第4話 不得手なこと


 翌日、ラーニャはカミルの侍女として王城の庭で催されるガーデンパーティーに出席することとなった。これは小規模ながらリーン妃が主催するパーティーで、ラーニャを紹介するのが目的である。つまり、ラーニャがカミルの侍女となることはかねてより決まっていたということだ。当事者はどちらも知らなかったわけだが。


 普通、侍女と言えば主の話し相手になったり服飾その他の世話をしたりするのが仕事である。だが、この国において「王子の侍女」となるともうひとつ重要な意味があった。王子の結婚相手の候補という暗黙の了解があるのだ。リーン妃が「女の子遊びはほどほどに」と言ったのにはそういう意味があった。


 会場にはすでに出席者が勢ぞろいしており、カミル並びにその従者であるラーニャとムフレスは最後の登場であった。


 カミルの侍女としてバスリーの娘が現れたことに、会場内には小さくない驚きの声が広がる。


「ラーニャ、皆様にしっかりとご紹介したいのだけれど、お顔を見せてあげることはできて?」


「はい。……あっ」


 国王の愛の全てを独り占めするリーン妃の言葉は絶対である。

 ラーニャは頷いて黒のレースを外したものの落としてしまったばかりか、あまつさえそれを踏みつけてしまった。


 カミルの侍女になったのが気に食わないのか、カミルと同様に敵対勢力の手先だと思っているのか、ムフレスはラーニャに対して警戒してばかりである。そのムフレスが、小さく舌打ちをしながらレースを拾った。


「露に濡れて泥だらけです。ドレスが汚れますから自分が」


「ありがとうございます」


 小さく交わされた言葉は誰の耳にも届かない。

 ラーニャはあらためて招待客の方を向いて、丁寧に淑女の礼をとった。


 眼球をできるだけ動かさぬよう、首をまわして周囲を見渡す術は覚えた。咄嗟のときにそちらを見ないように、または目を瞑らないように、というのは修行中だけれども。

 レースがなくとも、数時間なら騙しきれるはずである。いや、そうでなければバスリーの本領は発揮できないのだ。


「バスリー伯ウィサムが長女ラーニャでございます。この度はご縁をいただき、カミル王子殿下のネクタイを選ぶ栄誉に預かりました」


 出席者をぐるりと見る。上位の継承権を持つ王子が二人も出席していることに驚くも、ラーニャの表情は崩れない。

 参加者の中から野次が飛んだ。


「見えないのにどうやって選ぶんだ?」


「色や柄はご本人に選んだものをご説明いただくほかありませんが、幾度か繰り返せば感触で覚えられますわ」


 ラーニャがよどみなくそう答えれば、多くの者は「バスリーだから」と納得したようであった。


 リーン妃が後を引き取ってパーティーが始まった。と言っても格式張らないガーデンパーティーであり、それぞれが会話を楽しんだり庭を散策したり踊ったりと思い思いに過ごすものだ。

 この庭はリーン妃のために緻密に整備され、植物で造る立体迷路や人間を駒にする特大のボードゲーム盤などがある。ダンスを踊るための場所もまた当たり前に用意されていた。


「君は踊れる?」


 出席者への挨拶を一通り終えたところで、カミルがそう尋ねた。


「踊れると言っていいのか……」


 もちろんダンスは貴族の嗜みであり、ラーニャもレッスンは受けている。だが、幼い頃に目を閉じたまま踊った際の恐怖がトラウマになっているのだ。

 これが例えば乗馬なら、目を閉じて乗ることはないからいい。そう、乗馬は他者を殺める可能性があるため緊急時以外は乗らないことと決められている。しかしダンスはそうもいかない。このルールを作った先祖は死んでしまえばいい。もう死んでいるけれども。


「んじゃ、やってみよっか。せっかくとしてみんなに紹介したんだし?」


 カミルにエスコートされ、会場内の開けた場所へ向かう。曲と曲の合間に中へ入ると、他に踊る者がいなくなっていた。

 なぜ自分たちだけが、と思いながらもラーニャはそれを口に出せない。ホールドをとってもカミルの左手を、そして右の肩を強く握ってしまう。いけないこととわかっても力んでしまうし、手には汗が湧く。


「へぇ、君も普通の女の子らしいところあるんだね。可愛いなぁ」


「普通の女性なら、ちゃ、ちゃんと踊れます。こんなの、苛めと変わりません」


「怖いことはしないから安心しなよ」


 曲が始まって、ラーニャは瞳を閉じた。余裕がないときには眼球が動いてしまいかねない。多少ならともかく、くるくると回る視界に反応していては気がつかれてしまうだろう。そして、くるくる回る視界をずっと見ていたら早々に疲れてしまう。


 ダンスの嫌なところは体験が伴うところだ。記憶だけではどうにもならない。繊細さと美しさと軽やかさを求められながら相手の癖に合わせなければならない。


 曲が始まって、ラーニャは一層身を固くした。ステップは覚えている。カミルがよほど意地悪なことをしない限り、大きなミスをすることはないだろう。

 祈るように彼の左手をさらに強く握ったところで、カミルがふふと笑った。


「難しいかもしれないけど、俺を信じてよ。君は俺の侍女なんだろ、主を信じて身を委ねろ」


「信じられるような言動をしてから言ってください」


「言葉じゃなく行動を見るべきだね」


 母親にまで女遊びをほどほどにしろと言われる男の行動を?


 もうどうにでもなれと力を抜く。足を踏んで痛いのはカミルだし、ラーニャが転んで非難されるのもカミルだ。知ったことかと身を預けたとき、ラーニャは蝶になった。




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