2章・七節

目の前で相棒を失ったアメジストに対し、ゼロ丸を叩き潰したジヌゥネは冷酷な視線を向ける。赤い目の威嚇は今の彼女を恐怖させるのに十分であり、そのまま委縮して完全に動けなくなってしまった。その隙を狙い、シャロームの皮を剥いだダブラブルグが追撃を仕掛ける。


「アメジスト、逃げなさい!!」

「ぁ…ぅあ……」

「"ビッグディフェンダー/ディノス"!!」


危機を察したルミナリアが射程ギリギリまで近づき、シンボリックロアにより出現した精霊がアメジストを包みダブラブルグの攻撃を弾いた。その隙にアレクサンドラがアメジストを抱え上げ、振り下ろされるジヌゥネの追撃から避難させる。


「おい! 戦闘中に何を呆けておる! 気を保て!!」


耳元で呼びかけるも彼女の反応はない。ジヌゥネの精神支配が強く効いたのか、指先1つ動かせず、完全な人形と化していた。


「ぁの野郎、俺に化けるとはいい度胸だ! ぶっ殺す!!」

「戦線が崩れるぞ! 一度下がれ!」

「で、でもゼロ丸を置いてけないよ~!」

「お馬さんは大丈夫よぉ、ひとまず逃げましょお。」


前衛の一角が消え、冒険者達は体勢を立て直すために前線を後退させる。ダブラブルグによる奇襲を考慮して全員が至近距離に集まっていたが、巨躯を誇るジヌゥネ達の攻撃方法を踏まえるとあまり長い間一カ所に留まる事は難しい。アメジストの状態確認と作戦会議のために、僅かな時間を会話に費やす。


「ダブラブルグは俺がやる! 右目だけ開いてりゃ奴の顔なんて見えねぇからよ!」

「アメジストの回復は私に任せてぇ。この中では一番適任だわぁ。」

「任せたぞ! その間は我とラピスでジヌゥネを押さえつけておく!」

「オレは一応前線出れるから、全員が回復魔法の射程届くよう立ち回る! ついでにゼロ丸の様子も見れたら見とくね!」

「では、それ以外の支援魔法は私が努めますね。」

「ルミナリアの相域が起動し次第反撃に移る。それまで彼女の護衛は僕とエンレイが。」

「頼みましたぞ。敵が巨体ですし相域は雷と沼でいいですかな。」

「良いわ。すぐに動きましょう。」


方針が決まると共にすぐに解散し、敵の攻撃が集中しないよう気を付けつつ行動を開始する。戦闘開始から半刻ほどが過ぎ、戦場は新たな局面を迎えていた。


    †


「"カーム"。大丈夫、落ち着きなさい。大丈夫よぉ。」


戦場の最後方、謁見の間に入る扉まで後退したナナリィは、反応のないアメジストの頭を膝に乗せ、妖精魔法と胡弓の音色により彼女の精神状態を落ち着かせていく。男の背でだれていた者と同じとは思えない、聖母のような優しくも慈悲深い表情で、我が子をあやすかのように紫の髪をなで続ける。

ナナリィの介抱によりジヌゥネの威嚇効果が解除され、アメジストは僅かに反応を見せ始めた。


「ぁ…あぁ……ナーナレイネリア様…私は…私が弱いばかりに…ゼロ丸が……」


正気を取り戻したアメジストであったが、顔を押さえる手は震え、眼からは一滴ひとしずくの涙がこぼれ落ちる。敵の精神攻撃を解除してもなお、先程の恐怖の体験が、彼女の心を蝕み続けていた。


「あのお馬さん、凄いわねぇ。あなたの事、全力で守り通して。彼はとても強い身体と心を持っている。きっと生きてる。大丈夫よぉ。」


儚げな声ではあるが、力強い言葉で彼女の意思を紡いでいく。ナナリィの言葉を聞きアメジストは少しずつ平常心を取り戻していくが、未だ立ち上がる気力はない。ここに来るまでに溜め込んだ漠然とした不安が、砕けた彼女の気力を抑え込む。


「…震えが…止まらない……いつかこうなるかもと、思って…皆のような強い信条もない、ただ何となく人を助けたいと……また先のような事が起きたらと、思うと…」


「…そぅねぇ。冒険者このしごとをしている限り、これから何度も命の危機は訪れるでしょうねぇ。怖いなら、ここで終わりにしても良いのよぉ? 無理して続ける事ではないわぁ。」


「…それは……」


心折れた騎士に過去の情景が重なったのか、守人は自嘲気味に自らの悔恨を語る。


「私はやめたわよぉ。家族を失って、国を失って。沢山裏切られて、私を守ると言った騎士達も皆、私の為に死んでいって。無理しても良い事なんてなかったもの。」


「……」


「で、何もかも嫌になって、自暴自棄になって、当てつけのように多くの英雄を死地に追いやって。仕舞いには奈落の魔域こんなところで魂だけになっちゃったわぁ。笑っちゃうわよねぇ。…人族を救う"壁の守人"と言われたって、自分さえ救えないんじゃ意味がない。こうなりたくなければ、壊れないうちに辞めた方がいいわよぉ。」


「自分を、救う…」


「そうよぉ。あなた、少し他人ばかり見過ぎじゃないのかしら。他人を気遣う余裕があるのは、自分に自信がある人だけよぉ。何もかも失う前に、立ち止まって考えなさぁい。……でもまだ、あなたは私のようにはならなそうねぇ。」


話のタイミングに合わせたかのように、2人の前にヒヒン、と鳴く影が迫る。鎧は失せ、蹄は削れ、たてがみも下を向いてしまっているが、目の輝きは消えていない、愛する勇馬が震える足で歩み寄る姿であった。


「ぇ…あ……あぁ……!!」


「ここに戻る前に、お馬さんには"バイタルフォース"をかけておいたわぁ。こんだけ地響きうるさい戦場なら、自力で起き上がれるかもと思ったけど。本当に強い子ねぇ。」


膝上に顔を置く涙の止まらない騎士を見つめ、ナナリィは笑顔で希望の詩を繋ぐ。


「あなたはまだ、何も失っていないのよぉ。」


    †


「ルミナリア、まだか!? 私とていい加減限界だ!!」

「もう少し、あと少しです! どうかそれまで持ちこたえてください!!」


アメジストが欠けた前線エリアは非常に厳しい戦いになっていた。唯一目視のみで判別できるシャロームがダブラブルグの対応にあたっており、ジヌゥネ4体をアレクサンドラ一人で辛くも抑え込んでいる状況となっている。黒狼ラピスの援護により致命打は回避し続けているが長くは持ちそうにない。前衛弓兵ミリヤムの必殺攻撃を放つ余裕が生まれれば勝機は見えるが、戦況を打開する一手は天地使いルミナリア頼みとなっていた。


「まずい! 左右から2体ずつ突進してくるぞ!!」


ミリヤムが堪らず叫ぶ。アレクサンドラの持つ魔槍ミュラッカは一点防衛においては非常に強力な魔法武器であったが、全方向からの同時攻撃には対応しきれない。相手の行動を見切ったジヌゥネ達は連携して攻撃を開始する。巨体の攻撃を受け止められる前衛はおらず、基本的に回避で対応している状態だった。


「転送魔法を起動します! 皆さんその場で待機を!」

「み、右に飛ばしてください! ジオグラフを移動させておきます!」


ジヌゥネの蹄が目前に迫る中、カティアは錫杖を天に掲げる。詠唱と共に先端の遊輪が輝き出し、光に包まれた冒険者達は右端のジヌゥネが駆けた道筋へと転送された。制御範囲内での移動によりジオグラフは展開状態を維持している。


「た、助かった! して、直線状にいるならば今こそ好機!!」


アレクが魔槍を構え、合言葉を放つ。槍の周囲から放たれる吹雪と共に切っ先から氷の柱が出現し、槍を穿つ直線状に勢いよく発射される。先頭のジヌゥネこそ避けたものの、後ろに詰まる3体には直撃していき、巨体から大きな悲鳴が発された。


「きました! 相域発動・"天相:天雷"、"地相:泥濘"!!」


展開したジオグラフから黒霧が沸き上がり、謁見の間の天井に雷雲が形成される。雷雲はルミナリアの制御によって局所的に雷と大雨を降らし始め、巨体であるジヌゥネ達の体勢は徐々にではあるが崩れ始めていた。


「"リープスラッシュ"!」


待機していたエンレイがジヌゥネ達の顔を狙い巨大な衝撃波を放つ。爆風とぬかるみによって巨躯の魔神は態勢を保つため四足を地に付けざるを得ない状況となっていた。


「いけるぞ! ミリヤム、頼んだ!!」


「あぁ。……闇之弐:凶ツ運命―貫け、"流星葬"」


攻撃が止んだ瞬間を狙い飛び出したミリヤムの弓から放たれた閃光は、1体のジヌゥネの赤き瞳を直撃し、呻き声と共に転倒させる。巨体は謁見の間の壁を崩壊させ、飾られた巨大な石柱の下敷きになり身動きが取れそうにない。もがいている隙にアレクサンドラと黒狼が接近し、首筋に止めを刺した。


「よし! あと3体だ! 心してかかれ!」


    †


シャロームが現在相対しているのはカティアである。左目を瞑れば黒靄に染まる変化の魔神は、不敵な笑みを浮かべながら杖を槍のように構えていた。シャロームがブレードスカートを展開しているため、不用意に近づかず長物のみで攻撃を繰り返している。


「ねぇ、もぅやめようよ。私達が戦ってもしょうがないじゃない? 一緒に帰ろう?」


ダブラブルグは武器を振りながらも言葉を止めない。両目を開くと顔が鮮明に映るためシャロームはなるべく敵を右において戦闘を続けていた。特に女性に攻撃する事に抵抗があるのか、戦闘のテンポを掴めずにいる。


「チッ、やりにきぃな。知り合いじゃなきゃブン殴れるんだが。守るもんが増えるってのも考えもんだな。」


カティアはうすら笑いを止めない。完全に黒くなったかと思うと、今度はOECの姿に変身して杖を振り回し始める。いつも笑顔の絶えないOECであったが、偽物の笑みは醜悪そのものの表情であった。


「! 待ってたぜ!それだよそれ! 一度ぶっ飛ばしてやりたかったんだよなぁ!!」


シャロームは打って変わって手にした槍を真っすぐにOECの顔に刺す。敵の精神を絶えず乱すために変身を続けていたはずが、唐突に攻撃のキレがよくなりダブラブルグは困惑する。彼の中でOECは女性枠ではないらしい、回復役として戦場全体を把握しているOECも驚いてツッコミを入れた。


「ちょっとぉ!! どういうことだよソレ!!」

「オラオラァ! 顔面こっちに向けやがれこの野郎!! 」


シャロームは先程までの動作が嘘のように連続で攻撃を仕掛けていた。変身と攻撃が同時に出来ない為、多段攻撃を止められずダブラブルグは完全に劣勢となる。機を逃さずシャロームは慮外なる烈撃を使い、戦闘を終わらすべく必殺モーションに入る。

このままではやられる、そう感じ取ったダブラブルグは僅かな隙を付いて自身が過去に観察対象とした女性に変身を試みた。奴の仲間ではまた地雷を踏むかもしれない、どれでもいいから年端もいかぬ少女あたりだと苦し紛れに変身した。


「 ― は? 」


両目を見開き、槍を振り上げた手が凍り付く。亜麻色の髪から覗く薄紫の透き通った瞳。目の前に現れたのは自身が命を賭して探している最愛の女性そのものであった。怯える彼女はこちらを見ると、安心したかのようにゆっくりと手を差し出してくる。


「!! なにやってるのシャロ!! 避けて!!」


差し出された手はそのまま彼の胸部を貫き、少し後にシャロームは吐血する。ヴィルマは笑みを浮かべると、ゆっくりと手を引き抜いた。大量の血を噴き出しながら、ヴィルマに覆いかぶさるようにして、紫の戦士は膝をつく。


「くふふ、ちょロいちょロい。貴様さエいナければ他の奴ラはすぐに殺せるナ。」


ダブラブルグは戦闘対象をOECに変更しようとする。だが身体は動かない。覆いかぶさった男にしがみつかれ、力強く拘束されていた。止めを刺したはずの男は吐血しながら笑い始め、不吉な気配を察した魔神は、ヴィルマの顔で拒否反応を示す。


「や、やだ、助けて。やめ ぐっ!!」

「どこで見知ったかしらねぇがな、、」


敵の口を覆い、力を籠め、身体に穴が空いた男は笑顔をもって言葉を贈る。


「顔が見れて嬉しかったぜ!! ありがとよ!!」


腕を振り下ろし、ヴィルマの顔を思い切り地面に叩き付ける。直後、黒い塊に戻ったダブラブルグは、そのままピクリとも動かなくなった。


「シャローム!! ちょっと、大丈夫!?」


OECが"キュアハート"をかけ、胸に空いた穴を回復する。出血量は激しいものの身体は問題なさそうであり、流石の強靭さが窺える。だが意識の方がもたず、倒れる直前に謝罪の言葉を述べていった。


「ワリィ、足引っ張った…あと、よろしくな……」


    †


相域による優位性を保ったまま2体目のジヌゥネも倒し、残るは2体となる。だがOECによる連絡を受け、冒険者達は限界を感じ始めていた。


「シャロームまで落ちただと! こちらももう魔力が尽きるぞ!」


アレクサンドラの顔は蒼白であり、長時間の戦闘による疲労を感じさせる。黒狼ラピスもまた動きが鈍くなっていたが、どこかもどかしい様子で手を顔に寄せもがいていた。カティア、OECも同様であり、これ以上の継戦が困難であることを理解する。

ジヌゥネ達は敵の攻撃を冷静に分析しており、現在は不用意な接近による弓兵の一撃を警戒し足場を選びながらヒット&アウェイによる奇襲を繰り返していた。


「あと2体だが、警戒され過ぎて僕の攻撃では決められそうにない。何か、あと一手を打てるものはないか…?」


「…試してもいいなら、やってない事があるわ。近距離でなら、高威力の魔法を放てると思う。ただ、恐らくもって一撃、その後私が動けなくなるリスクもあるけど。」


珍しいエンレイの博打提案。彼女の顔にも明らかに不安が見え、確証が無い事は感じ取れる。それほどまでに追い詰められた状況と感じ取りつつ、一行は了承をする。


「それに懸けよう。どのみちこのままじゃジリ貧だ。」

「やるのは良いが、一人ではもうあれを止めきれん。シャロームが起きておれば…」

「私に、任せてくれ。体力も魔力もまだ残ってる。走るだけであれば、ゼロ丸も出撃可能だ。」


アレクの言葉を遮りながら、後方よりアメジストが現れた。先程の人形状態から見事に復活し、杖を持ち装備も整っている。今は彫像状態にあるゼロ丸も無事なようで、一行に多少の安堵感をもたらした。同じく後方にいたナナリィはシャロームの元に向かい容態の確認を行っている。


「アメ子、もう大丈夫なの?」

「攪乱は機動力のある騎士の仕事だ。逃げるだけならなんとでもなるさ。」

「では、我とラピスでもう1体を担当しよう。」

「ウィングフライヤーで援護しますが、シンボリックロアはもう厳しいですぞ。」

「僕とカティアでエンレイを援護する、と言いたいが、恐らく僕も陽動に回る事になるだろうな。鼓砲がない分、慎重に行こう。」


こうして、冒険者達は最後の攻撃に出るのであった。


    †


騎士2人が先陣を切る。相域により周囲には泥濘が広がっているが、ジヌゥネ程の巨体でもなければ足を取られることもない。防戦一方であった状態から突如として飛び込んできた害敵に対してジヌゥネ達は冷静に守りを固め、冒険者達の次の一手を見極めようとしているようだ。


「はっ! 先程までの威勢はどうしたのだ! よもやこの程度で怯えるとは!!」


アレクの挑発にもジヌゥネ達は動かない。その様子を見て、後方に控えていたミリヤムが意を決して前に出る。


「ちっ、やはり僕も出た方がよさそうだ。」

「オレも近くまで行くよ! カティア、エンレイをよろしく。」

「任せて! OECも気をつけてね。」


カティアとルミナリアに隠れ、エンレイは詠唱の用意を始める。常時装備しているマナリングだけでなく普段は使用していない複数の魔法の発動体を袋から取り出し、崩れた柱に寄りかかり両手のひらをジヌゥネに向ける。肩に乗る遣い魔梟のえんちゃんは魔力を主に渡しているのか、徐々に形を失いつつあった。


「ふぅ。落ち着いて。久しぶりね、失敗を恐れるのは……」


事前に予想した通り、ミリヤムが前に出た途端にジヌゥネ達は攻撃態勢に移り集中攻撃の構えを見せる。仲間2体を葬った必殺攻撃以外に自分達を倒せる攻撃は無いと考えているのか、他の者には脇目も触れず四足による踏みつけを行い始めた。


「ミリヤム! 我らを交互に乗り繋げ! 」


巨馬の連続攻撃を掻い潜るべくアレクの差し出した手を握り、ラピスに飛び乗るミリヤム。アメジストもまた近距離にて構え、攻撃の瞬間に適宜ミリヤムを乗せ換える。金属鎧の弓兵を守るべく、2人と2頭は入り乱れて敵の足元を駆けていた。


「えぇい! 重いわ! ラピスが泣いておる! そんなもの脱いでしまえ!!」

「す、すまない。だがこれのおかげで敵の攻撃が掠めても問題はなっ!」

「喋ってると舌噛むぞ! こっちだ!」


球のように振り回されつつ、何とか敵の攻撃をしのいでいく。エンレイの詠唱まで僅かな間だが、既に一刻に近い戦闘時間も相まって3人と2匹の疲労は限界に近づいていた。


「準備完了! 皆、戻ってきて!!」

「さぁ、こちら、ですぞ! "人相:活"! …ん? おおおおおおお!!」


ルミナリアに直撃した相域が合図となり、ミリヤムを乗せたまま退避するアレクとアメジスト。ジヌゥネ達はここを好機にと2体並んで追撃してきたが、相域により魔力の回復したルミナリアが"ビッグディフェンダー/ディノス"をミリヤムに放ち、ギリギリのところで回避に成功した。陽動に釣られ向かってきた獲物に対し、魔法使いは自身の魔力全てを乗せ渾身の魔法を放つ。


「"ヴェス・フォルス・ル・バン。シャイア・エルタリア―ランドルガ。"

 業火よ、我が憤怒に応え一切を灰燼に帰せ。―ファイア・エクスプローション!」


蒼き炎球が手のひらより展開された魔方陣から放たれる。直後、ラピスに載せられたミリヤムが袋から取り出したカンテラの油をジヌゥネ達の顔へ向けて投擲する。弓以外の攻撃は無いと踏みミリヤムのみを警戒していたジヌゥネ達では、目前に迫る魔法攻撃を回避する事は出来なかった。

炎球は巨馬に接触する前に爆発、轟音と共に直径10m程を蒼炎で包み込んだ。騎士の起動力が無ければ間違いなく味方も巻き込まれていたであろう。直撃を食らったジヌゥネ達は炎の中でもがく事もなく、首から上を失った状態で左右に崩れ落ちた。


「な、なんという威力…凄まじい魔力量じゃ‥‥」


"壁の守人"をもってして驚愕した蒼炎は途切れることなく、先程まで自分達を苦しめていた魔神達を灰になるまで燃やし続けている。魔肉の燃えるおぞましい臭気が、長い戦いの終わりを示していた。


    †


「エンレイ、しっかりして! 大丈夫!?」


戦闘終了の立役者は背にした柱にめり込み気を失っていた。魔法の発動による物理的な衝撃と、複数の発動体を使用した全魔力放出に耐えられなかったのだろう。普段は美しく咲いている延齢草はしぼみ、一部は燃え尽きてしまっている。彼女自身にとっても、捨て身の一撃であった。


「今の詠唱、"ファイア・ボール"か? あんな魔法、我とて見た事が無いぞ。カティア、おぬしはどうだ?」


「私もありません。キャラウェイでもここまでの炎球は打てなかったと思います。そもそも発動体の複数使用なんてありえませんよ。…エンレイさん、相当の負荷を受けているんじゃないでしょうか。」


残り少ない魔力でエンレイを回復しつつ彼女の容態を心配する守人達。神聖魔法では身体の傷は回復できても、精神的な損傷を回復する事は出来ない。長時間の激戦に、エンレイだけでなく全員が疲労困憊となっていた。


「その辺は、私の出番ねぇ。みんな、集まってちょうだぁい。」


シャロームを背負い、ナナリィが最後方から戻ってくる。彼の意識も戻っているようで、女性の背でばつの悪そうに大人しくしていた。


「歌は頭を、旋律は心を整えるわぁ。奈落の核アビス・コアを壊す前に、ちょぉっとだけ、ゆっくりしましょう?」


    †


崩壊した謁見の間に、胡弓の音色が鳴り響く。旋律に儚くも優しい歌声が乗せられると、戦闘で磨り減らした心が温かい風に包まれたような、心地よい幸福感が湧き出てくる。輪になって聴いていた一行の中には、意図せず涙する者の姿もあった。

エンレイの意識も戻り、全員が彼女の演奏に聞き惚れていく。


「さて、言うべきことはちゃんと言わなきゃねぇ。」


ナナリィはいつの間にか大人の姿になっていた。歌唱がひと段落すると艶やかな微笑と共に一行に感謝の詩を述べていく。


「…ここに来てくれて、本当にありがとう。魔神達と戦ってくれて、ありがとう。この魔域なかでだけだけど、母を助けてくれてありがとう。全員生きてくれて、本当にありがとう。おかげで私は、私の魂は奈落から解放された。こんな果てまで来て私を救い出してくれる人達が現れるなんて、思ってもみなかった。心から、お礼を言わせてもらうわぁ。」


深く頭を下げ、感謝の意を伝えるナナリィ。全員が笑顔でそれを迎えると、顔を上げたナナリィはいつもの脱力した顔で少し意地悪い笑みに変わっていた。


「―でぇ、せっかくなのでぇ…私もあなた達の旅について行かせてもらうわねぇ!」


言うが否やシャロームに飛びつき、あぐらを掻いていた彼の首を支えに懐に入り込んだ。疲労困憊の彼は一瞬何が起きたか理解できずただただ戸惑っている。


「んえ? は、はぁ!? おまえ、ちょっやめろ、やめろ!!」

「んふぅ、いいじゃなぁい、下僕シャロ君、仲良くしましょお?」


首筋から胸部にかけて舐めるように"お触り"するナナリィを振りほどく元気が無く、シャロームは言葉では抵抗するものの良いようにやられていた。最初は唖然としていた他の仲間達も笑いながら彼女の加入を歓迎する。その後も彼女は一行の消耗した体力と精神を癒すかのように、自らおどけ、見惚れさせ、和ませていく。


コルガナ地方に来て以来最大の激戦となった変化と踏襲の魔神戦は、こうして幕を閉じるのであった。

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