第9話 見えているもの
アフリカなどでは未だに呪術師が存在し、呪いによって病に倒れた人の病気を治すという話を聞いた。たしかサッカーの日韓ワールドカップの時だったろうか、アフリカの呪術師が自国の勝利を願って呪いをかけたとかなんとか、そんな話だったと思う。日本だとそんな規制がないからできるとか。
呪術とかそういう事を言うと、文化が遅れてるからだという人や、否定しないまでも
「心理的な問題を解消するだけでも、精神的に持ち直すこともあるから、そうした存在なんだろう」
「その地域で活躍している呪術師ならば、その周辺に住む人たちの情報を持っているはずで、そうしたところからフォローできるんだよ」
と、自分の理解できる範疇に落とし込む場合もある。
でも、本当にそうなのだろうか。『ピダハン』という本がある。アマゾンに住む少数民族のピダハンについて、そこへ布教しに行った宣教師が書いた本だ。
その冒頭にこんな話がある。ピダハンの部族の人たちが川岸で騒いでいるので、そこに宣教師家族が行ってみた。ピダハンたちは皆同じ方向を見て、精霊が居ると騒いでいる。
だが、宣教師たちにはその精霊が見えなかったという話だ。同じ場所にいて同じ景色を眺めていても、本当に同じものが見えているとは限らない。何がそうさせているのかはわからないが、確かに認識するモノに違いがあるということを示しているのではないだろうか。
ピダハンたちが見えたものは、自分が見えなかったからと言って否定はできないはずだ。
この宣教師だった人も否定してはいなかった。実は、ピダハン達との価値観の違いの積み重ねが彼の人生を変えてしまい、宣教師ではいられなくなり、この本を執筆することにつながっていく。だから冒頭にこの話を持ってきたのだろう(でもこの本、呪術とかそうした本じゃないから)。
もしかしたら、人は自分が見えると思っているものだけが認識できるのかもしれない。そう思ってしまう逸話だ。
この宇宙は11次元あるという。下の次元の存在では高次の次元の存在を認識できない。
だが、なにかのはずみで、他の次元と触れ合ったとしたら?
その次元のものが認識できたとしたら?
自分の見知らぬ姿は異形のモノとして映るのではないのだろうか。妖怪とか、その可能性はあるんじゃないか。
これは、知り合いが言っていた言葉だ。
顕微鏡が出来た当初のスケッチで、精子の中に人の形を見た?正確にはスケッチした人がいた。
それから、江戸時代には体の中に虫がいて、これが病気などを引き起こすと考えられていたが(いわゆる腹の虫)、やはり顕微鏡でこの「腹の中の虫」をスケッチした人がいた(『「腹の虫」の研究』)。
彼らが本当に見えていて描いたのか、それともそうであれかしとして、そう描いたのかはわからない。
見えないけれど確かにいるものはいくらでもある。空気はあるけど見えない。ウイルスも細菌もあるけど見えない。でも、もしかして探知系の能力がえらく高い人が存在したら、もやしモンの沢木のように見えてしまう人がいる可能性だってあると思うのだ。
実は別の器官で情報を収集して、目に見える、視覚という形で認識していることはあっても変ではない。
例えばヘビのボア類は赤外線をキャッチする器官をもっているが、それは脳の中で合成されて温度が目に見える形になっていると聞く。
だから、私と貴方が同じものを見ているという保証は、実はないのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます