第7話 カミルの罠


 パーティーはリーン妃が顔を青くしながらどうにかおさめ、参加者たちもとして納得して解散した。第三王子と第二王子の関係がどう変わるかは、犯人への尋問の結果次第であろう。だがそれはラーニャには関係のないことである。


 ラーニャは疲労がたたって早々に眠りにつき、次に目を覚ましたときは翌日の午後であった。暑いのに寒くて震えるという感覚は高熱が出ている証左であり、目覚めたラーニャは溜め息をつきながらベッド脇にあるはずの呼び鈴を探した。

 父や兄ほど多くの場数を踏んでいない彼女は、脳を働かせた際の負荷に耐える体力が少ない。侍女として働くうちに少しずつ慣れていくだろうと思っていたのに、準備運動をする暇もないまま最大レベルの負荷をあたえることになるとは。


「……あれ」


 呼び鈴がない。


「……やば」


 そもそも、今はいったい何時なのか。ラーニャが重い体をじりじりと動かしてベッドから出ようとしたとき、額からぬるくなった手ぬぐいが落ちた。


 一体誰がこんなことをと訝しんでいると、天蓋から垂れるシフォンに影がさして耳当たりのいい声が発せられた。


「やっと起きたか、俺の仔猫ちゃんは」


「あ……おはようございます、藍の星」


 シフォンが揺れて澄んだ青の瞳が覗く。カミルは起き上がろうとしたラーニャの肩をおさえ、羽毛の詰まった布団を掛け直した。


「火照った顔はそそるんだけど、その熱で動かれても困っちゃうからさ」


「申し訳ありません」


「俺さ、君が一体誰の指示でここに来たのかずっと考えてたんだケド」


 カミルは音もたてずゆっくりと腰に佩いたダガーを抜き、ラーニャの眉間から指三本分ほどのところで垂直に構える。


「命を助けたってことはダウワース? でも彼にスパイを送るような小賢しいことができるとも思えないし、もしかして黄かな。だがそうだとすると事件を解決させる必要がない」


 黄というのは第三王子を指している。確かに昨日のパーティーで犯人として捕まったのは第三王子の侍女であった。


 ラーニャは呼吸さえ楽ではないこの状態でダガーを向けられることに苛立ちを覚えたが、表情を変えないよう努める。


「何度も申し上げた通り、私は父の指示を受けただけですので」


 ダガーが振り上げられた。


「黄の星はもちろん、あなたを除くすべての王子殿下と関わりがありません」


 勢いよく振り下ろされたダガーは、ラーニャの眉間から紙一枚分のところで止まった。一瞬遅れて風圧がラーニャの頬を叩き、彼女はカミルのほうへ顔を向ける。


「いま、何かなさいましたか」


「ふ……、あはは! 凄いな君は。本当に凄い」


「なんのことでしょう」


 カミルは何も言わないままダガーをしまい、ラーニャへと顔を近づけていく。ゆっくりと、だが確実にカミルの顔が近づいて来る。その瞳は途中で閉じられ、唇が唇を狙っていることは明確であった。


 また寸でのところで止まるのか、はたまた本当にキスをするつもりか、見えない人間はこの場合どうするのか、ラーニャは瞬間的にパニックに陥った。

 武器を向けられようとも、暴力を振るわれようとも、見えぬ振りをする鍛錬はして来た。もちろんカミルの行為に気づかない振りをするのは難しいことではない。が、そういう問題ではないのだ。


 ラーニャは何気ない風を装って正面へ頭を戻した。カミルの顔がラーニャの肩に埋もれ、耳元でクツクツと笑う声が聞こえる。


「な、どうなさったんですか」


「なんでもないよ。くくっ……。いやぁ昨日はムフレスを救ってくれて助かった、ありがとね」


 顔を上げたカミルはまだ笑っている。

 しかし手ぬぐいを水に浸し、よく絞って冷たくなったものをラーニャの額に載せた。

 ラーニャはそれが心地よくてまぶたを閉じる。


「いいえ、当然のことをしたまでで――」


「でもかなり無理を通したよね、蓋を探すなんて無駄なことだと思うのが普通じゃないかな」


「そうでしょうか」


「鎖がついてるなんて想像しないでしょ。誰もがその辺に捨ててあるはずだって思ってたと思うしね。ダウワースが脳みそまで筋肉だから勢いで丸め込めたけどさ」


 カミルの言葉に含みを感じて、ラーニャは何も言わず続きを待った。


「でも君は犯人がわかってたから蓋を追うしかなかったんだよね、わかるよ。だから俺はそれに賭けた」


「ちょっと何をおっしゃってるのか」


「君の目はちゃんと見えてる。レースの覆いを落としたのはわざとでしょ、きっと会場をしっかり見ておきたかったんだ」


 布団の中で手を握る。どこでミスをしたのか見当もつかず、不安のせいかラーニャは喉にひどい渇きを覚えた。


「快晴の空の下で、君の目は縮瞳した。レースをとって目を開けたとき、瞳孔が小さくなったんだ」


「昨日も申し上げましたが、明暗や色の違いが分かる程度には見えています」


「キスしようとしたら真っ赤になった」


「は? いえ、それは熱のせいで」


「ほら! キスしようとしたことは知ってたわけだよね」


 大笑いするカミルに、ラーニャはなんと言い返すべきかと頭を悩ませるが、最適な反論がすぐには出て来ずに口をはくはくと動かすばかりであった。


 カミルが乱れたラーニャの髪を優しく整える。


「秘密が露見する、または疑われる可能性だってあったのに、それでもムフレスを助けようとしてくれたこと、感謝するよ」


 彼の手の温もりにホッとしたラーニャは、睡魔の訪れを歓迎した。




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