記憶を奪うことは、繋がりを奪うこと。
「ヒールヒールヒール!」
優の暴走が止まって、周囲の動物たちも大人しくなった。そんな静けさに響くのは、カレンの叫び声だった。
「カレン、そこを退いてくれ」
余は王として、国民の命を守る義務がある。左手に持つ分厚い本をパラパラと捲ると、目的のページにたどり着いた。そしてドロドロの地面の中で、足首を泥だらけにしながらサツキの元へとたどり着く。
「あんた、こんな瀕死な転移者の記憶も奪うっていうの!?」
泣きはらした目からは、余への恨みが籠っているのが伝わる。体を広げ、サツキの血に濡れた体を背にしていた。
「今のサツキを助ける応急処置には、自己治癒力強化のヒールでは不充分なんだよ。カゲロー、今のうちに周囲の泥ごとディネクス医院に運ぶことはできるか?」
「お望みとあらば」
「できるだけ振動を少なく頼む」
カゲローは恭しく頭を下げ、素早く印を組み「魔術忍法、どろんぶらこ!」で泥のステージごと動き出す。どんぶらこどんぶらこと、実際にはドドドドドド!と大きな音を立てて、カゲローが生成した泥のフィールドが動き出す。今のこの泥のステージは、大きな救急車といったところだろう。
移動している間、余はめくったページに意識を集中させる。そしてもう片方の手を地面に集中させた。その地面をカゲローが機転を効かせて泥から水分を抜いて乾かす。本のページが光だし、余の顔を覆った。カレンは大人しくその様子を眺めている。
「見えた、物質創造!」
余の手からは、包帯や容器に入った消毒液、縫合道具や止血道具を生成させた。
「それって、」
カレンはキョトンとしているので、処置を行いながら説明する。
「この本には、今まで奪ってきた転移者の記憶が詰まっている。その中には、女性で優秀な医者を目指すも、男尊女卑な社会に圧力を受けてその夢を絶たれ、更にはご両親の仕事にも圧力をかけられて一家壊滅に追い込まれた人が、転移してきたんだ。余はそういう転移者の記憶を少し借りることができる」
記憶を借りるとは、人生を借りるということ。借りるなんて、とても聞こえのいい表現だ。奪ったのだ。だがそのお陰で今の彼女は人生に絶望することなく健やかに生活し、今では二児の母として人生を全うしている。
それは先代から受け継いだこの簒奪の力のお陰だと思っているし、そのお陰で今、目の前のサツキに応急措置をすることもできている。
余は仰向けになっている血だらけのサツキの右側に膝をつく。サツキの着ている、血に濡れた学校のブレザーはビリビリに破けていたので、それを引きちぎると、中には見るもおぞましい傷跡が3本、胴体の上に斜めに通っていた。
「ん?」
余は止血をするためにガーゼで血を止めようとする。ガーゼがみるみるうちに血に染まる。
だが、おかしい。普通ならば爪が骨という骨をも砕いて体をぶっ壊してもいいものを、そうはなっていない。骨ギリギリまで爪が食い込んでいるものの、骨には到達していないといった状態だった。
あの一瞬で、急所を避けようとしたというのか?いやまさか、夜で見にくい状況で、さらにはあの時の優は、大熊と同化していた。その力はそのまま速度となり、こんな不安定な足場では避けるなんてできないはず。
なのに、サツキ、君は避けたというのか。否、避けることができないと悟り、急所を避けるために、最低限のダメージになるように体勢を変えたというのか。
だがそれでも血は止まらない。泥の大移動で早く病院にたどり着かなければ、その間にサツキを一命をとりとめるレベルにまで応急処置しなければ死んでしまう。
その音でサツキが目を覚ましたと思ったか、カレンがサツキに勢いよく近づいた。
「大丈夫!?生きてるのね!」
余はそっとサツキの顔を近づける。サツキは静かに語りかけた。
「ギリ、な、まぁ知ってた、しな」
そんな二人の会話を余は止める。
「今は喋らないほうがいい、傷口がかなり体に食い込んでいる。今止血と消毒をしているから大人しくしているんだ」
サツキは黙ったと思ったら、弱弱しい右手で余の膝に触れた。そして閉じた口がまた開く。
「お前は、確かに転移者を、守ったのかも、しれないが、その代償として、転移者が失ったのは、記憶だけじゃ、ないんだぜ」
そう呟いて、サツキは再び意識を失う。最後の力をふり絞って、サツキが余に伝えたかったことは、今の優と老犬のペロを見て、痛いほどよくわかった。
繋がり。
人と人との、繋がり。それが人であろうと犬であろうと、そこに違いはない。余は記憶を盗むと同時に、それまで転移者達が紡いできた人と人との繋がりをも、奪っていたのだ。カレンもその一人。転移者と紡いできた友情があったのだ。
もしかすると、その繋がりのお陰で、優のように自傷から立ち直ることができたかもしれないのに。ともすれば、転移者達の成長の機会をも奪った事にもなる。
悔しいな、五代まで続いてきたのにも関わらず、そんなことも分からなかったなんて。
と、そのタイミングで激しい泥の進行音が止まった。病院に到着したのだ。
泥の上から見下ろすと、病院の前で待ち構えていた院長の九条カナメが、部下のナースを連れて搬送のスタンバイを完璧にこなしている。
「カナメ、サツキを頼む」
「はい!」
力強い返事だった。信じて心置きなく頼りにできる。だが、彼女の母の記憶を奪うことがなければ、余との繋がりとは違った繋がりを彼女は持つことができたのかもしれない。
いそいそとサツキを院内で運ぶ彼女の背中を、余は遠くで見ることしかできなかった。
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ここで、美人ナースな九条カナメの話が終わった。そんな経緯で私たちはここにいたのか。だが少し気になることが一つ。ためらいがちに、私はベッドの布団なら右手を取り出す。
「あのぉ」
「はい、何でしょうか?」
「なんでカナメさんが、その、王様の心の声までご存じなんでしょうか?モノローグっていうんでしたっけ?それが凄い出ていたと言いますか...」
「ああ、あの方は私ども直属の部下である者には胸中を詳らかに話してくれるのです。だからこそ私はあの方を信じています。王とそのご先祖様方の行いは、正しかったと」
そう自慢気に、純白のナース服からでもわかるふくよかな胸に手を添えて、カナメさんは語る。物凄く良いことを言っているのが雰囲気で何となく伝わった。のだが、
「そうなんですか、でもそれって私に話しても大丈夫なんでしょうか?」
「んー、大丈夫なんじゃないですかね?」
「え、」
キョトンとするカナメ。私の顔はひきつっている気がする。この人と仲良くなって秘密とか話すと直ぐにバラされそうだな。私の野生の勘がそう思わせた。
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