終 俺の体質

 そうこうしている間にいつのまにやら夜は過ぎ、一番鶏が鳴いた。俺がシュと話している間にアディソン嬢はシュの遺骸を丁寧に布で包んでガラスの箱に収めていた。

 姿は直接は見えないもののガラスじゃ流石にスケスケだ。なんだか晒し者みてぇでどうなのかと思っていたら、アディソン嬢は呪が漏れねぇように清潔に清めた箱に入れる必要があるらしくって、外が見えるようにガラスの特注にしたんだ凄ぇだろ、と自慢そうに言い放つ。


 ガラスというのは貴重だ。しかもこの大きさだと相当に金がかかるだろう。そうすると、最初は酷ぇとも思ったが、レグゲート商会はやはりシュを大事に思っていたのには違いないのだろうと思える。

 アディソン嬢は俺とは根本的に考え方が違いそうだが、相入れないこたぁないなと思う。しょせん異人なのだ。違いはあろう。そのアディソン嬢は土御門の抱く人形を睨みつけ、それからひどく強い力で肩をバンと叩かれた。

「おぅ、哲。てめぇよくやった!」

「お貸ししますか?」

「いや、いらねぇ。俺は所詮雇われだからよ。そいつに文句がなけりゃぁそれで終いだ。もう会うこともねぇだろうが達者で暮らせよ」

 人形はカタカタと鳴った。

 長屋の木戸番には騒ぎが起きないよう特別に早く扉を開けるよう計らってもらってるらしい。レグゲート商会の手下が迎えに来てガラス箱を運び、アディソン嬢はじゃあなと言って立ち去った。


 そうすると空がうっすらと白く染まり始めているのに気がついた。向かいの長屋の内側からぞろぞろと新しい生活が始まる音が響き始める。

 土御門も、では私もお先に失礼します、流石にこの格好を大勢に見られるのは居た堪れないのでね、と言って人形を片手に立ち去る。

 ……流石に狩衣で人形を片手にしてるのは奇妙がすぎるよな……。


「おや、朝早いねぇ」

「ああお熊さん。おはようございます。そういや俺は今日でここを失礼しますんで、またご縁がありましたら」

「あら、そうなのかい。本当に短かかったねぇ。そういや工事の間の番なんだっけ。工事していたようには思えないけど」

「はは。まあ近々元通りに住民が戻ってきますよ」


 そんな話をしていると、薄暗い長屋の隙間からすっかり清浄な感じの朝日が差し込み夜が明けた。

 流石に眠い。

 一眠りしたら挨拶してでていくかと思って中に入り、土まみれの床板と大穴を見てゲンナリする。まあこれは地主に雇われた大工が何とかするだろう。

 仕方なくふわぁとでかい欠伸をこぼして積み上げられた畳の上に登る。江戸間の畳は俺の体には少々小さいが他に寝られるとこはねぇ。

 仕方、ねえな。

 いつのまにかまぶたがすとんと降りていた。


 翌朝、日が昇るのと同時に目を覚まし、長屋を出る。すでに長屋はざわざわと煮炊きに賑わっていた。もうここに来ることもないのだろう。持ち込んだ荷物を担ぎ上げ、ついでに築地本願寺に参拝して下宿に向かい、再びお願い致しますと頭を下げて大学に向かう。

「こちらが今回のお給金です。当初お約束の五十円に加えてレグゲート商会から報酬で頂いたうちの五十円を追加させていただいた百円です」

「おお! 恩に着る」

 恭しく受け取った十圓札をテーブルの影で数える。1、2……うん。確かに10枚。半分は郷里に送るとして、それでも五十円は残る。ぐへへ。たまんねぇぜ。

 ざわざわと活気に満ちた居酒屋で、俺は少し早い晩飯を土御門に奢らせている。この辺りは学生が多いから夜が吹けても騒がしい。時には議論や喧嘩まで巻き起こる始末。

 けれども今日はわざわざ静かな端っこに陣取っていた。人に囲まれて金を数えられるかってんだよ。燗酒が2つ運ばれてくる。上機嫌で土御門と俺の盃に酒を注ぎ、乾杯した。


「山菱君、顔が下劣ですよ」

「五月蝿ぇ」

「それよりそのお金でお金が増えるといいですね」

「おおとも。すぐに倍にしてやらぁ」

 土御門ははぁ、とため息をつき、本当に残念な人ですね、と呟いた。

 もらった金をどう使おうと俺の自由だろ。

 芋の煮っころがしをつまむと醤油の味がホロリと口の中で溶けた。

「そんで俺の体質ってなぁ何なんだよ」

「あぁ。本当に聞きたいですか? これからもお手伝い頂けるのならお教えしますけど、そうでないなら知らない方が良いでしょう。これまで上手く生きてきているようですし」


 上手く生きてきているようですし?

 その言い回しが気にかかる。何だってんだ。

 それから仕事だと?

 正直今回みてぇな奴なら勘弁して欲しい。だが。だが。俺は手の内にある紙の束を握りしめる。7日で百円だぞ? 誰に言ったってそんな高給、信じやしねえだろ。ごくりと喉が鳴る。

 俺はこの百円をこれから増やすつもりだ。だが俺は俺の運の悪さを知っている。だからひょっとしたらすぐにまたすっからかんになっちまうかもしんねぇ。だがこいつといりゃあすぐに種銭たねせんが……。

 その逡巡は結局のところ1分にも満たなかった。

「やる」

「本当ですか? 大変嬉しく存じます。これからも末永くよろしくお頼み申します」

「その気持ち悪ぃ口上はなんなんだよ。それより体質ってなんだ」


 満面の笑みを浮かべる土御門に少しだけ後悔した。

「あぁ。山菱君はとても生贄向きなのです」

「生贄ぇ?」

「そうです。シュが鏡体質とすると、山菱君は生贄体質。あらゆる化け物の欲望を刺激します」

「そんな体質があってたまるか」

「いいえ。思い当たることはある筈です。効果は人にも及んでいる。山菱君は人に好かれるでしょう? 人によく喜ばれるでしょう? それは山菱君が人を好きだからだと思います。結果的にそうした方が心地よいという刷り込みもあるのでしょうが、ともすれば反対方向に陥る可能性もある」

「反対方向?」

 ふむと思い返しても人付き合いで揉めたことはない、それに賭場の荒くれとの付き合いもあるが、まあいい関係とはいえそうな。善人面するつもりはねぇ。ただみんなが俺に良くしてくれるように俺も返したいと思うだけだ。だがそれが。

「好かれるのが体質のせいだっていうのか?」

「勘違いや卑下はしていただきたくないのですが、そのような体質も含めた全てが山菱君なのです。人に好かれやすく、嫌われやすい」


 嫌われやすい?

 誰かに嫌われたことはほとんどないような気はするが。

「反対方向にどこまでも悪い縁が積み重なればあっという間に何かに飲まれてしまうでしょう。嫌われないのは山菱君が積み上げた徳のせいなのでしょうね。実にあやかりたいものです」

「よせよ気持ちわりぃ。よくわかんねぇな。その生贄ってのは何なんだ」

「簡単に言いますと人を食う化け物がいるところに人を100人詰めても化け物は山菱君だけを狙って追い回すでしょう」

「ちょっと待て。なんだそれは」

「そうならないよう、良い縁が山菱君を守っているのだと思いますよ。みんなが山菱君が危険なところに行かないように守り誘導してきたのでしょう。だから」

 だから?

 その一言に嫌な予感がする。

「私と一緒に危険なところに行きましょう。何事も経験です。大丈夫、山菱君は必ず私が守り通します。死なせたりなど決して致しません。ええ、そんなことさせるものですか。お給金だって破格にお支払い致します。そうですね、今も3つほど是非ご協力頂きたい件が」

「いや、それよりもよ」

 どことなく興奮しているような土御門の声音になんだか物凄く嫌な予感がしてとりあえず話題を強引に変えることにした。ええと。

「今回のは俺が考えてることが返ってきたってことだろ? 俺じゃなくてもよかったんじゃねぇのか」

「あぁ。今回も山菱君じゃないと無理ですよ。他の人ではあれほどクリアに反応はしないのです。ぼんやりと化け物に見える、とかね。噂もそうだったでしょう?」

 風や雷を呼び起こし、恐ろしい唸り声を上げていた。

 確かに大火事の現場では強い風が唸り声を上げる。うん?

「雷は?」

「雷は純粋にシュのせいです。ぱちぱちと音がしていたでしょう? あれはポルターガイストという現象でね。誰もいないのに音がなる。時には物が浮く。異人の子どもには極稀にあるものなのだそうです」

「へぇ。そうすっとあのシュはもともと妙な力は持っていたわけか」


 土御門はふいに眉をひそめた。

「シュはその病と体質のほうがよほど『妙』です。それにシュ程度のポルターガイストなどより私の祓いの力や山菱君の体質のほうがよほど『妙』ですよ」

「む」

「まぁ自覚はないのでしょうから仕方がないのかもしれませんけどね。そういえば宿題の答えは出ましたか?」

「宿題? いつまでもわからないもの、か?」

「えぇ」

 いつまでも、わからないもの。

 わからなくても取り込んで、理解してしまえば人となる。

 なんとなく酒が回ってきた気がする。ぼんやりとしてきたかん手酌てじゃくで盃に注ぐ。

 ふいにあの長屋の光景が思い浮かぶ。

 どこまで続くかわからない黄泉の路。果てからやってくる亡者の群れ。あれは人ではない。わかる気がしない。

「死んだ奴か?」

「それも一つですね。だいたいは一方通行ですから。それでもシュのように意思疎通ができればなんとかなるかもしれない。いつまでもわからないものは理解する意思がないものです」

「理解する意思がないもの?」

「そう。ただ山菱君を餌としか見ていないもの。話を聞く意思がそもそもないもの。それは見極めなければなりません」

「ちょっと待て。何故俺なんだ」

「そりゃぁ山菱君が生贄だからです。私は山菱君を生贄にして化け物を集めるんですから」

 生贄って本当に生贄なのか。

 俺はこいつのために生贄になるのか? それはやはり御免こうむる。

「やっぱさっきの約束はなしだ」

「駄目ですよ。もうお約束頂いたのですから果たして頂かなくては。でも私も鬼じゃぁございません。だからお仕事をして頂くのは山菱君がお仕事をしたい時だけで結構です」

「そんな時が来るか馬鹿!」

「そうですねぇ。やはり親睦を深めねばいけないと思います。哲佐てっさ君とお呼びしても宜しいでしょうか。私も鷹一郎おういちろうで結構です」

「おい、人の話を聞け」

 気がつくと香ばしい味噌田楽を肴に酒は進み、へべれけになってきた。

 否応はなく俺の一存はいつの間にかスルーされ、鷹一郎の舌先三寸に打ち負かされていく。

 結局、俺が再び鷹一郎から仕事を請け負うのはそんなに先のことじゃなかった。

 畜生!


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長屋鳴鬼 家を鳴らすのはだぁれ? ~明治幻想奇譚~ Tempp @ぷかぷか @Tempp

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