死に戻り公爵令嬢は熊の様な騎士団長に恋をする

秘秘秘(ひみつ)

1話 婚約破棄を言い渡された日

「クロエ・オンブル!!貴様の嫉妬深さにはほとほと愛想が尽きた!!よって今日ここで、貴様との婚約は破棄する!!」


 魔術学園の卒業式の日、クロエは突然婚約者であるクリストファー・ドルビニーに婚約破棄を告げられた。これから共に国を守っていくのだと誓ったはずの相手からの婚約破棄に、クロエは気絶しそうになるが気力を持って何とか耐え抜く。


「一体、何の話でしょうか、クリストファー殿下」

「何の話だと?そんな事、貴様が一番分かっているであろう」

「分からないから問うているのです、殿下」

「ふん、しらばっくれるつもりか。貴様の悪事はすべて報告が上がっているのだぞ!!」


 クリストファーの言葉を引き継ぐように、側近候補の一人が口を開く。曰く聖女マリアンヌの教科書を破き、制服を破き、あまつさえ聖女自身を傷つけたなど。どれもこれもクロエが行うはずのない悪事だった。

 当然クロエは全てでたらめだと声を上げるが、聞き入れる者はたった一人を除いて誰もいない。


「お待ちください、殿下!」


 人ごみをかき分け現れたのは一人の少女。柔らかな金色の髪に桃色の瞳を持つ可愛らしい少女は、クロエを守るように抱きしめる。

 その少女こそ、クリストファーが告げる被害者とされる聖女マリアンヌだった。

 クロエとマリアンヌは学園に入学して以来の友人だった。世間知らずで令嬢たちから浮いていたマリアンヌを守り導いていたクロエ。交流を重ねていくうちふたりの仲は親友と呼べるほど、深い関係となっていた。

 そんなふたりの間にいじめ問題などあるはずもなく、マリアンヌもまた全てでたらめだと声を上げる。


「ああ可哀そうなマリアンヌ。心優しい君がその悪女を守ることは想定していたよ」

「馬鹿な事をおっしゃらないで!私は一度もクロエ様から暴力など受けておりません!!」

「マリアンヌ、守るように脅されているのは分かっているよ。でも安心しなさい。今日からその女は牢に入れられるんだ。君が脅かされる事はもうないんだよ」


 どんなに否定の言葉を述べても、クリストファーは聞き入れない。それどころかますますクロエに対しての憎しみを募らせていた。

 その頑なな態度にクロエもマリアンヌも嫌悪を浮かべるが、クリストファーもその側近候補たちも気づくことはなかった。


「殿下、私はただの一度も、マリアンヌ様を脅したことはありませんわ」

「貴様の話など、誰が聞くものか。おいお前たち、この女を早く牢へ連れていけ!!」

「っ!?まって、待ってください、クロエ様っ!!クロエさまぁーーッ!!」


 控えていた側近候補たちは抱き合っていたふたりを引き離し、クロエを牢へと連れていく。

マリアンヌは捕らえられたクロエを助けようとするが、いつの間にかそばにいたクリストファーに抱きしめられてしまい身動きが取れなくなってしまった。


「さあマリアンヌ、悪者はもう居なくなった。私達を引き裂くものはもう何もないんだ」

「なんで……どうして……」


 クリストファーが繰り広げる喜劇に周囲の子息令嬢は拍手を送る。その明らかに異様な光景にマリアンヌの背筋に寒気が走る。

 たった今、王妃になるために日々勉強をし、国が良くなるようにと努力していた令嬢が冤罪で牢に入れられてしまったのに。それなのに誰もその事に苦言を呈さず、むしろ肯定するように賞賛を送っている。マリアンヌはこみ上げてくる吐き気を必死に抑えた。

 前に聞いた事があった。王家はクロエの生家オンブル家を疎んでいると。影の王家と名高く、優秀な人物が多いその家を妬んでいると。恐らくその話は本当で、王家だけでなく他の貴族もオンブル家を疎んでいるのだろう事がマリアンヌには分かってしまった。

 そしてこの事態を招いてしまったのも己だという事も。

 何も知らない箱入り娘のままだったならば、誰も自分を担ぎ上げようとはしなかっただろう。しかし今の彼女は世間知らずの令嬢ではない。完璧な令嬢と誉れ高かったクロエから直接教育を受けており、今では彼女と肩を並べるほど礼儀作法を身に着け、社交界にも慣れた。慣れてしまった。

  こんな事になるならば、ずっと世間知らずの箱入り娘のままで居たかった。こんな風に親友と呼んでくれた大切な人を傷つけてしまうならば、仲良くなどなりたくなかった。

 崩れ落ち、泣き叫ぶマリアンヌを慰める者は誰もいなかった。先ほどまで抱きしめていたクリストファーでさえ、放置し戻ってきていた側近候補達と楽し気に会話をしている。

 結局クリストファーはクロエもマリアンヌのどちらもどうでもいいと思っているのだ。ただクロエを傷つけオンブル家に泥を塗るのにちょうどよかったのが、マリアンヌと言うというだけで。


「許さない……お前たち全員、地獄に叩き落してやる……」


 口の中で小さく呟く。大切な親友を傷つけた者たちを、今この場にいる者たちを、マリアンヌは絶対に許さない。唇をかみ、掌に爪を食い込ませ、復讐を胸に誓った。

 


 鳩尾を殴られ気絶していたクロエは、投げ入れられる衝撃で目を覚ました。そこは石造りの粗末な牢であり、貴族の令嬢を捕まえておくような場所ではなかった。


「貴様のような悪女には、この場所がお似合いだ!」

「恨むならば、聖女様に手を出した己を恨むんだな」

「まって、私はそんな事をしていないわ!!ちゃんと調べて頂戴!!ねぇ!」


 罵詈雑言と大笑いを残し、側近候補達は去っていく。クロエは必死に引き留めるが、その声は届かなかった。

 どうしてこんな事になったのかと、何度も思い返す。魔術学園を卒業し、王太子妃になりゆくゆくは王妃になるはずだったクロエ。しかしその未来は今日突然閉ざされてしまった。

 ありもしない罪を作られ。婚約を破棄されてしまった。クロエが親友であるはずのマリアンヌを傷つけるなど、あるはずもない。恐らくオンブル家を疎んじている王家と他貴族が手を組み、クロエを嵌めたのだろうと思い至る。

 何も知らなかったであろうマリアンヌを巻き込んでしまい申し訳なくなると同時に、王家に対する嫌悪感が増してくる。今日の為に用意した空色のドレスを握りしめ、唇を嚙む。王太子妃に、王妃になることを夢見ていた。しかしその夢は一瞬にして砕け散ってしまった。

 受け入れがたい現実だけが、今クロエの目の前に転がっている。



 それからのクロエの生活は凄惨なものだった。牢に入れられた事を知ったオンブル家は、クロエを助けようと手を尽くしたが全て無駄に終わっていた。


「クロエ、クロエ、大丈夫よ。必ず、お母様が貴方を助けますからね」

「お母様、お体大丈夫ですか?なんだか、やつれたように……」

「あなたと比べれば何てことありません!ああ……こんな事になるならば、もっと早く王家とは縁を切るべきでした……」


 過酷な環境に無理矢理身を置かされ、体を壊していく事をただ見守ることしか出来ない事に母親は日々泣いて過ごしていた。何とかしようと行動を起こしても、全ては梨の礫。どうする事も出来ない現実に、オンブル家の人間は打ちのめされている。


「公爵夫人、面会の時間が終わります」

「そんなっ!?もう少し、もう少しだけでいいのです、もっとこの子のそばにっ」

「申し訳ありません」


 男の言葉に抵抗するように夫人はクロエを抱きしめる。しかし男は眉一つも動かさず、夫人を引き離し、外に待機していた侍女に引き渡した。


「ウルス様、母がいつもごめんなさいね……」

「仕事ですので」


 牢に入れられてからの日々は辛いものでしかなかったが、いつからか牢の前に立っていた男に、クロエは次第に心を許していた。

 聖女を傷つけたとされるクロエを責める事なく、それでいて助けられない事を嘆くわけではない彼に段々と心が惹かれていくのをクロエは理解していた。


「まさか、最後がこんなに心穏やかでいられるなんて、思わなかったわ」

「……何の話でしょうか」

「こちらの話よ、どうか気になさらないで。……ねぇ私の処刑の日は、もう決まっているのかしら?」

「それ、は、」


 いつもしかめ面をし、表情一つ動かさなかった男が見せた動揺。それだけでクロエは分かってしまった。


「そう、もうすぐなのね?」

「申し訳、ありません」

「どうか謝らないで。私はもう覚悟を決めているの」


 初めの頃よりみすぼらしくなり体を壊してしまったクロエだが、しっかりと胸を張り笑顔を浮かべる。もうすぐ来る処刑の日。避ける事の出来なかったもの。

 嘆くことしか出来ないが、クロエは変わらない現実に見切りをつけ覚悟を決めた。化けて出てやると心の中でひっそりと思いながら処刑の日を待っていた。



 聖女を傷つけた令嬢の処刑の日がやって来た。牢から出てきたみすぼらしくも不思議な色香を放つ令嬢に民衆は石を投げ、言葉を投げつけた。そんな事に目もくれず令嬢はまっすぐとギロチン台へと向かう。

 ギロチン台には歴代最強の騎士団長と呼ばれて久しい男が立っていた。そんな男に対して令嬢は笑顔を浮かべ何かを話す。そんな令嬢に対して男は何も言わず、処刑の準備をする。その事に令嬢は特に気にする事はなく、大人しくギロチン台へと上がる。

 恐ろしい事は何もない。最後に好いた人の手にかかるならば、それはとても幸せな事だろう。クロエは目を閉じ最期の時を待つ。

 微かにある嘆きの声に誰も気づく事なく、令嬢が処刑された事を国中が喜んだ。

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