ディネクス編<終>

 犯人が判明し、その犯人の目的も分かった。


 転移者記憶喪失事件。カレンが追ってきていた事件の真相は、ディネクスという国の王様であるオウグが、転移者の記憶を奪うことで、記憶の中に存在する嫌な記憶(自傷行為を引き起こしかねないほどのトラウマ)を取り除き、転移者の自傷行為を阻止することにあった。


 この異世界には、想像するだけで創造することができる、魔法が存在する。その魔法は基本考えることができる生物なら誰でも使用可能なスキルなのだが、それ故に、自分自身を傷つけたいという自傷的感情をも創造されてしまう。ネガティブ感情とは基本的にポジティブ感情よりも度合いが強いと言われている(具体的には7倍強い)。だから転移者は生前の嫌な記憶を思い出した時、そのネガティブ感情が暴発して、死に至る。それを呪いとオウグは表現していた。


 オウグはそれらを防ぐためにどうするべきかわからなかった。だから、たまたま見つかった手段にすがるしかなかった。記憶を奪うこと。それ以外に方法なんて見当たらなかったから。


 だが、記憶を奪う以外の方法が分かった。それは分かったというにはあまりに単純で、灯台下暗しのような結論である。


 それは、誰かが一時的に支えてあげること。


 人間生きていれば嫌なことくらい何度でも起こりうる。


 しかし、それを乗り越えるためには、周りの環境がプラスであることがとても重要なのだ。滑って転んで膝を擦りむいた人間を笑い飛ばして立ち去る。なんて人がいたからには、身体的傷以上の傷を、心に負ってしまう。そしてその傷は、かさぶたができるどころか、日を追うごとに抉られる。否、自分自身が反芻することで、自分自身が抉るのだ。何かが間違っていた、あれが悪かったこれも悪かったと。反省はやがて自己卑下に変わり、自己嫌悪に変貌する。だから、誰かに支えてもらわないといけないのだ。第三者がフラットなメンタルで、そして優しく接してあげる必要がある。


 人は、一人では生きていけないのだから。


 そして、緑山優は、家族である老犬ペロに支えられることで、自分を取り戻し、見事自傷行為の呪いを克服したのである。


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「傷はもういいのかい?全治半年くらいは覚悟してほしかったんだけれど」


「自分でもヒールしてたからな、つーかそれくらいしかやることがなかったし」


 病院の屋上って、一回入院したら行ってみたかったんだよな。そんな思いで高所特有の風を浴び、夕暮れで黄昏ているところに声をかけられた。声の主は、この国の王様オウグだ。王様特有の赤いマントは羽織らずに、簡素なTシャツとジーパンを履いている。声をかけられずにその様子を見たならば絶対に正体が分からなかっただろう。


 だが驚くべきはそのシャツのプリント内容である。つい呟いてしまった。


「餃子...」


「そ、ギョウザだよ。王将にふさわしい漢字がこの二文字であると、色んな転移者の記憶にあったものだからね。王城の敷地内での仕事はいつもこの格好なんだ。動きやすいからね」


「まぁ、本人がそれで満足ならそれでいいかな」


 そっか、記憶を奪われていたから、俺以外の転移者はこれがおかしいということを指摘できず、今の今までほったらかしになっていたということか。何だよ王にふさわしい漢字って。毎年発表される「今年の漢字」並みに意味わかんねぇよ。


「仕事はないのかよ、王様ってのは暇なのか?」


「いいや、大きな仕事に終止符が打たれた代わりにもっと大きな仕事が舞い込んだんだ。暇なわけないよ」


 大きな仕事というのは、きっと転移者の呪い対策の話だろう。記憶を奪うのではなく、その人が弱ったら心の支えになってあげることで自傷を防げることがわかった今、それをどのようにして転移者に広めるのかを検討中なのだろう。現実でいうところのカウンセラーといったところに落ち着くのだろうか。


「だから頑張って合間を縫ってこうして入院中の君に面会に来ただけさ。それなのに屋上に行っているというのだから。王様にご足労かけるもんじゃないよ?」


 そう、俺はあの大熊と同化した優の一撃を受けて、相当なケガを負ってしまったのである。今はその入院中だ。だが奇跡的に骨が砕ける一歩手前までのけぞることに成功し、こうして数か月の入院生活を経て、勝手に屋上に出歩くまでに回復することができたのだ。


「そうだな、すまん」


「浮かない顔だね、優のことを気にしているのか?」


 なかなか鋭い勘を働かせる。


「あれは我ながら失敗だったと思うからな」


 だが、この奇跡は飽くまでも不幸中の幸いというには、あまりに自分勝手な奇跡だった。


 というのも、あの瞬間、優の大きな熊手の爪が俺の体を引き裂く瞬間、俺は老犬ペロを投げた。上に投げた。ペロを避難のためにどこかに投げるのであれば、背後に避難させることもできたのに、俺はそれをしなかった。


 優の注意を少しでも惹かせることができるならば、と。


 優がペロを殺し、その事実に絶望して呪いが発動し、優が死んでしまう嫌な予感はもちろんあった。だがその不幸が起こったとしても、俺は俺が死んでしまうという不幸を回避したい。と思ってしまった。あの時泥の足場によって俺の体は現在地点から離れることはできなかった。俺がその状況から助かるためには、攻撃側がその攻撃を自分から外してもらう必要があった。だから、ペロを上空に投げた。シャボンミラージュのシャボン玉でも見向きもしない優だが、家族であるペロならば十分意識を反らせると思ったから。我ながら酷い、ギリギリの賭けをしてしまった。そこから助かったというのは、本当に不幸中の幸いである。


 だが、これはほめられることではない。一歩誤れば、俺がペロごと熊手で引き裂かれ死亡し、更に家族を手にかけた事実で優が自傷してしまうという可能性があったのだから。


「君には感謝しているよ」


 予想だにしていない返答が帰ってきた。感謝だと?


「君がいなければ、余は今でも記憶を奪い、彼らの人生を奪っていたことだろう。転移者から呪いを克服する術が他にあるならば、その方法に全力を尽くさねばならない。転移者を救うために。それが余が継いだ使命なんだからね」


 そうか、こいつは俺の言っていたことを分かってくれたというわけか。カレンのように、記憶を奪われたことによって繋がりが絶たれた人がいることを知らなかったのならば当然か。記憶を奪った人間は、「返せ」ということができない。それにオウグは自身の行為を秘匿していたのだから、カレンがオウグに対して「返せ」と直談判することもできなかったというわけだ。


 いくら呪いから解放して死の運命を回避するにしても、代償が大きすぎる。記憶を奪われた転移者はそのデメリットを理解することができないし、だからこそ、王も今の今までそれを知ることができなかったのかもしれない。


「使命ねぇ、なら今まで奪った転移者の記憶を返してくれるのか、どう説明するんだ?結構反感買いそうだけれど」


 オウグの表情がこわばる。いや、この病院の屋上を照らすオレンジの陽光が、オウグの顔以外を照らしている。


「それはできない。今まで奪った記憶は、もう返すことができない。」


「なんでだよ、記憶を奪われたことを責め立てられるのが怖くなったか?」


「余は記憶を失った転移者が生活できるシステムをこの国に敷いた。そしてそのお陰、いや罪滅ぼしが功を奏して、彼らにも、生前とは別の家族や友人、つまり繋がりができてしまった。優のように中途半端に記憶を奪っていたならば、元の記憶が接着剤のような役割を果たして、記憶を失った後の記憶も引き継ぐことはできるのだけれど、ある閾値を超えて奪った記憶は、戻すとそれまでの記憶をも食いつぶしてしまうんだ。脳のキャパシティを超えてしまうからね」


 もう記憶を奪った転移者の中には、本当の第二の人生が始まってしまっている。記憶を無闇やたらに戻すということは、その第二の人生で培った繋がりを絶ち兼ねないことになる。


「だから彼らには、本として、記憶を返そうと思う。奪った記憶は別の本として切り分けることができるから。これに関しては既に行っていてね、ギルドマスターはその記憶の書のレシピから料理しているけれど、別段変わった様子もないし」



(といっても、昔ご先祖様は王族専属のシェフだったらしくてね、彼が残した無数のレシピを一つずつ解放しているだけさ。俺の実力でそれが完璧に実現できているかは分からないけれど)



 ギルドマスターの言葉が頭の中で蘇る。オムライスを作ってくれた時、そんなことを言っていたような気がする。あれはオウグから記憶の書を貰っていたということなのか。王族専属のシェフだったから、事前に本を貰っていたのか。


「それで、君はこの屋上で何を見ていたんだい?」


 気を取り直したように、オウグは話題を切り替えた。俺の視線の先には、あれがあった。イヴが言っていた、アダムに創造力を供給するという塔、心理塔である。その塔が黒くなっているというので、それを白く浄化するという使命を受け持っていた。それと引き換えに、俺の不幸を消すという条件付きで。


「心理塔をな、そういえば、ここから一番近いところで、心理塔が黒くなっているところってないか?」


「まさか、そこに向かう気なのかい?」


 オウグはまるで地獄に進んで立ち入らんとする人間を見るかのような表情で俺を見た。


「ああ、そのつもりだ。一応目的が有るんでな」


 オウグはそのセリフを聞いて、ふむ、と顎をさする。きっと俺の目的というのを聞き出すのか一瞬思案していたのだろう。そしてありがたいことにそれを聞くことはせず、オウグはその場所を口にした。


「学園国家グリストン。生徒総数1万を超える、学生が統治する国だ」


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 オウグのお陰で、次なる目的地に向けての準備をすることができる。次に何をすればいいのかが明確であるというのは、それだけで幸せなことなのかもしれない。それは数多の可能性を秘めた未来を前に、動き出すことができるということなのだから。足踏みをするのは失敗への道に進むよりも愚かな行為だから。


 この世界では、どうやら恐ろしいほど人間の心が濁っているらしい。


「世界には心理塔が八つあって、その内六つ塔が黒い状態だ。文献によれば最初は全て白かったはずなのだが、日に日にその濁りが度を越していったらしい」


 オウグはそう言っていた。ということは、少なくとも六つの心理塔の場所に足を運ぶ必要があるということである。先ほど、次なる目的地に向けて準備ができて幸せだなーとモノローグしたことをここで撤回させていただこう。今の気持ちは10割だるい。ゴールが遠くてへたり込みそうになる。


 だが俺は自分の不幸をなくすためならば、行動しないわけにはいかない。イヴの言っていたことがオウグの言葉で裏づけされたことで、一抹の不安であったイヴの願い叶える宣言が、0.5抹の不安くらいまで軽減されたのだ、信じて俺の役目を果たそう。


 転移してきた時に着ていた学校のブレザーは優の熊手の爪によって引き裂かれてしまったため使い物にならないので、学園国家グリストンに向かうに当たっての、新しい服をオウグに見繕ってもらった。


 中はパリッとしたカッターシャツを着ているものの、上下全身が黒。縦に並ぶ金色のボタンはこの喪服とも捉えられかねない服の唯一のおしゃれポイントになっている。襟元も黒で、ブラックバックな背景の撮影スタジオに迷い込んだらならば、髪の毛と一緒に全身が透明になる自信がある。


 要するに、学ランである。俺はブレザー派なんだがな。


 目の前には、学校の教室の扉。俺は今日このクラスに転校することで潜入し、この国で起こっている心理塔の濁りの原因を突き止めて、浄化をしに来たのだ。


 転校の手続きはオウグが既にしてくれていると言っていたし、後は俺がこの扉を開くだけ。転移の次は転校とは、俺はよく転がるな。


 そういえばあいつらは元気にやっているだろうか。カレンは冒険者として引き続き依頼をこなして生計を立てると快活に息まいていたし、優はカレンの下で魔法の勉強や異世界での生き方について学んで生活すると言っていた。彼女達なら元気で過ごしていることだろう。


 俺はそいつらにまた顔向けできる生き方をするまでだ。


「入っていいよ!」


 教室の中から、女教師のお招きの声が聞こえた。彼女が担任なのだろう。声からしてきっと美人に違いない。声で美人かどうか判断するのは心もとない気はしなくはないが(ちびまる子ちゃんの冬田さんとか)、なんだかそんな気がしたのである。


 待たせるのも忍びない、これからの俺の人生がどのように転ぶのか、お手並み拝見と行こうじゃないか。


 ガラガラガラガラ。と意気揚々と扉を開ける。


 すると、目の前には、見覚えのある金色の長髪を垂れ流し、見覚えのある眼鏡をかけ、出席簿を大事そうに抱えるスーツ姿の美人女教師がそこにいた。


 カレンが、いた。


「ってカレッ...!?」


 カレンは笑顔でクイクイと、親指を机に座る学生達に向ける。自己紹介を白ということなのか。


 気を取り直して、俺は黒板のチョーク入れからチョークを取り出すと、カツカツと自分の名前を書き込む。そして踵を返して自己紹介をした。


「山田サツキです。よろしk...!く!?」


 視線を一身に集める中での盛大な自己紹介。ビシッと決めようとしていた矢先、その勢いを慣性ガン無視で止めてきたのは、その30人くらいの生徒の中にいる、緑山優の姿があったからだ。だって一人だけ青い飼育員のような帽子被ってるんだもん、超目立つわ、カレンが無言で指さしたのは、自己紹介を促すことではなく、優もいるよ、というサインだったのか。


「はいサツキ君ありがとうございました!みんな仲良くしてあげてね!」


 こうして次なる舞台が幕を開いた。

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