第3話―買い物への道

 疲れた。ただ座っていただけでは疲れた。

 野菜炒めを食べているとき、お母さんに「どうだった?」と散歩のことを聞かれた。

「うーん、そんなにたのしくなかった」

「そう。もう散歩なんてやめときなね」

うん、とうなずく。食欲があまりない。重たい頭を下に向けながら箸をうごかす。箸も重く感じる。

 しばらくすると「ただいま」とお父さんが帰ってきた。「おかえり」とお母さんが玄関まで出迎える。わたしはそのままひじきを食べる。もうすぐ食べ終われる。

 お父さんがリビングの扉を開ける。

「ただいま」

「おかえりなさい」箸をもったまま顔を上げてそう答える。

「今日はまだ食べていたんだね」

「うん」と低い声で返事をする。

 いつもお父さんがわたしとご飯を共にすることは無い。お父さんは午後8時ごろにいつも帰ってくる。お母さんとの会話を聞くところによると、仕事が早く片付いたらしく、今日は早めに退社したらしい。わたしはわたしで外に出ていたから、夕ご飯を食べ始めるのが少しばかり遅くなっている。だからこうしてわたしが食べてる最中にお父さんと出くわすことになった。

「いやー今日は仕事が少なくて助かったよ」

「そう、よかったねそれは。ご飯食べる?」とお母さんが聞く。

「いや、録り貯めてた映画を見るよ」

 そういうとお父さんはテレビのスイッチを入れて洋画を見始めた。テレビの中ではうすい紺色のジーンズ柄の上着を着た金髪の若い男が草むらではにかんでいた。近くにはピンクの蛍光色の長袖を着た女性が木を見つめていた。なんの映画なのだろうか?もはやどうでもよかった。ねむい。

 ご飯を食べ終わり、お母さんが食器を洗っているあいだ、わたしは隣の部屋でブロックあそびをすることにした。しかしねむい。組み立てることが出来ない。ついにウトウトしてねそうになる。お母さんに叩いて起こされ、「お風呂はいるよ」と言われて脱衣所へと向かい、いっしょにお風呂に入る。寝る準備をしてすぐさま寝た。


 翌朝、彼は先にバス停に立っていた。バス停には彼のほかに2人いた。ひとりは親といっしょにいるからたぶん年少さん。もうひとりのほうは年中さんかな、わたしとは違う色のなまえバッジをつけているから。彼と目が合う。気まずくなって、すぐさま右斜め上の空へと視線を移す。電線と電柱が目に入る。まだ上をみているだけマシだった。わたしはバス停に待つ3人とは少し離れた位置で待つことにした。

 あまり待たずにバスが来た。中には他の場所で乗った園児たちがちらほらいる。彼はバスの真ん中あたりに座った。わたしはそれを横目で見ながら通り過ぎ、一番うしろの1つ前の席に座った。これで彼とは話すことはないとおもった。おもちゃを遊んでいるときに声をかけられたらてきとうな言葉を言えばどこか行ってくれるだろう。時間が経てばもはやわたしと散歩行こうだなんてどうでもよくなっているはずだ。そう思いながら車窓をながめていた。バスは大通りを通過する。遠くには青々とした山が見える。

 バスが幼稚園の玄関前に止まり、乗っていた園児たちがぞろぞろと降りていくのを確認する。わたしは最後に降りた。みんなの列の最後尾にいれば前の人と間を空けることができるから、彼と近くなることは無いだろうと。しかし、だめだった。降りたらバスの昇降口の左横で彼がまちぶせしていた。しまった。バスの中からは死角であったから油断していた。彼が眉をひそめてこちらに来る。あーどうしよ。

「ねえ、昨日はごめんね」

「なにが?たのしかったよ散歩」ぶっきらぼうにそう答える。

「でも昨日、バイバイする前につまらなかったって言ってたじゃん」

「ああ、あれはでも」返答につまる。

「今度は本当に散歩だから、もういっかい行こ?昨日いいっていったでしょ?」

「うーん」

 わたしはこまってしまった。わたしは幼稚園の中へと歩き出す。彼もあとを追ってついてくるのがわかった。

 玄関に入り、下駄箱でくつを替える。彼とはクラスが同じだから、下駄箱の場所も同じ。彼がわたしからの返答を聞きたそうな様子で靴を下駄箱の中に入れ、上履きを出す。彼が下を向きながら教室へと向かおうとしたとき、わたしは口を開いた。

「だから昨日も聞いたけど、なんでわたしなの?」

「あそぶ人がいないんだもん」

「ほら、けっきょく石投げるだけじゃん」

「いや、ちがうもん」彼が暗い声で言う。

「なにが?」

「こんどは歩きたい、散歩」

「本当なの?」

「本当」

 しょうがない。めんどうなので彼の言葉を聞き入れることにした。

「わかった。でも散歩じゃなかったらすぐ帰る」

「うん、だいじょうぶ。今度はママのおつかいだよ」

「どこまで歩くの?」

「近くのホームセンターだよ」

「何買うの?」

「ペンチだよ。針金を切るのにつかうんだって。昨日ママ、植木鉢を壁に固定するのにペンチがなくて困ってたんだ」

 ひとりでいけばいいのに、と言いそうになってやめた。ひとりはさみしく感じるのは自分でもわかってることだ。

 今日の自由時間に彼はわたしのところへはこなかった。相変わらず庭に出てなにかを観察している。わたしは外に出てあそんでいる人たちを少しうらやましいとおもいつつも不思議に見つめていた。わたしはひとりでいいや。おもちゃに目を向き直す。塀をつけた家を、例の曲げることができるブロックでつくってみる。今日はおもちゃばこにあるミニカーをならべてみた。おとなになったらこんなふうに家を立てて車を持つのだろうか?ふとそうおもった。

 おとなというのはよく分からない。先生は相変わらずみんなを助けてくれる。ころんでケガをしてしまったとき、まっさきに来るのは先生だった。みんなに優しく声をかけてハサミの使い方を教えてくれるのも、外でボール投げして遊んでくれるのも、先生だった。お母さんは幼稚園の支度をしてくれるし、ご飯も作ってくれる。寝る布団もひいてくれるし、服も用意してくれる。お父さんは車でおもちゃ屋さんにつれていってくれるし、手遊びしてくれる。

 おとなは、自分よりすごいことができる。わたしもおとなになったらすごくなるだろうか?自分で全部やれるのだろうか?でも、どうしたらいいのかわからない。

 帰り、バスの中で彼が隣に座る。玄関で待っていると「隣良い?」と聞いてきたので「いいよ」と言ったから。

「今日も橋の上にいけばいいの?」わたしから口を開いた。

「そうだね。あと、あみとかスコップがあればいいんだけど」

「それ何につかうの?」

「え、帰りに遊びたいなとおもって」

「えーヤダ」強く反対する。もう彼につきあって虫を観察するのは嫌。ていうかわたし、虫観察につきあわされているだけで虫なんて見たくもないけど。

「ひとまず、今日は歩くだけがいい。いい?」わたしは強く主張した。彼は納得いかない顔ではあったが、「うーん」と低い声をあげてしぶしぶのみこんでくれた。

 視線を座席前にある黒く塗られた手すりから窓へと移す。手前には田んぼが広がり、後ろには山々が横に連なっている。山のてっぺんのさらに上のほうで、太陽がまぶしく田んぼと街を照らしていた。すぐ手前には線路が山々と平行になるようにして敷かれている。バスはそろそろこの線路の先にある駅を通り過ぎて、わたしたちの住む街へと入っていく。駅のロータリーは淡い色付きのアスファルトが石畳風に並べられている。つい最近きれいに整備されたように思う。昔のことは分からないけど。駅にはお父さんがいつも着るようなきちんとした服を着た人たちがちらほらと駅から出てきていた。朝にはたくさんの人たちが駅へと吸い込まれていく。わたしもいつか、この駅からお父さんのように会社に通うことになるのかな?いつも朝にバスの中から見るような服を着て学校に通うことになるのかな?

 そういえばと、彼に気になっていたことを質問してみる。

「ねえ、おとなになるってどういうことだとおもう?」

「え、おとな?」

「そう。」

「えーそんなのわからないよ」

 やっぱりそうか。こればかりは時間が経って自分がおおきくなるしかない。空では分厚くちぎれた雲が太陽の左側をおおっていた。雨が降るのか知らないけど。道路によっていくつかに分かれた住宅地を抜けて、「売地」と書かれた空き地にバスは着いた。「じゃあまた」と彼は言い、おたがい自分の家の方向へと歩く。

 家につき、さっそくお母さんに「今日も行くから外」と言い放つ。

「へーめずらしいね。外好きだったの?」

「ううん、また友だちに誘われたから」

「そっか。気をつけてね」

 うん、と返事をし、なにも持たずに外へと出た。階段を急いで下り、小走りで橋の上に向かう。

 彼もわたしが到着してからあまり待たずに来た。

「今日はママにお金わたされたんだ」

 彼は得意そうに500円玉をわたしに見せた。「ペンチは400円くらいだからこれで足りるんだってさ」

 さ、行こう、と彼は言い、わたしたちは歩き出す。

「そういえばどこに行くの?」

「ホームセンターだよホームセンター!あの茶色い看板がある」

「あああそこね」

 そういえば朝言ってたっけとふと思い出す。

 よくお母さんと車でそのホームセンターの近くを通るから分かる。あとはお父さんとたまに遊歩道を歩いているときに何回も見かけている。遊歩道を歩けばホームセンターの横に出てくる。歩いて10分ばかりだったかな。

 しかし彼はなぜだか昨日と同じく川のほうへと階段を降り始めた。

「え、そっち道違うよ?」

「違うくないよ」

「だってここずっと歩けば店につくよ?」

「川をちかくで見ながらあるきたいから降りようよ」

しぶしぶついていく。昨日みたいに中洲に降りられたらいやだな。だがそれは杞憂だった。彼は川沿いをひたすらに突き進む。「ね、今日は散歩でしょ?」と彼は横を向いてわたしに声をかける。

「でもなんで川の横まで降りたの?またのぼらないといけないじゃん」

川をちかくで見たいとはいえ、のぼるのはめんどくさい。

「川には鳥が住んでておもしろいからだよ。ほら、ツバメがいる」彼はそう答えた。

頭のはるか上ではツバメがたくさん飛んでいた。川をまたぐ橋の下を見てみると、いくつものツバメの巣が見られた。巣をつくっているのかヒナを育てているのか分からないが、何匹ものツバメが巣にやってきては羽をばたつかせて空中にとどまりながら、なにかくちばしを巣にあてつけて橋の下から去っていく。

「上を向いて歩きながらいつもツバメを観察してるの。たのしいんだ」

「へー」

 わたしは、鳥がどう動いているかというよりも、外の景色をぼーっとながめている方が好き。はやく上にあがって遠くの山とか近くの木とか街の様子を見たい。それでも川の様子は歩みを前へと進めるたびに草の生え方や川の流れ方が変わり、それはそれで楽しいものであった。

「ほら、カモもいる」

 カモもまた、この川ではよく見かける。二匹でつがいのようにしておよいでいたり、一匹でもぐってエサをさがしていたり。天敵もいなそうで、とてものどかな川。今はカモが二羽離れ離れにいて、長い草が川の中でおいしげっているところを沿って泳いでいる。鳥を見ることは好きじゃないけど、鳥にはなってみたいかな。歩くんじゃなくて、飛ぶのはたのしそうだしラクそう。散歩はぼーっとできてたのしいけど疲れる。でもそれも後になれば気持ちいいものだったと感じるんだけどね。

 いろんな鳥をキョロキョロして見ていた彼が口を開いた。

「今日帰ってママに聞いてみたんだ。おとなになるってどういうことなのか。そしたらね、つかれるって返ってきた」

「つかれる?」ずっと散歩するってことなのだろうか?

「あまりよくわからないんだけど、おかねのこととか考えるのつかれるんだって。あと友だちとの約束とか」

「ふーん」よくわからない。やはりずっと飛んでいるほうがラクなのだろうか?

 ようやくホームセンターのそばへとつながる階段が見えてきた。

「そろそろ堤防に登らなきゃね」

 彼はそう言うと、階段を登って遊歩道へと向かう。わたしもあとに続く。遊歩道をまたいで道路に出ると、その道路の横に目当てのホームセンターがあった。

 ホームセンターの中に入る。独特の鼻をつまむようなにおいがする。「ペンチ、どこにあるのか知ってるの?」店に入ってすぐに彼は声をかけてきたけど「知らないよ」とわたしは答える。

 てきとうに歩き回ってようやく見つける。昨日中洲で歩き回ったときみたいだ。おまけに、電球が多くて明かりがチカチカする場所だったりこたつの机やタンスがあったりで、いろいろ目に入ってきて頭が混乱しそうだった。使い方がよくわからないような道具もたくさん見かけた。「これかな?」と彼が言って見つめていたものはペンチらしくなく、「違うとおもう」と彼に言ってその場を後にしたり。えんぴつやクレヨンが並んでいる通路の隣にペンチはあった。彼はペンチを取り、そのままレジへと持っていく。ようやく買い物ができた。

 帰りはなぜだか遊歩道を歩く。なんで、と聞いたらもう早く帰りたいらしい。さすがに彼でもあのホームセンターの中をぐるぐると歩き回ったのはつかれたのだろう。遊歩道に並ぶ桜の木たちが影をつくってくれていてすずしい。最近はすこし暑かったからありがたかった。行きでたくさんしゃべったからか、それともホームセンターで疲れたからか、帰りはわたしたちはあまりしゃべることはなかった。わたしはというと、ただひたすらに車のながれや田んぼをながめたりしてたのしんでいた。行きと帰りと歩いていて、わたしは散歩が好きであることに気がつき始めていた。今思うと、行きに川のすぐ近くを歩いたのも悪くはなく、むしろ良かったような気がして。基本的に家でひとりこもっておもちゃ遊びすることに熱中していたからか、外がたのしいことに気がつかなかったのだ。お父さんと遊歩道を歩いたときはそこまで楽しいと感じなかったはずなのだが。おとなに見られてなくて気がラクだからだろうか?遊歩道の左側には低木が続いており、花がまばらに咲いていた。右には桜並木の下にわたしのひざくらいの高さの草がまばらに生えていて、その間にはたんぽぽがたくさん咲いていた。地面は舗装された砂利道であるため、歩くたびにグサッグサッと音がなる。とてもにぎやかな街だ。

 ようやく橋の上にたどりついた。

「今日はついてきてくれてありがとう。たすかったよ」

「いいよ」

「また散歩さそっていい?」

「いいけど、ずっと歩くのがいい。虫とか見るの好きじゃない」

「わかった。じゃあまた鳥を見よう」

 鳥を見るのはあなただけだけどね、と心のなかでつぶやく。でもいいのか。

 こうして、わたしたちは散歩をするようになっていった。

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