人が一番怖い。
いつの間にか意識を失い、俺はある森の中で目を覚ましていた。星の光しか見えない夜の闇だった。さっきまでとは違い、自分自身の体でさえも暗く見えづらい。
周囲からは虫の声が、ジジジだのコロコロだのと噂話をしている。だが、そんなか細い声を聞くことができるくらい、他の気配が感じられない。
......。
怖い。真っ暗ってこんなに怖かったのか。小学生の頃、林間学校の夜に散歩に行ったら、一人迷子になったことがある。その時は文明の力(当時はガラパゴス携帯)の光があったから、何とか道を照らして戻ることができた。圏外じゃなければ連絡できたんだがなぁ。
しかし、今や世界から圏外である。電波が届くなんて次元ではない。世界が違うのだ。これが火星とかならば、ワンチャン人工衛星を通じて電波を飛ばせたのだろうが。
そして何より森で怖いのは、自然の生き物である。
猪が突進してきたり。
コウモリがキャイキャイ!と襲ってきたり。
熊が起きて走ってきたり。
ヘビがしゅるる~~と威嚇してきたり。
ヒルが血を吸ってきたり。
蚊が病気を媒介してきたり。
とにかく生き物が一番怖い。特に夜行性の生物なら夜は独壇場だろう。問答無用で命狙ってくるからねあれ。夜だから朝まで寝よーっと!なんて言おうモノなら、即あの世行きだろう。
俺は一刻も早くこの森を出るために、ひたすら前に歩み続けた。いつかは絶対に森を抜けるはずだ。異世界が実は森だけのマリモワールドでないことにかけて、無心で歩みを進めていく。
木々の根っこは地面を飛び出して、俺の足を巧みに引っ掻けてくる。なんてトラップなんだ、ナチュラルトラップじゃないか。マナに送られそう。
そんなどうでも良いことを考えていると、遠くでチリチリと燃える音が聞こえてきた。チリチリ?パチパチ?そんな雰囲気の音だ。まるで花火のような...。
否、花火ではない。焚き火だ!つまり人!ラッキー!
これは幸先がいい。それに向かってザクザクと歩みを進めていく。オレンジ色の光が強くなるのを感じた。その光は人の形をした影を作っている。
声をかけようと声帯を震わせる。
「あの──!!」
────ゾワッ!
「嫌な予感」がする。背筋の凍えるこの感覚。つまりこれから俺に不幸が降りかかるということだ。
皆がみな、焚き火を囲うように丸太に腰かけていた。よく見るとさらにどれも大きいがたいだ。そいつらから襲われればひとたまりもない。肉体が強い人間の類い。それに奥に黒色のフードを目深に被っている男が不気味すぎる。
そしてこの「嫌な予感」は、大柄で強面だけど実は良い人、という事が絶対にないことを示している。
頑強そうな男たちは、焚き火でシチューを作っていた。牛乳のまろやかな香りが漂っていた。
一人の男が語りかけてきた。
「なんだ兄ちゃん、まさか転移してきたのか?」
一度睨みつけた視線を、一瞬にして笑顔に上書きした。にこやかに言った「転移」という言葉に、俺は唾を飲み込む。
なるほど、これは異世界「転移」なんだな。そしてそれは周知の事実なようだ。だからこんな世間からの外れ者っぽい人間でも、転移という言葉が出てくるのだろう。
「なぜ、そう思うのですか?」
ひきつらせた笑顔で、俺はあえてそうだと断言するのを止めた。転移者であることを、この場で確認する必要がないからだ。明らかに不自然。世間話として話すにしても、このタイミングは早すぎる。
「そりゃ変な格好しているからさ、それは前の世界での学校の制服かな?」
当てられた。異世界転移について、この世界は意外と知識が豊富なのかもしれない。
「よく分かりましたね、実は先ほど転移してきたので右も左も分からないのですよ」
ハハハと、苦笑する俺に、男達はインスタントな優しさで接してくれた。
「そうかそうか、俺たちは転移者を保護する仕事を受け持っていてな、こうして色んな所に来ては、あんたみたいな転移者が野垂れ死にしないようにしているんだ」
「そうでしたか、だから最初に俺を見て『転移者なのか』と聞いていたんですね」
「そうそう!さぁ、まずはシチューでも食べて休もうぜ」
はっはっは!と三人のおっさんはにこやかに笑っていた。あれ?さっきまでの険しい表情は、まさか俺の見間違い?いや、違う。俺の「嫌な予感」が、そんな誤作動を起こすはずがない。
「すみません、俺牛乳アレルギーなもので、シチューは食べられないんですよ」
「そうだったのか、大丈夫、他にも茶菓子とか色々あるからさ、今日は暗い。ここで一休みしてきな」
勿論牛乳アレルギーは嘘だ。だがそれが本当でも嘘でも関係なく、男達は俺を巧みに誘い込もうとしている。なんか雰囲気が子供を誘拐する悪い大人みたいになってきた。
とりあえず早々に退散しなければ。第一村人は他で探すとしよう。
「いいえ、今宗教上の理由で他の人から食べ物は頂かないようにしてまして...」
「それも問題ないよ、この世界に君の信じる神はいない。さぁおとなしく捕まりなクソガキ!」
前言撤回、森だろうが何だろうが、人間が一番怖い!
俺の拒否反応を察したのだろう、男達が強行手段に出ようと立ち上がった。まぁ予感した通りだったから驚きはしない。俺は踵を返して地面を蹴る。
だが何も見えない。暗い。だが後ろからは炎の塊がずっと追いかけてくるのだっ松明で照らしている分、足場の悪い道を避けて効率よく俺を追いかけているのだ。森の木々に燃え移るだろうがよ!
一方俺はその松明の薄い光と空の星の光を頼りに、僅かに見てる森の道を突き進んでいく。だが数秒すれば捕まるだろう。人数と地の利と条件が悪すぎる!
ガタッ!
勢いよくナチュラルトラップに足を取られ、走る勢いのまま地面に顔の顎部分をガチン!!!と激突させてしまった!痛い!超痛すぎる!頭揺れる!
「大人しくしていれば怪我しなくてすんだのになぁ!」
ニヤニヤした笑いと共に、チリチリとした音が徐々に近づいていく。
終わる、異世界人生日が昇ることなく......。
「シューティングスター!」
星空が突然叫んだ。何事かと上を見る。そこには、輝く星々を背に跳躍する魔女の姿と、
降り注ぐいくつもの石だった!
それらは松明を持つ男達にガチン!と命中。そいつらは皆頭にその石が当たったのか、仰向けに伸びていた。ガチン!という音がやけに重々しい。
シュバッ!と杖をこちらに向ける!俺は思わずヒッ!と、声と両手を上げた。
「あなたはー......違うわね」
杖を俺の後ろの人間に向けながら、背後の倒れる男たちに向き直った。ブンブン首を縦に振る。
「とりあえず現行犯っと」
杖先を俺の後ろで伸びている男達に向けて言い放つ。すると謎の光が男達目掛けて飛び出し、手足に絡み付いた。その光が弱まり、銀色の鎖となって縛った。
「それと消火」
次は水が杖から放たれる。倒れた男が持っていた松明の炎に目掛けて放つ。じゅ~~と白い煙が立ち込めて沈下され、辺りは真っ暗となった。
「うっわぁ顔痛そぉ~、ちょっとじっとしててね」
そういうと、魔女は杖先を顎に当てて、唱えた。
「ヒール」
杖先からもやもやとした煙が噴出される。それを顎から浴びていると、まろやかな、そして心地よい気持ちになった。アロマの香りが漂い、恍惚な気持ちにさせてくれる。いつの間にか目を閉じていた。
「......はい!OK!」
「え、あれ!」
痛くない、いや若干の違和感はあるけれど、それでも先程の痛みよりかは格段にましになっている。
この人良い人だ!間違いない!悪い人やっつけて+怪我を治してくれる。これはもう良い人だろうよ!
「さっさと連行しますか、今までの事色々を聞かないとだし。君も来て、行く宛もないでしょ?どーせ」
姉御と呼ぼう。そう決意したとき、空気を掠める音しか聞こえず、暗くて何も見えなかったが、何かが横切った。
姉御はそれを華麗に避ける。
「伏せて!」
俺は伏せた。伏せながら男達を見る。だが暗くてよく見えない。よく見えないが、確か、そうだ、あのフードがいなかった、俺の記憶が確かなら。あいつは何処だ?
「もう一人、黒いフードの男がいた、多分そいつだ」
「でしょーね、近くで見ていたから知ってる」
そう言いながら周囲への警戒を怠らない。薄暗い闇が、周囲の木々をザワザワと静かに揺らしている。
「そこね!」
カレンもそれに目掛けて、杖を向け先ほどの鎖の光を放つ。
しかし炎はただ飛び出しただけで、俺達に襲い掛からなかった。正確に言うと、燃える丸太が足元に転がっただけだった。すなわち、囮にまんまと騙されたのだ。
「ロックショット!」
男の叫び声が聞こえたかと思ったら、地面に伏せている俺と同じ低さまで姉御がうつ伏せになって倒れていた。側頭部に血が出ていて、気を失っている。
「え、」
「ただの護衛がちょっとは楽しくなるかと思ったのによぉ、この程度で倒れちまうのか、つまんないな」
黒ローブの男は、糸を手繰り、火のついた木材を露わにする。
男はニヤニヤと俺を見下ろした。先ほど飛ばした何かは糸だったか。そして遠くで燃やしておいた木材に引っ付け、勢いよく引っ張った。それを黒ローブの炎魔法だと勘違いしてしまったということか。
だがそのせいで辺り一面の木々に炎が燃え移っている。このままでは森と共に火葬されてしまう。そうでなくとも、この黒ローブに始末されるかもしれない。
「とりあえず仕事はさせてもらうぜ、邪魔者を排除してからな!」
姉御と同じ鎖の魔法が俺と姉御に襲い掛かる。
────ゾワッ!!
俺は姉御をお姫様抱っこして、その場を勢いよく飛び出し、その鎖を間一髪で回避した。人を一人担ぐだけでも重い、更に姉御は怪我人で刺激させるわけにはいかないので、2m程の距離しか飛び出せなかった。
「お、動けるね、だが逃げる獲物追いかけるのって、別に趣味じゃないんだよな、火事に巻き込まれるのもごめんだし、お前だけでも連れていけば報酬は独り占めできるからな」
そういうことか、だから始末ではなく鎖で捕らえようと。
黒ローブは杖を向け、油断しきった笑みを浮かべている。
火事に焼かれる木々は燃焼し、その身を朽ちらせて不安定な状態にある。そんな「不幸」を察知して、「2m程の距離」を飛び出したのだから。
俺は黒ローブを睨んだ。できるだけ「意識をこちらに向けさせる」ために、意味深な台詞を吐いて。
「燃え盛る大木に下敷きになるなんて、そんな不幸、俺が読めないと思ったか?」
燃えた木々が偶然根本の弱い部分に燃え移り、その木々が偶然俺の伏せていた場所に倒れるなんてのは、俺にとっては日常茶飯事なんだよ。予測できないわけないだろう。
男は首をかしげて、このアホは何を言ってるんだ?といった表情を浮かべている。
「は?何言って...ってうわぁぁぁ!!」
余裕綽綽で俺を見ていて気付かなかったのだろう、俺の言葉に気をとられて、黒ローブの男は燃え盛る木の下敷きになった。
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