第4話―別れの道
あれからというもの、彼とわたしはよく散歩の約束をして川沿いを歩いていた。基本的には彼の希望通りに川のすぐそばを歩く。例によって彼は鳥や虫とたわむれたいらしく。しかし、わたしはというと、川の上にある遊歩道を歩いて遠くの景色を眺めていたい。もちろん河川敷を歩いていても、遠くを見れば景色は見えるのだけど、見晴らしはまちがいなく上にあがったほうがよく見えるし、なによりも車が走っているところを見られるのが良い。だから、行きは川の近くを歩くけど、帰りは川の上にある遊歩道を歩く、といったように交互に歩くことにしている。でもこれは固定ではなく、行きに遊歩道だったり、行きも帰りも川のすぐそばを歩いたり。とにかく適当に歩いている。決まってないのがいい。
平日だけではなく、休日もたまに歩いた。やはり、お父さんと歩くよりもたのしかった。虫はそんなに好きじゃなかったけど、彼につられて見ていると、なんだかかわいいものに思えてきて、わたしの楽しみは遠くの山を見ることに加えてさらに増えた。河川敷ではおじさんがたまにコイにパンくずをあたえており、わたしたちはコイがパンの耳に集まってはげしくバシャバシャと動き回る様子を見て楽しんでいた。
いろんな鳥や魚・虫など、生き物たくさんでおもしろかったな。
小学生のときはもう少し自由が広がった。幼稚園のときよりも体が大きくなり、向こうの岸までジャンプしてまたぐことができるようになった。反対側の岸までジャンプするためにはいくつかのブロックをまたがなければいけない。そのブロックのすき間部分は流れが急になっており、いつもまたぐことがこわかった。彼が先に行って、わたしがその後に続く。彼はわたしよりも早く飛んでわたることができて、わたしはいつもこわがっていた。だから彼がいる同じ岸までたどり着くと、いつも安心感が湧き出ていた。たまにブロックに乗って、少し泥臭い匂いをかぎながら、そこから見られる小魚を目で追ってたのしんでいた。ちなみに、川をまたいでもたいして向こう岸とは変わらない。たまには違う岸を歩くのもいいよね、という感じで気まぐれで彼の後に続いて岸をわたっている。
「ねえ、今日はどこまで歩くの?」わたしは彼にたずねる。
「うーん、あの木が生い茂ってるところまで行きたいんだよなー」
「えー遠いよ」わたしは嘆いた。
わたしたちが歩いている河川敷沿いの川は、しばらく歩くと大きな川に、下流に向かって合流する。その合流地点の上流側は湿地になっており、少しばかり林になっていた。
「ねえ、あそこで鬼ごっこしよう」彼は林の方向を指さして言った。
「え、2人だけじゃん」
「いっぱい隠れるところがあるから簡単には捕まえられないでしょ?だからすぐには終わらないよ」
そうだけどさ、地面がところどころぬかるんでいて、しかも道幅狭くって沼に落ちそうなんだよな。そう思ったけど、彼はすぐさまわたしの前から消えた。わたしは彼を追いかけて見つけるしかなかった。
林の中はおもったよりしっかりした土で、ぬかるんではいなかった。落ち葉を蹴散らしながら林の中を疾走する。昆虫の独特なにおいが鼻をつく。まるでカブトムシがいるかのようだった。息が上がる。やはり、彼は男だ。体力と走力で負ける。少し息を整えて「もうむり!」と叫ぶ。「わかった、じゃあつぎはぼくが追いかけるよ」と彼からの声。いったいどこの茂みにいるのかわからない。きょろきょろしていたら走ってこっちによって来てタッチされてしまった。
「あれ、もうおわっちゃった」彼は残念そうに言う。
「だから、わたしそんなに走れないって」あがった息をなんとか押さえながら答える。
とにかく心臓がバクバクしていた。すずしい気温なはずなのに汗で服が肌にまとわりつき、気持ちわるく感じる。彼はなにごともないかのような顔をしていた。あれだけ走ったのにまだまだ走り足りないようであった。
「まあいいや。ちょっと探検して帰ろう」
うん、とわたしは言い、林の中をあるいた。小川がちょろちょろと流れており、その周辺に地面をおおうようにしてわたしの膝下くらいまで草が生えていた。わたしたちが草に足を踏み入れるたびに小さなカエルが跳んで逃げていった。
探検を終えると、小高くなった土手に上がる。土手はゆるやかに180度曲がってそのまま分岐した川の上流へと向かう、わたしたちが帰る方向へと。夕日に照らされながら、草が生い茂る川の中を見る。今日もいつもとかわらないのどかな川であった。わたしたちが歩いている道には赤とんぼがたくさん飛んでいた。
今日行った湿地帯は、わたしたちのお気に入りの場所になっていった。毎回追いかけっこをやるわけではないけれど、茂みにかくれた誰も目につかない場所で彼といっしょにいるいることが、どこか嬉しく感じられた。
ある日のこと、私は廊下を歩いて左へ曲がろうとしたとき、階段の踊り場で彼を見つけた。彼を含めて4人の友達が何やらしゃべっていた。私は壁に背を向けて、耳だけ壁の後ろから出すようにして彼らの会話を盗み聞きしてみた。
「オレたちと遊ばずに女と歩いてるっどういうことなの?」
「いや、ぼくはみんなと遊びたくないんじゃなくって―」
「じゃあなんなのさ?次オレたちとの誘い断ったらもうぜったいに話さないから」
「わ、わかったよ」
「じゃあ今日は公園で鬼ごっこな。忘れず来いよ!」
「うん、わかった」
「あともう女と話すな!いみわかんねえよ、いっしょに歩くとか。友達でもないんだろ?」
「うん…」
彼は友達3人の背中を見送り、後ろを振り返って歩き出す。わたしはサッと身を隠す。わたしと彼の教室は違うけれど廊下は同じだから、こうして会うことはよくある。
彼がわたしの前を通り過ぎようとする。
「ねえ、」
声をかける。彼は素通りし、教室に入る。なんでなのさ―。胸が苦しい。悔しい。両手に力が入る。トイレの個室にかけこむ。ドアを閉める。泣く。
「あと5分ほどで授業がはじまります」
放送が流れる。涙が止まらない。だめだ、ここにずっといられない。
なんとか目頭を押さえてドアを開け、顔を洗うことにした。しかし顔が震えてまともに洗えない。ひとまず鳥の水浴びのように顔に雑に水をかけてトイレを出た。外で遊んでいた人たちがいそいそと教室へ戻っていく。わたしも人混みの中で顔を隠すようにして教室へと戻った。
授業の始まりからずっと、彼のことで頭がいっぱいだった。授業の後半でようやくまともに先生のしゃべっていることを聞けるようになった。ただ、黒板を隔てた隣の教室は彼のいる教室だった。それを思うとまた顔がくしゃくしゃになってしまう。
なんとか耐えて、ようやく下校時刻になる。よく彼と廊下会うから、そのときはいっしょに下校する。そして、下校しながら散歩に行く約束をしたり、雑談をする。だから、まだわたしと話してくれるかもしれないと、うっすら期待していた。
彼はいなかった。隣のクラスはもうすでにホームルームを終えて下校をしていた。ぞろぞろと降りてくる上級生に混じって階段の踊り場にいないかと目を凝らしたが、彼はどこにもいなかった。ああ、わたし、捨てられちゃったな。悔しさでまた涙があふれそうになる。いや、悲しさだろうか。もうどうでもいいや。
彼と散歩をしなくなってから、彼と話すことは全くなくなってしまった。時おり見かけはしたけど、わたしを見ると彼は目をそむけて避けるようにして距離を置いた。いや、距離を置いているように見えただけなのかもしれない。いずれにせよ、下を向いて目を合わせようとしてくれなかった。
中学校に上がるとわたしは一人で登校していた。彼の姿はたまに見た。部活をやっているぽい。もちろん、わたしが彼の姿を追うことは無かった。教室も同じにはならなかったし。
いろいろあったな。ふりかえってそう思う。今、彼は何してるんだろ。いつの日かに言い合った、おとなになる年齢に近くなった今。
そう思いつつ今日も1人、小さな川の横の並木道を歩いて高校を下校する。
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