たちに、Xはごくごく控えめに返す。ほとんど呟きのような低い声は、果たして住人たちにきちんと届いていたのだろうか。つい、ディスプレイ越しに見ているだけのこちらが不安になってしまう。

 普段はどんな『異界』に行っても淡々と己のペースで振舞うXは、しかし時折妙にシャイな一面を見せる。特に、率直に褒められることに慣れていない、ということは、最近になってわかってきたことだ。

 確かに、人殺しの死刑囚が手放しに褒められる機会など、そうそうないのかもしれないが。

「次は、何をすればいいですか」

 次々と投げかけられる親しげな言葉の間に、何とか質問をねじ込むX。住人の一人が「それじゃあ」と傍らの箱を指す。表面だけ見ても何の素材かはわからないが、見るからにずっしりとした重みを感じられる、一抱えほどの立方体。それが、山のように積みあがっている。

「あれを、上まで運んでもらえないかな。なかなか手が回らなくて」

「わかりました」

「重いけど、旅人さん一人で持てるかな」

 心配そうに言う住人の前で、Xは箱に手をかけ、――軽々と、持ち上げてみせる。

「少し持ちづらいですが、重さは、問題ありません。これを全部運べば、いいですか?」

「お願いしてもいいかな」

「もちろんです」

 頷くXに、住人たちが口々に感謝を述べて、それぞれの仕事に戻っていく。

 それを確認したXが深々と息をつく。観測しているのが「Xの視界」である以上、私がXの表情を窺うことはできないが、やっと解放された、とでも思ったのかもしれない。彼らの前でそういう顔を見せることはないだろうが、ありそうな話ではある。Xは穏やかで丁寧な人物ではあるが、人付き合いそのものに苦手意識があるようだから。

 ともあれ、Xは「よし」と低く呟いて、不思議な素材の箱を抱え上げる。難なく抱えているように見えるが、もし、そこにいるのが私ならば持ち上げることすら難しいに違いない。いくら『異界』に投影されてるのが肉体を伴わない意識であるとはいえ、意識体の身体能力は『こちら側』で認識する「自分自身」に依存する。つまり『こちら側』でできないことは、ほとんどの場合『異界』でもできない。故に、これはどこまでもXの実力ということだ。

 箱を抱えたXは、木で組まれた簡素な階段を足早に上っていく。視界を上に向ければ、天に向かう長い長い階段の果てに、人型の――ただし、かろうじて人の輪郭であるとわかるだけの、極めて曖昧な形をした――巨大な像が築かれている。まだ作られている途中なのだというそれを、Xはやや瞼を細めて見つめる。

 ――神様の像を作るのだ。

 始めに、一人の『異界』の住人がXにそう説明した。

 この土地は災害に見舞われやすいらしく、そのたびに壊滅的な被害を被ってきた。それは、天に座す神に自分たちの願いが届いていないからに違いない、として、神を象った巨大な像を築き、この土地の守護を祈るのだという。

 偶像の扱いは『こちら側』においては宗教によってさまざまなわけだが、この『異界』の住人にとっては、偶像を作ることこそが、彼らの信ずる神への貢献であるらしい。

 もちろん、Xは彼らの信仰など知ったことはないだろう。Xは神を信じていない。存在を疑うというより、「神が自分たちを救ってくれる」ことに懐疑的というべきか。XにはXなりの経験があり、経験から導いた主義主張がある。しかし、彼らの信仰を頭ごなしに否定するほど愚かではないし、困っている住人たちを目にすれば手を貸さずにはいられない。そういうことだ。

 早くしないとな、というXの呟きがスピーカーから聞こえてくる。Xが『異界』に留まっていられる時間には限りがあり、その間に、せめて自分に課せられた仕事は終わらせよう、と考えているに違いない。元より遅くもなかった足取りが、さらに速度を増す。重たい荷物を抱えたまま、もはやほとんど駆け上がるように、階段を踏みしめていく。

 Xは肉体労働が得意だ。別に頭脳労働も苦手ではないようだが、己の体を使っている時が一番生き生きしている。

 そのようにXという人物を認識しているのは、私だけだろうか。

 

 

 ――『異界』。

 ここではないいずこか、此岸に対する彼岸、この世から見たあの世、もしくは、いくつも存在し得るといわれる並行世界。それが「発見」されたのはそう最近のことではない。昔から「神隠し」と呼ばれる現象は存在しており、それが『異界』への扉をくぐる行為だということは一部の人間の間では常識とされていた。

 だが、『異界』が我々を招くことはあれど、『異界』に対してこちらからアプローチする手段は長らく謎に包まれていた。

 そのアプローチを、ごく限定的ながらも可能としたのが我々のプロジェクトだ。人間の意識をこの世界に近しい『異界』と接続し、その中に『潜航』する技術を手にした我々は、『異界』の探査を開始した。

 もちろん『異界』では何が起こるかわからない。向こう側で理不尽な死を迎える可能性も零とは言えない。故に、接続者のサンプルとして秘密裏に選ばれたのが、刑の執行を待つ死刑囚Xであった。

 彼は詳細をほとんど聞くこともなく、我々のプロジェクトへの参加を承諾した。その心理は私にはわからないが、Xは問題なく『異界』の探査をこなしている。

 寝台に横たわる肉体を残して、Xの意識は『異界』に『潜航』する。Xの視覚は私の前にあるディスプレイに、聴覚は横に設置されたスピーカーに繋がっている。肉体と意識とを繋ぐ命綱を頼りにたった一人で『潜航』するXの感覚を受け取ることで、私たちは『異界』を知る。

 とはいえ、それがXの感覚に依存する以上、Xが目にしたこと、耳にしたこと、そして彼自身が選択した行動から導かれる結果しか観測できないのも確かで。

 結局、かの『異界』では、頼まれるがままにひたすら力仕事をして終わった、という記録だけが残ることとなった。まあ、Xが「少しでも、役に立てたようで、よかったです」と満足そうにしていたので、よかったことにした。彼の満足は大事なことだ、異界潜航サンプルのモチベーションは、以降の『潜航』の成功率にも関わるから。

 

 

 そう、その程度に思っていたのだ。

 偶然――、本当に偶然に、もう一度、同じ『異界』に挑むことになるまでは。

 

 

 前提として、『異界』と『こちら側』の位置関係は常に変動しており、我々が観測できるのは無数の『異界』のうち、『こちら側』に限りなく接近しているものだけである。故に、一度『潜航』の対象となった『異界』をもう一度観測できる可能性は、皆無に近い。同一時空上の宇宙ですら人の手の届かぬ彼方まで広がっているのだ、別の時空まで含めてしまえば、それこそ「天文学的」なんて言葉でも済まされない規模の話になる。

 故にそれは、偶然ではなく「必然」であったのだ。私は確信する。

 そう、この『異界』がXを呼びよせたのだ、と。

「ええ……?」

 スピーカーから響くXの声は、隠しようもない困惑。その気持ちは、まあ、わかりはする。ただ、私はXではないので、それを目の当たりにした彼に心から共感することはできないだろう。できてたまるか、と思う。

 そう、天に向かって聳え立つ「自分の像」を目にしたⅩの真の気持ちなんて、理解できるはずがないのだ。

 改めて、落ちついて、正確に表現してみよう。

 Xが降り立ったのは、『異界』の住人が行き交う街中の広場であり、広場の中心でXの視界いっぱいに映っているそれは、黄金に輝く、精緻なつくりの偶像であった。前回の『潜航』で観測していたのは、かろうじて「人型」だとわかるだけの曖昧な輪郭の像だったが、どうやら今回の『潜航』までにこの『異界』の中でもいくばくかの時が流れ、その間に像が完成していたらしい。

 問題はその見た目である。黄金の偶像は、タンクトップ姿に――そういえば、前回の『潜航』では、途中ですっかり汗を吸ったトレーナーを脱ぎ捨てていたな、と思い出す――余裕のあるつくりのズボンを履き、裸足にサンダルをつっかけた男性の姿をしている。天に向かって掲げられた腕は、それはもうみっしりと筋肉に覆われていて、剥き出しの肩やタンクトップから覗く胸元を見ても、よく鍛えられていることがわかる。ちなみに、Xの唯一の趣味は筋トレであり、そう誇張された表現でもないことを、私はよく知っている。

 そして、太陽の光をさんさんと浴びて煌めく頭部は、いがぐり頭に無精髭という特徴以外はうすぼんやりとした、偶像にするには冴えない印象の、どこにでもいるような中年男性の顔をしている。

 うん、どこからどう見てもXだ。よくできている。よくできすぎているのも考え物である。

「おや、旅の人ですか、珍しいですね」

 呆然とするXに目を留めた住人の一人が、朗らかに語り掛けてくる。

「素晴らしい像でしょう。これは私たちの神様を象ったものです。昔、この地域は度重なる災厄に見舞われておりました。そこで、我々の祖先は神様の像を作り祈りを捧げることで、災厄を鎮めようとしたのです」

 祖先、ということは、どうやらこの『異界』では前回の『潜航』からかなりの時間が経過しているらしい。像を見上げる姿勢で黙りこくったままのXに対し、住人は上機嫌で話し続ける。

「しかし、像はなかなか形にならず、途方に暮れていたその時、どこからか旅の人が現れて、像の建造に手を貸してくれたのです。旅の人は極めて親切で、祖先たちができなかったことを次々とこなし、像の作り方についても教えてくださった」

 言われてみれば、Xは『異界』の住人たちに対して、いくつかアドバイスめいたこともしていた。『こちら側』の常識に則った、ごくごく基本的なアドバイスに過ぎなかったわけだが。

「そして、祖先たちが感謝の言葉を述べようとしたその時には、――その人は、忽然と姿を消していたのです」

 それはそう。Xのコンディションと潜航装置の処理能力の都合、Xの『潜航』には時間制限を設けている。時間になった時点で『潜航』を中断し、Xの意識を『こちら側』に引き上げるルールになっている。

「その時、祖先たちは気づいたそうなのです。あれは、我々の祈りを聞きつけた神様が、人の姿を借り、我々を助けてくれたのだと!」

 ――何もかも違う。

 私は頭を抱えたくなってしまった。Xは、偶然そこを通りがかっただけの、ただの親切なおじさんに過ぎない。だが、そこに色々な要素と思い込みが噛み合った結果、彼らの中にひとつの「神話」が生まれてしまったわけだ。

「故に、祖先たちはその旅の人の姿を模して、この像を築き上げました。それからは大きな災厄に見舞われることもなく、こうして我々も平穏に暮らして――」

 その時、話し続けていた住人が、ぴたりと言葉を止めた。Xがそちらを見れば、大きく目を見開いたその人が、がたがた震えながらXを見つめていて。

「もしや、あなたは……、神様!?」

 驚愕の声に、街ゆく『異界』の住人たちがぴたりと立ち止まり、一斉に視線が向けられる。それはもう、ぞっとするくらいに統率のとれた動きだった。

「神様が、降臨なされたというのか!」

「神様……!」

「おお、我らが救いの神よ!」

 私は、当然ながらXの表情を見ることはできない。だが、期待に満ちた無数の目を向けられて、顔の端々を引きつらせているだろう、ということくらいは想像できる。彼らの期待が見当違いであるのももちろんだが、そもそも、Xは人から視線を向けられることに、まるで慣れていない。

 やがて、Xは、

「……人違い、です」

 かろうじてその一言だけを、掠れた声で言ったのだった。

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