書店「超高層」

低田出なお

書店「超高層」

 ゾンビがレジに持ってきたのは「今日から始めるシリーズ -終活編-」だった。ビニールの手袋をしていて、体から溢れる体液で汚れないように配慮しているらしかった。

「せ、せんにひゃくはちじゅうえんです」

「ぅあ…」

 皺の寄った紙幣を受け取り、レジを操作してお釣りを出す。そのままレシートと共に渡すと、ゾンビはゆっくりと受け取り、足を引き摺りながら退店して行った。

「せ、先輩」

「うん?」

「今の、なんすか」

「何って」

 先輩は少しレジから身を乗り出して階段の方を見やってから、こちらに向き直る。

「ゾンビでしょ」

 何でもないように言うその様子に、体をばざばざ動かして抗議する。異常事態数歩前ではないのか。

「ゾンビですよ!」

「? だからそう言ってるじゃない」

「ゾンビもくるんですか」

 そう言うと、先輩は露骨に顔を顰める。店内に目を向け、誰もこちらを見ていないことを確認してから溜息を吐いた。

「お前、それ絶対客の前で言っちゃダメだよ」

 指摘され、自分が口を滑らせたことを自覚しはっとする。慌てて聞かれていないかと先の背中を探す。もう後ろ姿は見えなくなっていた。

「すみません」

「最近そういうのシビアだから。そこらへんはね」

「気を付けます」

 先輩は分かればよろしいといった顔で前髪を吹くと、店内の方へ向き直った。

 目の端でその様子を見ながら首だけを俯かせる。やってしまった。まさに「口は禍の元」。いや、この場合は「油断大敵」の方が適切だろうか。仕事に慣れ始めていたから、気が緩んで言わなくても良いことをわざわざ口に出してしまった。

 アルバイトとはいえ、これは金銭を受け取るれっきとした仕事だ。気を引き締めて行かなくてはならない。

 頬を音が鳴らない程度に叩いて顔を上げる。広い店内を見渡せば、気の遠くなるような本棚の群れが立ち並んでいて、まばらに見える客の姿はその群れの中に隠れているようだった。

 しかしである。階の高いこのフロアは入口のある下の階から入ってきた客の事を把握できない。そのため、向こうがレジに近づいてきて初めて客の種族を認識するのだ。分かっていても自分と異なる種族の相手と対面すれば動揺してしまうのに、突然のエンカウントとも成れば一言二言口を滑らせても仕方がないような気もする。

 自己弁護を頭の中を回していると、キュルキュルという機械音が近づいてきた。レジから見て左手奥、確か図鑑や図録のコーナーだ。

 変に視線を向けては不審がられてしまう。私は一番近くの本棚の上に飾られた星座のオブジェを見つめ、気にしないようにした。

 音の主はほどなくしてレジにやって来た。先輩側のレジに並んだのは立ち乗り型の二輪車に乗った女性である。その二輪に立っているのが足ではなく尾びれである点を除けば、先輩や私と大きな違いはなかった。艶やかな鱗が輝く下半身には、不思議な色気を感じさせた。

「6030円になります」

「~♪」

 聞き取れない言葉を口にした彼女はにこやかに、そしてどこか恐ろしい笑みを浮かべて退店していく。人魚がどんな本を買っていったのか気になったが、不自然にならないように配慮した視線では盗み見ることは叶わなかった。

「流石に見すぎじゃない?」

「ぅえ?」

 話しかけられるとは思っておらず、気の抜けた声がこぼれる。先輩はからかいの混じる苦笑いを浮かべていた。

「多分気づかれてたよ」

「…いやいや、私あそこのオブジェ見てたんで」

 棚の上を指さす。先輩の笑みに呆れが混ざった。

「確かに変なこと言わないよう言ったけどさ、別にチラチラ見ろって言ったわけじゃないよ?」

「いやマジですって、見てないですから」

「でもさっきの人魚さん、若いですねーって言ってたし」

「なんで言葉分かるんですか…」

「まあ、よく来るから」

「…人魚って普通に伝説上の種族だと思ってましたよ」

「その考え方もあんまりよくない。伝説上の種族が本買いに来ちゃダメ?」

「そんなことはないですけど…」

 自分が今後対応する客の種族を想像して目を細めてしまう。続けていけば、先輩のように慣れていくのだろうか。

「気持ちはわかるけどね、私も入ってすぐの時はそんな感じだったし」

「そんなもんですか」

「そんなもんよ。というか結局慣れじゃない?」

 先輩は小首を傾げる。私は疲弊しながら頭をかいた。

「変に種族だとか考えなくていいからさ、学校のクラスメイトくらいの関係性をイメージするといいよ」

「…わかりました」

 再び店内に向き直り、棚の上のオブジェに視線を向けて先輩のアドバイスを反復する。

 クラスメイト。確かにその考え方はいいかもしれない。とりわけ仲の良い友達というわけでもなく、かといって全く知らない相手ではない。あくまで知り合いくらいの関係。今の私が異種族の方と対面するのに必要なのこのマインドかもしれない。

 そう考えると少し気が楽になった気がする。クラスメイト。うん、ちょうど良い関係だ。

 一度心構えが出来ると、一気に精神が回復してくる。どんな客でも対応して見せるという気持ちが沸き上がってきた。

 さあ、どんとこい。

「あの」

「っはい、いらっ」

 レジの前に立っていたのは一人の男だった。人間にしては大きめな背丈をどこか申し訳なさそうに丸め、こちらを見上げている。

 引っ込んだ言葉を誤魔化すように、受け取った本をレジに通す。

「にせんにひゃくにじゅうにえんです」

「えーと、はい、ちょうどでお願いします」

「はい、にせんにひゃくにじゅうにえんちょうどおあずかりします」

 レジを打つ手が震える。何度か助けを求めて先輩の方へ視線を向けたが、冷や汗をかいた顔を逸らされるだけだった。

「ありがとうございました」

「どうも」

 軽く会釈をして立ち去る背中を見えなくなるまで目で追う。完全にその姿が見えなくなってから、ゆっくりと先輩の方へと顔を向けた。

 先輩は相当動揺していたようで、頭の上の輪っかをピカピカ光らせながら言った。

「びっくりした。私も初めて見たよ。生きた人間ってほんとに存在するんだね」

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書店「超高層」 低田出なお @KiyositaRoretu

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