本屋

戸田 猫丸

本屋


 私は、本屋が好きである。


 大学での講義が終わった後、すぐ近くにあるこぢんまりとした本屋へ寄ることが多い。


 最近出来たような本屋——LEDの光で満たされ、カラフルな見出しに彩られたいかにも「買って下さい」とアピールする本ばかりが棚に並べられた本屋では決してなく。

 私が好きな本屋は、薄暗い蛍光灯が灯り、背の高い本棚と本棚の間の通路が狭くて埃臭く、入店しても「いらっしゃいませ」の一言も言わぬ老人が、一人でレジ前で本を読み耽っている——そんな本屋である。


 大学の講義が終わり、時刻は17時を過ぎたところだ。今日も、いつも通り手動のガラス扉をガラガラと開け、入店する。チリンチリンと鈴の音だけが響き、本屋特有のムワッとした埃と古びた紙の匂いに包まれる。勿論、「いらっしゃい」の言葉も、店内のBGMも無い。

 最高だ。


 本屋は、異世界である。

 

 そこには、数多くの人生の欠片がひしめいている。本棚の隙間を歩くだけで、多くの人間の思想がプンプンと匂ってくる。


 古びた1冊を手に取る。最初の方の頁を開く。私の魂と共鳴しない。本棚に戻す。

 分厚い1冊を手に取り、適当に開いてみる。私の魂と共鳴しない。本棚に戻す。


 何度か繰り返しているうちに、音叉の如く共鳴する1冊と出会えたりする。そうなったらもうダメである。時を忘れ、猫背になっているのを忘れ、目の疲れを忘れ、肩の凝りを忘れ、読み耽ってしまう。


 そこにある1つの異世界の欠片に吸い込まれ、半分まで読んだ頃、大体我に帰るのだ。その異世界の欠片をレジに持っていく。

 老眼鏡をかけた老人が、震える手で異世界の欠片を手に取り、レジを打つ。昼食代の余りの金をその老人に渡せば、その異世界の欠片は私のものだ。


 本屋は、そんな異世界の欠片がひしめく異世界である。当然だ。外に出ると、既に満月が高く昇っている。時刻は22時手前である。時の経つ速さが、現実世界とは全く違っている。


 半分まで読んだのに、また最初から読んでみたくなるから不思議である。

 本屋という異世界で読むのと、自室で読むのとではやはり見える世界が違う。

 そしてやはり、読んでいると気付けば午前4時になっていたりする。


 いつしか私は——私の人生の欠片も、かの異世界の本棚に並ぶ日が来るといいなと思うようになった。

 そしてどこかの誰かが現在の私のように、いつかの私が綴る異世界の虜になる日が来ればいいなと——。


(終)

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

本屋 戸田 猫丸 @nekonekoneko777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ