2話 新たな目覚め

 瞼に強い光を感じ、クロエは唐突に目を覚ます。一体何事かとあたりを見回せば、そこは自身が過ごしていた部屋だった。

 成長と共に変えていった家具は全てそのままあり、混乱の一因となっていた。何故幼いころの部屋にいるのか、理解しきれず固まってしまう。半ば呆然としつつクロエはベッドを下り、鏡台へと向かった。


「なに、これ……」


 鏡には幼き頃のクロエが映っていた。透けるような白い肌に深い紺色の髪。猫の様な勝気な縹色の瞳。全てが見慣れた自身の容姿だが、年齢だけが違っていた。

 右手を上げれば鏡の中の自分も手を上げる。そのまま頬に手を持っていきつねれば、鈍い痛みがクロエに現実だと告げていた。


「なんで……どうして……」


 受け入れがたい現実に唖然とし、そのまま固まっていれば、背後から扉の開く音が聞こえた。


「おやまぁお嬢様、もうお目覚めだったのですか」

「まー、さ?」

「はい、マーサですよ。お嬢様?どうかなさいましたか?」


 部屋に入って来たのは、クロエの乳母であったマーサだった。彼女はクロエが学園に入学し2年ほど経った頃、不慮の事故によりその命を落としていた彼女が記憶の通りの変わらない姿で、そこに立っていた。

 その姿を視界に入れた瞬間、クロエは走りだしマーサに抱き着いた。


「マーサ、マーサ、マーサ!!」

「お嬢様?!一体どうしたのですか?」

「う、うぅ……ま、さぁっ、う、ひっ、く……」


 涙が次から次へと流れてくる。これは奇跡なのだろうか。手から零れ落ちてしまった大切なものが目の前にある。変わらない姿で目の前に。クロエは力の限りマーサを抱きしめ、どうか現実であって欲しいと願う。


「落ち着かれましたか、お嬢様」

「……ゔん、ほんとうに、まーさ?」

「今までずっと、マーサ以外の名前で呼ばれたことはありませんよ」


 泣き止んだクロエの涙と鼻水まみれの顔を、マーサはタオルで優しくふき取る。泣きつくして赤くなったクロエの目を見、後で冷やしましょうねとマーサは優しく言った。

 泣いてすっきりしたのか、クロエの混乱はようやく収まっていた。

 まず最初に思いついたのは、ここは死後の世界なのではないかという事。それならば、自分が幼い子どもになったのも、死んだはずのマーサが目の前にいるのも、何となくではあるが納得できる。

 そしてもう一つは、誰かの魔法によって時間が巻き戻ったのではないかという事。そんな魔法があるのかはクロエには分からないが、誰かが時間を巻き戻しそれにクロエが巻き込まれたのではないのか。その二つの説が、今クロエの中にある。


「マーサ、ごめんなさい。私お父様とお母様に会いに行かないとっ!」


 もう一度マーサを強く抱きしめ、クロエは着の身着のまま部屋を飛び出す。どちらの説が正しいのか確かめるため、クロエは両親に会いに行く事を決めたのだ。ここが死後の世界ならば両親がいない筈で、両親がいるならば時間の巻き戻りに軍配が上がる筈だ。

 短い手足を必死に動かし、両親がいる筈の部屋へと向かって走る。息が途切れ途切れになり、わき腹が痛くなろうともクロエは両親を目指してひたすらに走り抜けた。


「お父様!お母様!」


 ようやくたどり着いた部屋の扉を、勢いのままばんっ!と開く。ぐるりと部屋を見渡せば、メイドに淹れてもらったであろう紅茶を飲んでいた両親が、目を丸くしながら飛び込んできたクロエを見つめていた。


「クロエ?こんな朝早くに一体どうしたんだい?」

「おとうさま……」

「まぁまぁそんなに髪を振り乱して。怖い夢でも見たのですか?」

「おかあさまぁっ」


 クロエが最後に見た両親は、やつれてボロボロになってしまった姿だった。しかし優しくクロエに話しかけてきた両親は何処もやつれてはおらず、むしろ若々しい。

 幸せだった頃の変わらぬ両親が目の前にいる。その事に安堵したクロエの涙腺はまたも崩壊し、今度は両親に辿りつく前に崩れ落ちてしまった。


「う、うぅ…うわあぁんっ!!ごめんなさいっ、ごめんなさい!!」

「クロエ、クロエ、一体どうしたのクロエ」

「何か嫌な事があったのか、クロエ」


 泣き叫び謝るクロエに急いで駆け寄り、抱きしめる。両親には何故クロエがこんなに泣いているのかは分からない。しかし、何か辛い事があったのは何となく分かる。

 泣いているクロエを必死に慰め、理由を聞き出そうとするが謝るだけで何も答えない。そのうち、クロエの乳母であるマーサも追いつくが、彼女に聞いても分からないと答えるだけだった。


「お゛があざま゛、お゛どおざま゛っ」

「あらあら、クロエの綺麗な声がすっかり枯れてしまったわね」

「可哀そうに……マーサ、喉に優しい飲み物を用意してくれないか」

「かしこまりました。直ぐにお持ちしますね」


 しばらくして泣き止んだクロエを抱き上げ、ソファへと移動する。変わらぬ父の体温と、母の優しい手つき。それにまた涙が出そうになるが、水分が切れてしまったためか新たに出てくる事はなかった。

 父親の膝の上に乗り、母親に頭を撫でられ、乳母の入れてくれた飲み物を飲みながらクロエは確信した。ここは誰かの魔法によって巻き戻った世界なのだと。

 第一王子クリストファーの婚約者になる前の、10歳ごろまで巻き戻ったクロエ。ここまで巻き戻ってしまえば、あの悲劇を回避できるのではないかと考える。

 あの悲劇はおそらくクリストファーの婚約者になったことが、始まりだったのではないだろうか。あの王子と婚約しなければ、そもそも王家と関わり合いにならなければ、あの悲劇が起こらなかったのではないのだろうか。

 ならばと、決意をする。王子と婚約することなく、王家との関わりを薄くしていく。そして大切な人達と一緒に幸せになる。大好きな家族と優しい親せき。最後まで味方だった大切な親友。そして、最期の時好きだったのだと気付いた騎士団長。彼らだけがいればクロエは、十分に幸せだった。

 彼らと幸せになるために、この2度目の生を頑張って生きようと決意を固めた。

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