思い出の市場の店主さん――デクスさん――のお話その二
それは私が十三歳から十四歳にかけての時期のことでした。
露天の市場でお店を出していた、私に本を読ませてくれた商人のお兄さんは、名前をデクスさんといいました。お兄さんの名前を覚えたのは、その後なんどもなんども顔を合わせることになったからです。
デクスさんの家は、一家みんなが商人で、デクスさんはそのなかではいちばん、本人のいいかたによると「ぐうたら」なんだそうです。
あまり一所懸命働く気がなくて、商品を仕入れたり、商品を運んだりするような仕事はちっとも手伝っていなくて、リゴンブーフの露天市場にお店を出すときにだけ、お店番を引き受けているということでした。露天のお店番の仕事がないときは、だいたい近くの川や湖で釣りをしているんだといっていました。
私はその冬、露天市場にデクスさんのお店が出ていたら、いつもでもデクスさんのかたわらで、商品の本を読んで過ごさせてもらっていました。
あるとき、私が読んでいる本に興味をしめしたお客さんがいました。そのお客さんはとてもお金持ちのようで、その本がいくらであっても買いそうな様子でした。ところが、デクスさんは「それは売り物じゃないんですよ」の一点張りで、そのお客さんに本を売ることをことわり続けたのです。お客さんは不審がっていましたが、結局本以外の商品を一つか二つ買っただけで立ち去りました。
私はそのことがあってから、デクスさんに悪いような、あのお客さんに悪いような、とにかく自分のやっていることがゆるされないような気持ちになって、胸がざわざわして、それからしばらくのあいだ、市場に立ち寄ることができなくなりました。
むかしのことなので正確な期間は思い出せないけれど、おそらく二ヶ月くらいはその市場に立ち寄ることができなくて、ひさしぶりにのぞいてみたときには、デクスさんのお店は出ていませんでした。デクスさんのお店はいつでも出ているというわけではないので、そのときは「ああ、今日は出てないのか」と思っただけだったのですが、ほかの露天のお店に本が出ていないかなとぶらぶら歩いていると、あるお店の人に声をかけられました。
「もしかして、織物屋のファトちゃんって、きみかな?」
「そうです、ファトです、こんにちは」
「ちょっと待って、デクスから預かっているものがあるんだ」
「デクスさんからですか?」
私はその瞬間、なんとなく嫌な予感がしました。そのお店の人は、いったん店の奥に行って、大きな鞄からなにか包みに入ったものを取り出して、そして私のそばに戻ってきました。
「デクスは今月から、レブロドルフの方に行ったんだ。兄貴の都合だかなんだかでね。もう一度君に会いたがっていたよ。こっちにいる最後の日も、君が顔を見せなかったものだから、君にこれを置いてったんだ」
といって、持っていた包みを私に渡してくれました。
その包みを持った瞬間、私はそれがなにかが分かりました。それは私がとても欲しがっていた物だけれど、このとき、ちっとも嬉しいという気持ちにはなりませんでした。
「レブロドルフってどこですか? 遠いですか?」
「とても遠いね」
「そうですか。ありがとうございます」
包みの中には私が欲しがっていた物と、それと小さな紙が入っていました。
その紙には小さな文字で、こんなことが書いてありました。
―― 君はきっとなにか書く人になるんだろうね
―― 君が書いたものを読める日が来るのを楽しみにしているよ
―― きっとすぐなんじゃないかな
――
―― デクス
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