第2話―もう一つの道

 遠い昔をふと、思い出してみる。



 わたしと彼との出会いは幼稚園のときだったかな。幼稚園の年長さんのとき。わたしはあまり人と交わらずに、一人で教室の端にあるおもちゃであそんでいるような子だった。

 わたしがよく使っていたおもちゃは、積み木より少し柔らかめのブロックが連続的につながったつくりになっている。連続的につながっていないブロック単体のものもあれば、2個3個、長くて5個6個連続でワイヤーによって串刺しになったようなつくりのものもある。連続したブロックはクネクネと曲げることができる。ブロックの左右方向に突起があって、上下方向には穴がある。両端のブロックには前方後方それぞれにも穴が開いている。穴と突起とをつなげることで、連結して組み立てていくことができる。どのブロックにも淡い色がついていて、色は水色、ピンク、ライムグリーン、ラベンダー、などがそれぞれの連続したブロックに塗られている。

 正直言って、見た目が気持ち悪い。だから誰も使わない。そして、私がほぼ独り占めしていた。

 彼とまともに会話した初日も、その気持ち悪いおもちゃで遊んでいた。すると、いつのまにか彼がわたしのところによってきて、おもちゃに食いついてきた。

「このおもちゃ、どうやって遊ぶの?」

「えっと、ただこうやってクネクネさせて、重ねたり並べたりして、たてものをつくるの」

「へー」

 彼は真顔で、こちらが実演してみせたテキトウな建造物を見つめていた。なにをすればいいのかわかったのか、彼はしゃがみ込み、いくつかのクネクネとしたおもちゃを曲げ、床に広がるマットの上に並べてみせた。

「で、ここからなにすればいいの?」

「上に重ねていくんだよ、ほらこんなふうに」と、わたしは自分のつくった、S字型に曲がったタテモノをゆび指して言った。

「なるほど」

 彼は難しそうな顔をしつつも、おもちゃ箱にあるたくさんの曲がったブロックをつなげていった。彼はせわしなく手を動かし続けたあと、「もういいや」とつぶやいてその場をあとにし、廊下とは正反対の方向に歩いてテラスに出てしまった。せっかくなのでわたしはひとり、彼がサイコロのように四角くつくろうとしていた建造物を少し壊して部分的に長くし、ゾウの鼻のように仕立て上げた。

「はいみんな、せきにすわってー。」

 先生が大きな声で呼びかける。自由時間がおわってしまった。


 帰りのために多くの園児に混じって廊下を歩いていると、彼が近くにいることに気がついた。彼とわたしの家は路地2つ挟んだ場所にある近所だから、送迎バスはいつも同じバスに乗車していたし、なんなら同じバス乗り場から乗っていた。けれども話すことは一切なかった。彼に対して興味すらなかった。年少・年中のときはべつのクラスだったから、ますます会うことはなかった。

 彼もわたしに気がついたみたいで、こっちによって来る。わたしは恥ずかしくなってうつむいたままだった。

「さっきのおもちゃ、たのしかったよ」

「あ、そうなんだ」

 ぶっきらぼうな返答をする。たのしいなら、もうちょっと一緒におもちゃであそんでほしかったな。

「どこに住んでるの?」

「えっ…東町一丁目だよ。多井川の紅葉模様が書かれている橋のすぐ近く」

「わ、じゃあぼくといっしょのところに住んでるね。ぼくもよく散歩するからそこらへん」

「じゃあ同じバスに乗る?わたし二号車」

「おなじだね、ぼくもそれに乗るよ」

 幼稚園の玄関にたどりつく。玄関は薄暗く、壁一面茶色系統のタイルで覆われていて、ひんやりとする空気をただよわせている。バスを3台ほどわたしの幼稚園は保有していて、それぞれの家の方向によって乗るバスは決まっている。砂利がひかれた駐車場から出てバスが玄関前にとまるのを待つ間、わたしはずっと彼に気になっていたことを聞いてみた。

「それにしてもなんで今日はあのおもちゃであそんだの?いつもおもちゃのところにいたっけ?」

 ぼーっとしていた彼がとっさにわたしのほうを振り向いて答える。

「いや、ぼくいつも庭にいるけど、庭に出る前にふと気になったからさ」

「ふーん」

 本当かよ、とおもいながら聞く。

 続いて彼が質問をしてくる。

「そっちはどうなの?いつもずっとあのおもちゃであそんでいるの?」

「そうだよ。とくにやることないし」

「じゃあぼくといっしょにこれから遊ぶ?庭にはぼくの仲間がいるんだ」

「いやいい。わたし外出たくない」

「ああそうなの」

 そうこうしているうちに玄関前にマイクロバスが止まった。バスの扉が開く。待っていた園児たちがぞろぞろと中に入っていく。わたしと彼も続いて入る。そのままバスで隣同士になり、会話を続ける。

「あーはやく家につかないかな。幼稚園つまらないんだよね」

「どうして?」

「だって先生の言うこと聞かないといけないじゃん」

「そんなこと言ったって、家帰ってもお母さんの言う事聞くじゃん」

「それはいいんだよな。やりたいことやらせてもらえるから。でも習い事めんどくさいな。なんか家でプリントやらされるんだ。ママがおしつけてくる」

「ふーん」と、他人事のように聞き流す。

「でも今日はやらなくてもいい日なんだ。あ、そうだ、川に行かない?」

「川?かえってから?」

「そう」

「なにをしに?」

「散歩だよ散歩。ぼくよく川のそばを歩くんだ」

「ひとりで?」

「そうだよ。ママうるさく言わないもん」

 彼は得意そうな顔でそう言った。

「で、どうする?行かない?」

「うーん、お母さんと買い物行かなければ行きたい」

「わかった!じゃあもみじ模様が書いてある橋で会おう」

 彼はうれしそうだった。

 バスはいつのまにか大通りから住宅地に入っていた。「売地」と立て看板が書かれた空き地の前に止まる。

 バスを降り、「じゃあまたあとで」と彼が言ってその場をあとにした。左側を見ると川が流れていて、わたしが今いる高台では川に沿って道がひかれている。わたしはその道を通って横にまたがる2本の路地を通過する。右を曲がり、近所の家を通り過ぎて自分の住むマンションへと入る。マンションの玄関の左側にコンクリートで出来た階段があり、階段をのぼって左に向かった先にある207号室がわたしの家。とびらを開けて「ただいま」と言うと廊下の奥から「おかえり」と母親の声が聞こえ、歩いてこちらの向かってくる。廊下の真ん中くらいまで来たとき、さっそくあそんでもいいか聞いみた。

「ねえ、ちょっと外行ってあそんできてもいい?友だちが待ってるの」

「いいよ、気をつけな」

「はーい、わかった」

 どうやら何も用事はないらしく、安心する。

 わたしはリビングのソファー横に通園リュックを置き、急いで玄関へと向かい、外へと出た。背中に心地よい風がふく。



 かけあしで待ち合わせ場所である、もみじ模様が柵に描かれた橋にたどりつく。彼の姿はまだなかった。多井川はとてもきれいじゃないけど底は見えていて、カモが数匹およいでいるのが確認できる。水の流れが屈曲しているところに土砂がたまっているせいか、草が生い茂っているところが多々あり、カモがここをすみかにしやすいのだろう。川幅は50~60mくらいといったところかな。川の側面は大きな焦げ茶色の石が城の土台のように乱雑に組み合わさるようにして整備されている。

 そのようにして景色を眺めていると、彼がやって来た。

「じゃあ行こうか」

彼はそう言うと、来た方向を向いて歩きだす。

 わたしたちは橋を渡りきり、河川敷をめがけて階段を降りていった。

 河川敷は狭く、直列に歩かなければ両脇の草にはさまれて通れない箇所がいくつもある。基本的には正方形の石畳が敷き詰められていて、2人が歩くにはまったく問題ない。

 わたしは気になっていたことを彼に聞いた。

「ねえ、なんでわたしをさそったの?」

「え、いつも一人だから、誰かさそって歩きたいなっておもって」

「ふーん」

 上を見上げてみると、何本もの橋が堤防をつなぐようにしてかけられている。左右の堤防には砂利道の遊歩道が整備されていて、桜の木が立ち並んでいる。今の季節は青々とした葉桜が茂っている。走っている人や犬を散歩させている人をちらほらと見かけることができる。

 河川敷から川のほうへと降りて行ける階段があらわれた。わたしたちは中洲に降りていった。彼は何かを見つけたようにして石をひろいあげた。平べったい石だった。

「見ててよ」

 そう言うと、彼は水平に石を投げる。石は水面を4回ほどバウンドし、最後には沈んでいった。

「これ、水切りって言うんだ。これであそんだことある?」

「ない」

「じゃあやってみてよ」

 そう彼は言うと、自分が最初に探したようにして地面をくまなく探し、小さくてすこし厚めの石をひろってわたしの前に差し出した。

「これ、なげてみて」

「どうやってやるの?」

「平らにしてシュッって!」

「こう?」

 ひとまず投げてみる。しかしほとんど普通の投げ方になったせいで、ポチャンと音を立てて川に沈む。

「うーん、なんかちがうな」

「え、ちょっともう一回やってみてよ」

 彼は石を拾い上げ、肩を斜め上にあげ、親指と人差指で挟んだ石を水平方向に投げ入れる。みごと再び4回ほどバウンドして川に沈んだ。

「へーすごい」

「へへっ、ひとりでずっと練習してたからね。」

 彼は得意気な顔をしてそう言った。


 彼とわたしは水切りであそんだ後も少し中洲に残り、川の流れや雑草を観察していた。

「よく幼稚園で雑草を見るんだ。ママからいろいろおしえてもらってる」

 どうやら草花や昆虫に関する図鑑も持っているらしい。わたしときたら、ただぼーっと眺めることしかしていない。中洲の上流部のほうには川のあり余る水を吸って成長した背丈の長い草が生い茂っていた。彼は上流部とは真逆の下流部のほうを探索していた。草の上を這って歩くイモムシや、雑草の花をあちこち渡り飛ぶチョウチョを追いかけたりして遊んでいた。

 わたしはついにつまらなくなり、「ねえ散歩は?」と聞いてしまった。「え、十分歩いてるよ?」と彼は答える。それはあなたが虫や草の観察でいそがしく歩き回ってるだけだろうよ、と言いたくなってしまった。


 しばらくしてようやく彼は飽きたのか「じゃあ行こうか」と言い、わたしたちは中洲を出て川岸に戻る。川はゆるやかに大きくカーブしている。遠くを見ると、川が合流する地点が遠くに見えた。

「そろそろ戻ろう。くらくなってきたし」と彼は口を開く。

「そうだね」

 わたしは返答する。けっきょく散歩というより彼のひとり遊びに付き合わされただけだった。わたしたちはもと来た道を引き返すことにした。

「今日はどんな感じだった?」と彼は聞いてきた。

「うーん、つまらなかったかな」

「え、そうなの?」と彼はきょとんとした顔をする。なんで、とでも言いたそうだったので「だって虫ばかりおいかけてたじゃん」とわたしは返事した。

「じゃあ、今度は散歩しよう」

「それ今日言ったじゃん」

「今度こそだよ」

「わかった。でもなんでわたしなの?お母さんと散歩すればいいじゃん」

「なんかつまらないんだよそれ」

 なんだそりゃ。わたしの心のなかでは「もういやだ」という気持ちでしかなかった。

 階段をのぼり、堤防上にある遊歩道まで戻ってきた。集合場所であったもみじ模様がほどこされた歩道の橋はすぐそこに見える。夕日が橋の手すりで反射してまぶしい。橋を通り過ぎて、幼稚園バスの乗り場まで歩く。彼は「じゃあまたね」と言い、「じゃあ」と軽く返事して別れた。

 わたしはとくに何も考えること無く歩いて家についた。夕方特有の少し冷えた風が吹く。

 玄関を開けると野菜炒めのにおいが空腹をさそってきた。


 もう二度と彼との散歩なんて行くものか。

 そうずっと、思っているはずだった。

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