それでも僕は、彼女が好き

 僕が初めて浅田さんを認識したのはこの学校に入った時だ。遠目から見るだけでも綺麗な人だったし、それにクラスでも噂になっていた。

 金髪の地毛に青い瞳。スラッとした体型に温和な雰囲気をまとった彼女は直ぐに学年のアイドル的な存在になった。

 帰宅部でなんの取り柄もない僕には彼女を遠目に見るだけしか出来なかったし、そもそも僕とは住む世界が違うのだ。当初はそう思っていた。

 あれは一学期も終わる頃だった。学校の手前の道で前を歩く浅田さんのカバンから何かが落ちた。それを拾って駆け出した。

「これ、落としたよ」

「ありがとう。それとこれは先生には秘密ね」

 と、落としたお菓子を大事そうにカバンへとしまう。それからとても幸せそうに笑って学校へと入って行った。誰が見たって美人なのに、それを鼻にもかけない屈託のない笑顔をして。

 天使がいるのならきっと浅田さんみたいな姿をしているのだろうと思った。彼女に触れた空気が光り輝いて見えた。それはまるで暖かく辺りを照らす春の太陽の様で、きっとその時から僕も彼女のおかげで輝き出したのかもしれない。

 だって、それから僕の目に映る世界がとても優しく変わっていったから。だから僕はその日から、少しでもこの世界に貢献できるように心掛けるようになったんだ。

 床にゴミが落ちていたら拾う。花瓶の水を取り替える。誰も気にもとめない小さな事だけれども、僕はそれを自然とするようになった。

 あれから夏が終わるまで浅田さんと話すことはなかったけど、休み開けの席替えで隣になった。僕は声を出すことが出来ず軽く会釈するのが精一杯だった。それでも彼女は優しく微笑みかけてくれた。

 あまりにも自分が情けなかった。声すら掛けられなかったのだ。そこまで自分はヘタレだったのか、と自分で自分のことを責め立ててみたものの、浅田さんに声をかけることは一向に出来なかった。

 帰り道。太陽に照らされて伸びる影が酷く寂しく思えた。一人で何も出来ないままでいいのか、と自問自答した。土手の上に広がる空は真っ青でまだ夏の匂いを残した藪がカサカサと風で揺れる。

 水平線の向こうまで続くこの道を見つめて泣きたくなった。いつも「おはよう」と挨拶してくれる浅田さんに答えることが出来るようになりたい。せめて人並みの勇気が欲しい。自信が欲しい。

 もうすぐクラス対抗の陸上競技会があることを思い出した。それに選ばれよう。そうすればきっと話し掛けることぐらいは出来るようになる。

 僕は次の日からこの土手で練習を始めた。がむしゃらに走るだけしか出来なかったが、それでも何もやらないよりはマシだと思いながら。


「お、おはよう」

 と、僕は浅田さんに言った。クラス対抗リレーの補欠に選ばれた時よりドキドキしていた。

「高城くんおはよう」

 と、いつも通りの挨拶が返ってきた。挨拶程度で何が変わるわけではないとわかっていたけれど若干落ち込む。それこそ、今日は天気がいいね、だけでもいいのだ。何もできない自分に腹がたった。

 友人の八代に浅田さんのことを告げた時、

「無謀過ぎる。高嶺の花の中の高嶺の花じゃん。浅田さんって」

「わかってるよ、そんなことは」

 と、言われた。それでも僕は、彼女が好きなんだ。初めて目にした時からこの思いは変わらず、それどころか日に日に思いは募っていくばかりだ。

「もう当たって砕けてみろよ。骨は拾ってやるからよ」

 あから様に態度に出ているのだろう。ついには八代にもそう言われてしまった。

 だから僕はクラス対抗リレーが終わっても走り続けた。土手ですれ違う彼女はいつも変わらぬ笑顔で、幸せそうなその横顔を見てしまうとやっぱり声が掛けられず、もうどうしょうもないほど浅田さんのことが気になってしまい、それを振り払うために全力で走った。

 休憩がてら買ってあったペットボトルのお茶を飲む。空は澄んでいて高くみえる。吹き抜ける風は少し寒かった。冬が近づいているのを実感する。お茶を飲み終えると、僕はまた走り出した。次こそは、という思いと、無謀過ぎる、と八代に言われた言葉が頭の中でぐるぐる巡る。それを振り払うために脚を前に進め続けた。

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