第6話 甘い香り
ムフレスのもっさりとした頭が揺れた。湿気に弱い彼の癖毛は、昨日より少しだけ広がりが大きく表情が見えづらい。
「こ、こんなものは知らない」
「見え透いた嘘を」
「言い訳など聞く必要もない、殺せ」
ムフレスと近衛の問答を、ダウワースが冷たく言い放って止める。
「待ってください、兄上。ムフレスはそんなこと――」
ラーニャはカミルの袖を引いて意識を向けると、声量を気にせず状況を尋ねた。
「ムフレスのポケットからは何が出て来たんですか?」
「あ、ああ。小瓶が。あと君の目を覆うやつとハンカチと」
「瓶はどちらのポケットから?」
カミルが近衛を見る。近衛は自分の手の中のアイテムとムフレスとを見比べてから口を開いた。
「瓶とレースがジャケットの左、ハンカチは同じく右」
「えー。それはおかしいです。そのレースは泥だらけにしてしまったんです。普通なら瓶の入ったポッケにそんな汚いもの入れたりしないのでは? 誤って泥まで混入したら絶対飲んでもらえないじゃないですか」
うふふと笑うと、ダウワースは「細かいことはいいんだ」と激昂した。
「アイツが瓶を持ってたのは確かだろうが。カミルにも話を聞かせてもらわんとな」
「いえ、やっぱりおかしいです。ダンスのあとムフレスはずっと私たちのそばに……あら、いましたよね? 私、気配はずっと感じてたのでてっきりいるものと思ってましたけど」
「それがどうした、オレがお前たちのところに行ってから隙を見て入れたんだろう」
「そんなにすぐそばで瓶を開けたなら、私きっともっと早く気づいてますわ。目が悪いぶんだけ、鼻や耳はいいんですもの」
ダウワースがラーニャを強く睨みつける。
誰もが息を呑んでそれを見つめ、カミルはラーニャを背に隠すように前に立った。
「同じ陣営の奴が何を言おうと変わらんぞ、庇っているだけだろうが」
「いえ、兄上。ムフレスは魔導士です。武勇を誇る貴方の目を盗んで異物を混入できると?」
ぐ、とむせながら口を閉じたダウワースはしかし、イライラを隠すつもりはないようである。右足がバタバタと芝を叩く。
「じゃあ誰がやったって言うんだ」
ラーニャは鼻をひくひくさせながら首を傾げた。
「その瓶、もしかして蓋は開いたままですか? 甘い香りが」
「はい、蓋はどこかに捨てたのでしょう」
そう答える近衛に、ラーニャは努めて無邪気に「きゃはー」と笑いかけた。
「では私が蓋を探してもいいですか? もしかしたらまだ真犯人が持ってるか……そうでなくとも犯人につながるヒントがあるかもしれませんもの!」
「おいカミル、なんだあの侍女は」
「申し訳ありません。だがしばらく自由にやらせてやってもらえませんか、ムフレスの無実を証明できる可能性があるなら、俺はなんだってやりたいので」
「何もなかったら、お前たち三人ともわかってるんだろうな」
「ラーニャは違うでしょう、彼女はあなたを救ったんだ」
カミルが食ってかかったが、別の場所から茶々が入った。
「えー、つまり全部カミルたちのシナリオ通りってことー?」
第三王子である。
ラーニャは笑みを浮かべたままカミルの腕をとった。会場内を歩かせてほしいという意図を正しく汲み取ったカミルが頷いて、ふたりはゆっくりと歩き出す。
ラーニャには犯人がわかっている。バスリー家の記憶は些細な異変さえ見逃さないのだから。
ただ、目が見えていることを隠したままそこまで導くのが難しいのだ。この流れも少々無理を通しており、カミルが従者を大切にする人物でなければここまでうまくはいかなかった。
もし今後もこういうことが続くのであれば、是非アシスタントがほしいところである。
ラーニャとカミルが歩を進めるたび、人々は一歩二歩と離れていく。途中で匂いを嗅ぐような仕草をしてみせては、わざとらしく「うーん」と唸った。
短気なダウワースが叫ぶ。
「おい、早くしろ」
「申し訳ありません、殿下。でも確かにこの辺りで甘い香りがしたような」
そう言うと、近くにいた参加者たちが一斉に顔を見合わせた。
自分は違うと訴えるように首を横に振る者、誰かしらと周囲の様子を気にする者。その中に、顔を青ざめさせた女が人々の陰に隠れるように身を小さくしたのが見えた。
カミルの腕を引っ張って、女の方へと向かう。
「カミル様、こちらへ」
再び人々が数歩後退し、ふたりの両脇に人垣ができる。そのうち、ラーニャの足は女の前で止まった。
「ここから香ります」
「冗談はよしてくれ!」
叫んだのは男の声だった。一斉に声の主に視線が注がれた。
それは、第三王子であった。
「と、とんだ茶番だよ。それは僕の侍女だ。彼女がなんでそんな」
黄の星がふらふらとラーニャのほうへと近づいて来たが、その肩をダウワースが掴んで止める。
「オレは気がたってる。つまんねぇ言い訳するんならオレが直々に今ここでお前もろとも殺す」
「お待ちくださいっ!」
次に叫ぶこととなったのは、犯人の女だ。
彼女はラーニャとカミルなど見えていないかのように己の主のほうへと走り寄り、ダウワースに対してひれ伏した。
「全て、全てわたくしの一存でしたことでございます。黄の星はこの件に関して一切関わりはございません!」
そう言って差し出した彼女の手には、甘い香りを発する小さなコルクが載っていた。金具が取り付けられ、細い鎖が繋がっている。瓶を首から下げていたのだろう。持ち物を検められるとなって、慌てて瓶の部分だけをムフレスのポケットに差し込んだのだ。
「くそ……。おい、連れて行け」
ダウワースはひとつ舌打ちをして近衛に指示を出し、自身は振り返ることなく会場を後にした。
女が引きずられて行く様を見ながら、カミルはラーニャの肩を強く抱いたのだった。
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