第2話 田舎へ(2)

「お待たせして申し訳ありません。お預かりしていた遺言書を探すのに時間がかかってしまって」


「しばらく休みをもらってきていますので時間は問題ありませんよ。どうぞ上がってください」


 鈴木弁護士の謝罪の言葉にそう返して、居間へと案内する。


「冷たいお茶で申し訳ありませんが」


「いえいえ。いろいろと駆け回っていて暑いくらいでしたので助かりますよ」


 用意してきたお茶を出すと、鈴木弁護士はそう言ってコップに口をつける。彼はお茶を飲んで一息ついてから話を切り出してきた。


「これからのこともお話ししたいと思いますがよろしいですか?」


「ええ、もちろんです。よろしくお願いします」


 鈴木弁護士の正面になるように座り直し、話を聞く姿勢を作る。


「早速ですが、私は達樹さんの大伯母様、森山紅葉くれは様より遺言書をお預かりしていました」


 そう言って鈴木弁護士は隣に置いた書類カバンから封筒を取り出す。


「遺言書に記載されているのは次の3つです。1つ目は葬儀などを行わず火葬だけを行うこと、2つ目は全財産を甥の息子である達樹さんに残すこと、3つ目は相続の条件として所有する山林に人の手を入れずに自然のまま残すことです」


「所有する山林ですか?大伯母さんは山を持っていたんですか?」


 血縁者が俺しか残っていないことから葬儀をしないことや遺産については理解できたが、3つ目の言葉については予想外だった。


「はい。森山様は山林を所有されていまして、この家の裏に広がる山すべてがその対象となります」


「裏の山すべてですか……。自然のまま残すこととありますが、管理はどうすればよいのでしょう?私には山の管理をするような技術はありませんし」


 この家の裏に広がる山のことを思い出してみる。小学生のころに遊びに入ったときの記憶なので曖昧だが、かなりの広さがあったように思う。


「それについては問題ありません。現在も山林を管理する会社と契約して管理を委託していますので、その契約をそのまま引き継いでいただければ達樹さんが管理する必要はありません」


「そうですか」


 ほっとしてそう声に出す。まあ、さすがにここに住んでいたからといって、紅葉おばさんが山の管理をしていたわけはないか。


「また、山林以外の相続についてですが、森山様は預貯金、有価証券を合わせて2億円ほどお持ちです。それに加えてこの家と裏の山を含めた土地が相続対象となります」


「2億円もあるんですかっ!?」


 あまりの額に驚きの声を上げてしまう。山を持っていたことにも驚いたが、紅葉おばさんがそんな大金を持っているとは思ってもみなかったからだ。

 家の建て替えを行ったこともあり、老後の蓄えが少し残っている程度だと思っていた。それに、紅葉おばさんの弟である祖父やその子供である父は、特にお金持ちというわけでもなく平均的な家庭であったはずだ。


「ええ、バブルのころにお持ちだった土地を手放して、まとまったお金を手にされたそうですよ。そして、森山紅葉様の法定相続人は存在しないことが確認されていますので、3つ目の相続の条件を呑まれるのであれば特に争うようなこともなく遺言書通り達樹さんが全財産を相続することになります」


「……」



 正直、その後のことはあまりよく覚えていない。

 紅葉おばさんの火葬を行ってお骨を持ち帰ったのは確かだが、それ以外は鈴木弁護士に言われるがまま手続きを進めただけだ。


 こうして、2億円を超える大金と家、そして山を相続することになった俺は、人間関係に疲れた会社に退職届を提出した。その後、上司による引き留めや引き継ぎ作業に時間をとられながらも、どうにか無事に退職することができたのである。






「今日からここが俺の家か」


 退職から3日後、引っ越し荷物の搬入を終えた業者の人たちを見送り、新居となる家を見上げてつぶやく。

 家の相続の話を聞いてから、退職後は街の中にあったアパートを離れて紅葉おばさんが住んでいた家に引っ越そうと考えていた。そして、退職3日でそれを実行したのだ。

 といっても、相続手続きが終わってから退職するまでの間に内装のリフォームや新しい家具の運び入れ、インターネット回線の開通工事などは先にやっていたのだが。


 家の中に入り、荷物や内装を見て回ることにする。リフォームで手を加えたのは台所や洗面、風呂、トイレなどの水回りと内装の取り換えになる。キッチンや洗面台が紅葉おばさんに合わせて作られていたため、俺が使いやすいようにとリフォームを考えたのだが、気づいたら風呂やトイレ、内装の取り換えまですることになっていた。

 ……営業マンの話術とはすごいものだ。まあ、大金が入って気が大きくなっていたのもあるのだろうが。


 家の中をひととおり見回って特に問題がないことを確認した後は、引っ越し荷物を片づける作業で一日を終えることになった。




 引っ越しから数日が経過し、新しい家にも慣れ始めてきた。

 朝はのんびりと9時ごろに起き出し、顔を洗ってからコーヒーメーカーのスイッチを入れる。そして、テレビを付けてワイドショーを見ながらコーヒーが入るのを待ち、コーヒーが入ると街で買ってきたパンで朝食をとる。朝食後は洗濯物を洗濯機に入れて散歩に出かけ、戻ってくるころに終わっている洗濯物を片づける。

 これがここ数日でできた朝の習慣だ。


 今日もいつも通り、食後の散歩へと出かける。

 散歩は裏山の雑木林の中を歩いていく。街へとつながる道路の端から管理用に使われていると思われる林道が頂上まで続いているので、そこをのんびりと歩く。3月の終わりでまだ肌寒さが残っているが、歩いていれば次第に温まってくるので気にしない。

 落ち葉を踏みしめて歩いていると、ときおりスミレの花が咲いているのが見える。他にもシダっぽい草や白い花などが見えるが、あいにくと名前はわからない。ただ、もうそろそろ春になるんだなあと感じるだけだ。

 20分ほど歩くと開けた場所に出るのでそこで休憩する。初めて来たときは落ち葉の上に直接寝転がったのだが、帰ってから服が大変なことになっていたので、次の日からはレジャーシートを持ってくるようにしている。

 レジャーシートを広げて横になると、よく晴れた青空が広がっていた。そのまま、特に何をするでもなく20分ほど休憩する。

 こんな風に何に追われることもない時間が送れるようになるとは、会社勤めのころは想像もできなかった。つくづく、こんな最高の環境を得るきっかけをくれた紅葉おばさんに感謝である。



 それに気づいたのは、散歩の帰りに裏山の林道から出てきたときだった。家の正面、道を挟んだ向かい側の空き地にそれはあった。


「青い宝石?」


 そうつぶやきながら空き地に入り、青い宝石に見えるそれに近づく。

 近寄って確認すると、それが宙に浮かぶ青い水晶であることが分かった。そして、水晶の横には大きな穴が開いており、地下に向かって階段が伸びていた。


「……まさか、ダンジョン?」


 やや震えた声でそうつぶやいた後、慌てて周囲を見回す。周りには自分の家と道路、裏山の雑木林だけがあるいつもと変わらない光景があった。とりあえず、周囲にモンスターは出ていないようだ。

 ひとまずは安心し、改めて水晶と大穴を観察してみる。

 水晶の形状は正八面体となっており、青く光り輝いている。水晶の下には四角い台座が設置されているが、台座には触れずに空中に浮かんでゆっくりと回転していた。

 大穴についても奥を覗きこんでみたが、暗闇の向こうまで階段が続いていることが確認できただけだった。


「やっぱりダンジョンっぽいな。しかし、ダンジョンが発生した場合は自然のままに残すことになるのか?」


 紅葉おばさんからの相続条件を思い出し、そんなズレたことをつぶやいて首をかしげた。

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