第38話 少年の恋心

 兄ちゃんの怪我を治すために、深緑のダンジョンに行ってハーブを採取してから結構な日が経った。今では、あのダンジョンでの出来事は夢だったんじゃないかと思う。けれど、帰り際にお土産としてもらった木刀。それがまだ俺の部屋にあるあらあの出来事は夢じゃないことはわかっている。


「今日は席替えをするぞ」


 担任のその声に沸き立つクラスメイトたち。くじを引いて一喜一憂をするみんなだけど、俺は喜の方だった。なんと、俺がちょっと気になっている女の子、日下部くさかべ 菜月なつきの隣の席になったのだ。


 日下部は、どっちかと言うと大人しいタイプ。教室で静かに本を読んで、あんまり活発に運動するタイプではない。それでも体育の成績が悪いわけではなく、低学年の時には、俺よりも先に逆上がりができるようになりやがった。


「よろしくね。神木君」


「ああ、よろしく。日下部」


 日下部はとても頭が良い。俺たちは公立の小学校に通っているけれど、日下部は卒業したら頭の良い私立の中学校に行くんじゃないかと言われている。本当なら、小学校も私立にしたかったみたいだけど、親の経済状況的に無理だったみたい。


 そんな日下部の父ちゃんは探索者をしている。元々は副業目的で始めた仕事だけれど、本業よりも実入りが良かったから、今ではこっちが本業になっているらしい。


「ねえ、神木君は噂だとダンジョンに潜ったことがあるって本当?」


「ああ。本当だよ」


 日下部の話に俺は正直に答えた。別に子供がダンジョンに入ってはいけないなんてことはない。けれど、大抵の場合はダンジョンに入ったら親に怒られるどころじゃ済まない。実際、俺も兄ちゃんを助けるためとはいえ、ダンジョンに入ったら、物凄く叱られた。


 人気のダンジョンには入口に警備員みたいなのがいて、もし子供が入ろうとすると止められると聞いたことがある。まあ、ダンジョンは世の中にいっぱいあるし、全てのダンジョンに警備員がいるわけではない。深緑のダンジョンの場合は、子供すら寄り付かないだろうってことで、警備員がいなかったし。


「凄い。神木君。今度、ダンジョンの話を聞かせてよ」


「え? お、俺? そ、その。日下部は父ちゃんが探索者なんだろ。俺の話を聞く必要なんてないだろ」


 しまった。俺はなにを言っているんだ。気になっている子と話すチャンスなのに。


「ううん。お父さんは家では寝てばっかりいるの。やっぱり、探索者は過酷な仕事だからね。家にいる間くらいはゆっくり体を休めてもらいたいし……そのためだったら家族サービスがなくても我慢できるよ」


 日下部の目は寂しそうだった。きっと、日下部は父ちゃんに遊んで欲しいと思っているのかもしれない。でも、日下部は……自分の学費のために父ちゃんが危険な仕事を理解しているってわかっているから、何も言えないんだ。


「でもね、でもね。お父さん言ってた。今度の仕事が上手くいけば、私の学費を出せるくらいにはなるって。そうしたら、もう危険な仕事はしなくていいんだって!」


「それは良かったな」


 やっぱり、家族が危険な仕事をしていると心配だよな。俺も親に怒られてよくわかった。


「だから、私も一生懸命勉強して、お父さんの頑張りを無駄にしないようにしないと」


「そうか。やっぱり日下部は私立の中学に行くんだな」


 俺の胸は締め付けられた。日下部と一緒の中学に進学したかったのに。それが叶わないなんて。


「うん。そうなったら神木君ともお別れだね……まあ、受かるかどうかはまだわからないけれど」


「日下部なら受かるさ。がんばれよ」


「うん!」



「さて、私はエージェントビオラ。よろしく頼む」


 私はまたレッドハーブの採取を命じられた。そのために、探索者のメンバーを選定した。本当なら、芝 天帝氏に協力して欲しいかったけど、彼の消息は不明。彼ほどの実力者がダンジョンで命を落とすとは思えないし、単純にダンジョンとは関わらない隠居生活を送っているんだと思う。


 今回編成したメンバーは、男性2人だ。40歳前後くらいの中年男性の日下部と20代中盤くらいの男性の榎本だ。調書によると、日下部には小学生の娘がいて、娘の学費のために探索者をしているようである。まあ、よく聞く話だ。不景気な世の中で一発逆転を求めて家族のためにダンジョンを潜る。なんとも泣ける話じゃないか。


 そして、もう1人のメンバー。こちらは金に釣られた……というよりかは、妹の訃報を聞いて復讐に燃えているお兄ちゃんと言ったところかな。ダンジョンで死んだ探索者は身元がわかり次第、家族に連絡が行き、死亡手続きがとられる。身元はダンジョンのマネージャーが遺品を整理して調べる。もし、天涯孤独の身であるのならば、死亡手続きだけされて、役所の人間以外誰も当人の死亡は伝えられない。なんとも物悲しい話である。


 榎本の妹の希子。彼女は先日、この深緑のダンジョンで亡くなった。兄である榎本は妹を殺したモンスターに復讐をするために、この仕事を引き受けてくれたのだ。まあ、私としては、レッドハーブを回収できればそれで良い。無理に彼の復讐に力を貸す必要もないか。


「エージェントビオラ。オレはレッドハーブの回収なんてェどうでもいいんだァ。ただ、希子を殺したモンスターに復讐さえできればなァ! もし、オレの獲物を横取りしようって言うんだったら、おめェも敵だからなァ」


「別に私はあなたの仇敵には興味ない。お互いの利害が一致しているから行動を共にするまで。私はレッドハーブがある第3層まで行く。あなたは妹さんを亡き者にしたモンスターのところまで行く。お互い協力しあおう」


 深緑のダンジョンは最近、強化されて以前のような生易しいダンジョンではなくなっている。だから複数人による協力が必要なのだ。


「エージェントビオラ。本当にそのレッドハーブは価値があるものなのか? 僕はこんな報酬額を見たことがない。0の数が間違ってないか?」


「いや。報酬は適正価格だ。なぜ価値があるのか。それまでは言えない。あなたも知る必要がない」


「……わかった」


 ダンジョンの素材を欲しているのはクリーンな個人・団体だけではない。当然、裏社会やそれに強い繋がりがある人たちだっている。探索者はそんな非合法な組織を相手にする場合だってある。知らなければ、原則としてお咎めはない。ただし、知ってしまった場合、それを立証されてしまえば……同罪だ。日下部もその辺の大人の事情はわかっているはず。


「私は既にこのダンジョンに数回、足を踏み入れている。そして、私は不覚にもそこで3人の探索者を失った。つまり……私たちがこれから挑もうとするダンジョンは人が死んでもおかしくない場所だ。滅多に死人が出ないFランクダンジョンとは比較にならない」


 一応は警告しなければならない。なにせ、Fランクダンジョンでせこせこと安全に稼いでいる探索者も決して少なくない。まあ、この2人はかなりの手練れみたいだし、そんな稼ぎ方はしてないが、慣習というものはどの世界にもある。


「それでもこのダンジョンに足を踏み入れるのか?」


「当たり前だろ! オレの可愛い妹をブチ殺しやがった奴をブチ殺す! それこそがオレの生きる意味なんだァ!」


「ああ……僕も娘のためだったら、死ぬ覚悟はできている」


 そう言っているが、日下部の脚はガクガクと震えていた。彼は元来、臆病な性格なのかもしれない。それを家族のためにと……自分の恐怖を押し殺しているのかも。


「そうか。では、ダンジョンに突入するのは1週間後だ。それまでに各自、準備しておくと良い。ダンジョンに向かうまでの交通手段はこちらで手配する。では、1週間後……死地で会おう」

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