深夜二時に起きること

入河梨茶

ケイとミネコの場合

 寝る前に、ケイはパジャマも下着も脱いで全裸になった。

 世の中にはなるべく服を着ないで過ごしたい人もいるそうだけど、ケイはもともとそういう性質なわけではない。むしろ冷え性に近くて、九月の今だから裸も耐えられるけど寒くなるこれからはどうすればいいのだろうと悩んでいた。

 けれど、一昨日と昨日の深夜に起きた経験から、そうしないと危険なことになりかねないと学んでいた。

 ベッドに入る。シーツがひんやりとして、毛布の暖かさが救いだ。

 二晩連続のあれが、ものすごくリアルなだけの夢なら良いのにと思いながら、同時にそんなわけがないとも確信しつつ、ケイは眠りについた。


 やっぱり今夜も、同じことになった。

 まず全身が熱くなる。続けざまに急病を疑いたくなるほどのショックが走り、声を上げたくなるがそれもままならない。ただ、最初はともかく二度目以降は声を出せないのはありがたかった。ママやパパにこんな異常な姿を見られたくない。

 体じゅうの骨や筋肉が軋む。軋みながら縮んでいく。縮んでいきながらケイの身体を作り替えていく。体内では内臓も動いていくのを感じられた。

 特に縮んでいくのは手足。手は器用な作業なんてできない前足になり、足は二本だけでは体を支えられない後足になる。

 全身をびっしりと体毛が覆っていく。耳が大きくなり、鼻と口は顔の前方へ伸びていく。前歯も伸びて、口の中で強く存在を主張する。

 並行して、お尻から長いものが伸びていく。尻尾だ。

 すべての変化が終わると、ケイは体長二十センチ・体重二百グラムほどの、ネズミに姿を変えていた。


 一昨日も昨日も、それ以上は何も起きなかった。ほんの二、三分ほどすれば、ケイはさっきと逆のプロセスを高速で辿りほんの数秒で人間の姿に戻る。

 けれど昨日までの経験は、今日戻れることを保証しない。まあ同じようになるのではないかと思いつつも、不安は募る。

 人間に戻れなかったら、ケイはネズミとして暮らしていくことになる。両親に自分がケイだと気づいてもらえればまだいいが、そうできなかったら自分はただの害獣だ。逃げきれず親に殺されてゴミ箱に捨てられるなんて可能性も頭をよぎる。

(信じてもらえるかわからないけど、紙に書いておけばよかった)

 今さらそこまで意識が向く。元に戻れたら書いておかないと。

 ベッドから、布団の端を伝うようにして床に降りた。

 ネズミの目で世界を見ているからか、小さな常夜灯の下の自室は人間だった時よりもよく見えた。ネズミの本能的なものがあるのか、その辺を走り回りたくなる。手頃な硬いものを前歯でかじりたくもなる。だからといって、四本足でむやみにうろつき回る気にはなれないし、何をかじろうと元に戻ってから後悔する。

 本能めいたものを抑えながら、人間に戻った時のため下着やパジャマの近くへ移動した。

 今夜も無事人間に戻ると、ケイは服を着て改めて寝直した。

 それでも不安や恐怖は心に根を張って、安らかな眠りには程遠かった。



「ケイ、顔色悪いけどどうしたの?」

 中学校へ登校して二年B組の教室に入ると、仲良しのミネコに訊かれた。

「あたしみたいにダイエット? いや、ケイは小さいし細いしそんなことないか」

「ミネコだってそんな気にする必要ないのに」

 ケイからすれば、エネルギッシュなミネコはこれからもっと成長していきそう。ダイエットなんかするより、たくさん食べて大きくなればいいのにと思う。もともと食いしん坊で、ケイがお昼を食べていると物欲しそうな眼をしているくらいだし。

 ともあれ、ケイは話を戻した。現状は誰かに相談せずにはいられない。と言っても大っぴらに話せるようなことでないし声は小さめに。

「夜中に、さ。ちょっと、嫌な夢みたいなことが起きて」

 だが、ミネコはその言葉に顔色を変える。

「え……あたしも」

「うそ、ミネコも?」

 ミネコはそこで声量をさらに落とした。

「寝ぼけてるのかなと思って誰にも話したことはないけど……」

「わたしも」

「でもあれ、夢とは思えなくて」

 ミネコの言葉に何度も強く肯いた。

「確認しない? 今夜泊まりに来てよ」

 ケイはその誘いにすぐ乗った。



 ――あらら、あの二人が相談し合ったか。

 キャラコは近くの席から、耳をそばだてて二人の会話を聴いていた。

 一連の事件の犯人は、キャラコである。

 数日前、古本屋の隅で妙な本を見つけた。不思議と惹かれて手に取るが、値札はついていない。店主に確認したが彼にもよくわからないとのこと。

「中には何にも書いてないし、凝った造りの日記帳か何かが仕入れの時に紛れ込んだのかな。お嬢さんが欲しければあげるよ」

 言われて遠慮なく受け取った。帰り道、考える。

 ――普通の人には読めないんだ。

 キャラコには、書かれてあるものが読めていた。自分が選ばれた存在になったようでうれしかった。

 この本は魔術書だ。

 色々な魔術が書かれているが、特殊な素材や技術や才能が必要とされるものが多い中、現時点のキャラコでも楽にできそうなのは、指定した相手を動物に変える魔術だった。と言っても今できるのは一番簡単な術だけで、変化させられるのは深夜二時からの三分間のみ。一度指定すれば、あとは毎日その時間に勝手に発動するのは便利だ。

 誰を変えるかは迷わなかった。無関心を決め込んでいるクラスメートたちを標的にした。

 春先から続くいじめは悪辣で、キャラコ独力では証拠を確保できない。一年の時に仲は良くなくても悪い関係ではなかったケイやミネコら何人かに協力を頼もうとしたが、首謀者がよほど怖いのかキャラコにそこまでする価値がないと判断されたか、全員に無視・黙殺された。

 深夜の短時間の経験なんてちょっとした悪夢レベル。この程度で何かが変わるとは思えない。首謀者近辺に何か仕掛けても大したショックは与えられず、ただ無意味に警戒させるだけだろうとターゲットにはしなかった。つまりこれは、周辺の連中へのちょっとした腹いせと、キャラコ自身が経験を積むためのものと位置付けていたけれど……。

 ――もしかしたら、何か起きるのかな。

 その「何か」があの二人にとっては決して良い事態とならないと予測しつつも、キャラコは止めるつもりなどなかった。

 自分は自分で、今日も静かに密かに執拗に続くいじめを生き延びるのと、いずれ復讐を成し遂げるのに必死なのだ。



「裸にならないと、だよね」

「うん。簡単に仕切ろうか」

 ミネコがベッドと布団の間に布を張った。

 放課後に訪れたミネコの家で、ケイはミネコと改めて話していった。人間でないものになる・時間は真夜中・変化してるのは数分間といった点は全部共通している。

 そして夜を迎えて寝る準備を始めた。起きていられれば一番よかったけど、さすがにあんな時間まではきつい。ミネコのご家族に気づかれる危険も高くなるだろうし。なので裸になりつつ仮眠をとる。

「最初は元に戻った瞬間も怖かったよね。パジャマに身体が引っかかって、破けなかったら下手すると首が締まってたかもしれない」

「え、いや、そこまでのことにはならなかったけど」

 ミネコは不思議そうに軽く首を傾げているが、運が良かったのだろう。ケイがネズミになってパジャマに埋もれてしまった最初の夜、ネズミのサイズ感では自分がパジャマの中のどこにいるのかがわからず、袖の中にいた時に元に戻ってしまったのだ。

 ともあれ、相手からの視界を遮ると服を脱ぐ。

 ミネコのベッドを使わせてもらい、部屋の主が布団を使った。

 互いの変化を確認したくらいで、何がどうなるかはわからない。けれど、二人で取り組めば一人ではわからないことがわかるかもしれないし、何より精神的な負担が大違いだ。

 ケイはこの変化が始まって以来初めて穏やかな気持ちで眠ることができた。


 四日目も、変化のショックはケイを襲った。

 ミネコに呼びかけることはできないが、布の向こうでもがくような気配を感じる。やはり変化は彼女にも起きているのだ。

 ネズミになったケイは、ベッドから床へ降り立った。部屋を半分に仕切る布を越えて、ミネコを探す。

 目の前に、巨大な猫がいた。いや、ネズミからすると巨大なだけで、大きさは普通の猫なのだろう。

 ミネコが何に変化するか確認まではしてなかったっけと、自分もネズミになってしまうなんてどこか恥ずかしくて言えなかったっけと、ケイは思い返す。

 猫は、ネズミになったケイをじっと見つめている。その口からたちまちよだれが溢れ出す。

 ミネコは晩ご飯もダイエットと言ってあまり食べていなかったなとも、ケイは思い出していた。

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