呪の魂
既に空気がパチパチと震えていた。入り口は土御門が塞いでいる。部屋中にコトコトという小さな振動が満ちる。
「山菱君、シュはどこにいると思いますか」
どこにいると
妙な問いだ。パチパチもコトコトもそこら中から聞こえる。そうすると。
「そこら中にいるんじゃねぇかな」
「なるほど慧眼です。それではどこにいても山菱君の声が聞こえるわけですね」
「まあ、そうかもしれないな」
「では、説得してください」
当然だと言わんばかりのその声音。
だが。説得っていきなり言われてもよ。
見渡して、ふと、室内に唯一残った武者人形に目が止まった。シュはこれが好きだったんだよな。思えばなんだか懐かしい。
武者人形といえば端午の節句だ。あれは男児の健やかな成長を祈り厄を避けるためのものだ。俺の小さい頃にも家に小さな武者人形があった。そしてこいつは俺の家にあったものと比べて格段に上物だった。おそらく特注品だろう。
欲しいものは何でも手に入るとしても、シュは良し悪しの比較などできないだろう。そしてその中でこれを与えられた。つまり。
「シュ、お前、ちゃんと愛されてたんだな」
自然と出た言葉はそれだった。
空気はそれに応えるようにパチリと震えた。
「それでお前は幸せだったんだな」
武者人形を手繰り寄せると、それについてくるようにコトコトと音がついてくる。10歳となると普通は藩校や寺子屋に通っている時分だ。けれどもシュは体が弱かった。学校には行ってはいないのだろうし、同い年の友達なんてのもいなかったのだろう。
それでもきっと、シュは幸せだったのだ。
そんな幸せの欠片がその足音からこぼれ落ちているように思われた。これも俺がそう思ったからそう聞こえるにすぎないんだろうか。
ずっと閉じこもっていたのなら、俺ならどうするかな。きっと外を見てみたくもなるだろう。そういえばアディソン嬢は外の話をねだられていたと言っていた。やはり外を見てみたいと、そう思うんじゃねぇのかな。
「シュ。外の世界を見たいか」
パチパチと音が震える。そうしたいけど、できないんだ、そういうようにも聞こえる。
けれどもできるのだろう。土御門はそうするためにこの人形を用意させたのだ。強く育つという願いが込められた、はずの人形を。
「いいや、できる。外を見たいならこの人形に乗り移れ。俺にはよくわからんが、この人形をお前の体にすればここから外には出られるらしい。俺は人形の体ってもんにはなったことねぇからそれがどんなんだかはわからねえし、ひょっとしたらもの凄く窮屈なのかもしれん」
ふいに、その武者人形に見上げられた気がした。陶器でできたつやつやとした健康的な赤いほっぺた。くりくりとした純朴そうな目。元気な子どもの人形。
「お前はもう死んじまってんだからよ。そのまま成仏するか、そうじゃなければしばらくこの人形に取っ憑いて、この現世をしばらくうろうろしてみるのも悪くねぇんじゃねえかな。今までできなかったんだろ?」
しばらくして、人形がこくりと頷いたような、気がした。
気がつくと、タンと軽やかに床を踏む音がしていた。
気がつくと、シャランと鈴がなる音がしていた。そういえば土御門の狩衣の
それから何かの呪文が唱えられていたことに気がついた。
それまでの黄泉のような薄暗さはいつのまにか全て消え失せ、清涼な空気が満ち、室内をそよそよと流れていた。
そうすると、なんだか全てが武者人形のうちにシュルリと収まった、ように思えた。はぁはぁと息を付きながら土御門が口を開く。もう鈴の音は聞こえない。
「山菱君。その人形をお貸し願えますでしょうか」
「ほらよ」
「……素晴らしい。流石です。これほど全てを同意のうちに収められるなどとは思っておりませんでした。最高です」
そう言って土御門は実にだらしないというか下衆い顔でにへらと笑った。
急に心配になった。
「おい、そいつは大丈夫なんだろうな」
「もちろんです。嫌がることなんて致しませんとも。シュ。これからは私と暮らしましょう。きっと楽しいですよ。宜しいですね」
そうするとパチリと空気が揺れた。
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