第3話 バスリーの呪い
レースをとって瞼をもちあげる。ラーニャの視界に初めてはっきりとカミルの姿が映った。
噂に聞くパールグレーの髪は母親譲りと聞いたことがある。光を受けて表情を変える珍しい髪だ。確かに先ほど見たリーン妃の髪は薄いグレーで、花の形の燭台に照らされてほのかに赤く輝いていた。
瞳は快晴の空の青。遊ぶ女性に事欠かないというだけあって、均整の取れた美しい顔立ちである。
表情どころか瞳さえ一切動かないラーニャに対し、カミルは目を一瞬だけ丸くしたあとで不敵に笑った。
「わぁ、綺麗だね。君の瞳は夜を映してるみたいだ」
「夜?」
「太陽みたいなハニーゴールドの髪に、夜空を詰め込んだような瑠璃の瞳。君はまるで神に愛された……」
「それはお決まりの口説き文句でございますか?」
ラーニャの言葉にカミルは楽しそうに「ヒュウ」と口笛を吹く。
「アハハ、本心なのに残念だ。ま、とりあえずゆっくりしててよ。食事の時間になったら誰かを来させるし、侍女としての仕事は明日から頼むね」
「かしこまりました」
カミルを見送って部屋へ入る。
調度品の位置、クローゼットや浴室の場所など室内の作りを一通り確認して瞳を閉じた。
視力が悪いわけではないからと言って、視覚情報を取り入れ続ければ疲労が強くなる。見えている限り脳がそれを記憶し続けるからだ。
十七年生きて来て、そして父や兄から話を聞いて、バスリー家の記憶力は忘却という言葉を知らぬということがわかっている。脳の記憶領域の最下層に意図的に沈めることはできても、必要があればいつでも取り出せるようになっているのだ。
そのせいか、この能力を受け継いだ者は皆、短命である。もちろん、成人まで無事生きた者の平均的な寿命より少し早く死ぬというだけで、うら若い身空でということはないのだけれども。ただこの疲労や短命がバスリーの呪いと言えよう。
ラーニャの父は最近、最期を迎えるための準備を始めたようだった。少し早いような気もするがそれを決めるのはラーニャではないし、いずれ自分が同じことをする場合に備えて参考にしようとも思っている。
そして自身がここへ送られたのもその準備の一環であろうと、ラーニャは考えていた。
「陛下は何をお望みなのかしら」
バスリー家は代々国王に忠誠を誓ってきた。つまり、本来であれば力になるべきは藍の星ではなく赤の星、第一王子であるべきなのだが。
溜め息をついてベッドに横になる。
自宅で安穏とした生活を送っていたラーニャにとって、道を覚えるために目を開けるだけでも疲れるというのに、王族に囲まれたせいで精神的にもヘトヘトなのだ。
「まさか王位を藍の星に譲ろうとしている……?」
そんなまさかと自分で自分の考えを鼻で笑って、ラーニャはウトウトと気持ちのいいまどろみに身を任せた。
ラーニャの午睡を終わらせたのはノックの音であった。寝ぼけながら起き上がって扉を開けると、そこに立っていたのは呆れ顔のカミルだ。
「開ける前に誰が来たのか問い質すべきだと思うな、俺は」
「それは……そうですね、気を付けます」
「だよ? じゃないと俺このまま押し入って何か悪いことしちゃうかも」
「どういったご用でしょうか」
カミルが我慢しきれなかったようにブハッと笑う。
「ぜんっぜん、表情ひとつ変えないんだもんな。俺そんな魅力ないかなー」
「私は内面でしか判断できかねますが、『お互いにもっと深く知るほうがいい』とか『君の瞳は夜を映してるみたい』だとか、そういったありきたりな口説き文句では――」
「ごめん、俺が悪かった。まじでやめてソレ」
言葉とは裏腹に苦笑を浮かべるだけの表情からはそんなにダメージになっていないのがわかる。根っからの遊び人かもしれないと思いつつ、ラーニャは先を促した。
「それで」
「ああ、食事の前にちょっと散歩でもどうかと思ったんだよね。いい天気だし、花は綺麗……あ、それは見えないのか、ごめん」
「いえ、外に出るのは好きですから。ご一緒させていただきます」
「お、やったぜ」
カミルに断って部屋に戻り、目元をレースで覆ってショールを羽織る。北宮の周囲を歩き回れるのは願ってもないことだ。自分の生活圏についてはできるだけ早いタイミングで全貌を覚えておきたい。
ラーニャはカミルに手を引かれながら北宮の庭へと出た。鼻を掠めた甘い香りはミモザだろうか、そっと薄く目を開けて花々の様子を楽しむことにする。
「これだけは言っておこうと思ってさ」
「なんでしょう」
「俺は王位に興味がない。いずれは、まえに俺が攻略した土地に引っ込むつもりなわけよ。もし君が兄たちから言われてここに来たなら、アイツは脅威じゃねぇって伝えといて」
「私は父に言われて来ただけですので、伝える相手が父になりますが――きゃっ」
強く手を引かれて、ラーニャの身体がカミルに密着する。よろめいた小さな身体を、カミルは難なく受け止めた。
「悪い、足元に石があった」
「……ありがとうございます」
カミルの言うような石などなかったのは確かである。彼は何か目的があってラーニャの体勢を崩したのであろうが、彼女には見当がつかないため気にしないことにした。
「継承権を放棄なさらないのは」
言いかけて、ラーニャはカミルが
「継承権持ったまんまのほうがモテるからだよ」
「継承権に恋する女性でいいのですか」
「俺に恋をしないからイイんじゃん」
ラーニャには理解できないロジックだが本人がいいならいいのだろう。
しばらく無言で歩くうちに食事の支度ができたと従者が呼びに来て、ふたりの散歩が終わる。
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