第6話 魔法の言葉

 屋上へ行くのは数日ぶりだった。

 最近は、奏也を避けて、いつも一人でお昼を食べていたからだ。

 その間、奏也が誰とお昼を一緒に食べていたかなんて想像したくはないが、やはり空城 翼と一緒だったのだろうか。

 二人が仲良くお弁当を食べているシーンを想像し、紫は、胸が痛んだ。

 同時に、腹立たしい気持ちも沸き上がったが、授業を終え、放課後を迎える頃には、寂しい気持ちだけが残った。


(奏也に会いたい……)


 幼い頃からずっと傍にいて、毎日顔を合わせていた。

 たった数日でも、こんなに長く離れていたのは、これまでに経験がない。

 今すぐにでも奏也の居る教室へ駆けて行きたいが、あの女と一緒に居るところなど見たくはない。

 それに、奏也から連絡すらないのに、自分から会いに行くのは、紫の自尊心が許さなかった。


 紫が屋上の扉を開けると、そこで待ち構えていたのは、見覚えのない四、五人の女子生徒たちだった。


「……やっぱり来たわね。

 あの男の言っていたことは本当だったってことね」


 真ん中にいた女子生徒が一歩前に出る。

 栗色の髪を肩まで伸ばした、子リスのような女の子だ。


「私に何の用? ……っていうか、どちら様かしら?

 生憎私、女性に興味はないの。

 そういう性質の方に偏見はないけれど、愛の告白ならお断りさせて頂くわ」

「ば、ばかにしないでっ! 誰があんたなんかに……!

 ……ふん。私の名前は、栗山くりやま 咲姫さき

 あなたに名乗ったのは、これが初めてだけれど、

 私の顔を忘れた……とは言わせないわよ」

「知らないわ」

「しらばっくれないでっ!

 新校舎の二階から私が見ているの、気付いていたでしょ!

 気付いていて、あんなこと……」


 咲姫と名乗った女子生徒は、その時の情景を思い出したか、顔を真っ赤にして肩を震わせた。

 紫は、その顔を見て、ようやく彼女が先日、奏也に告白した女子生徒の一人だったことを思い出す。

 忘れるなんてひどい、最低よっ、と後ろで圧力をかけていた他の女子生徒たちが口々に野次を飛ばしてくるのを紫は、関心のない表情で無視した。


「……もういいわ。私が誰かなんて関係ない。

 私、知っているのよ。

 あなたが奏也くんを脅して、無理やり許嫁にしたって」

「誰がそんなことを?」

「匿名で……と言いたいところだけど、

 根拠がないと疑われても嫌だから、教えてあげる。

 あなたたちの幼馴染、白山 晃牙よ。

 あいつ、私の父親が検事総長と付き合いがあるって言ったら、

 すぐに教えてくれたわ。友達は選ぶことね」

「白山? ……ああ、そう言えばいたわね、そういうのが。

 別に友達なんかじゃないわ。小学校が一緒だったってだけよ」

「その小学校に通っていた頃、事件が起きたんでしょう。

 富瀬くんがあなたに怪我を負わせたとかで、その責任をとるために許嫁になったって、彼が教えてくれたのよ」


(あの野郎……余計なことを……あとでしばくっ!!)


 紫が反論しないのを見て、咲姫は、気を良くしたようだった。

 高笑いをしながら紫を見下す。


「やっぱりそうなのね!

 反論しないってことは、認めたも同然よ」

「それで、私にどうしろと?」

「富瀬くんとの許嫁を解消して。

 そうすれば、あなたたちのこと、私たちだけの秘密にしてあげてもいいわ」

「断ったら?」

「あなたたちの秘密を皆にバラすだけよ。

 柏崎 紫は、卑怯な手で、富瀬 奏也に無理やり許嫁を強要してるってね。

 それを聞いたら、富瀬くんを好きな他の子たちがどうするかしら?

 今度こそ本当に〝現代の悪役令嬢〟は、断罪されるに決まってるわ」

「断罪って……今のあなたの方がよっぽど〝悪役令嬢〟っぽいと思うわよ」

「う、うるさいわねっ!

 この際、はっきり言わせてもらうけど、あなたに富瀬くんは不釣り合いなの。

 〝現代の聖女〟ならともかく、〝現代の悪役令嬢〟が王子様と結ばれる結末なんて有り得ないのよ!!」

「「そうよ、そうよ!

  奏也くんを解放してあげてっ!」」


 咲姫の言葉に便乗して後ろで叫ぶ女子生徒たちを見て、紫は、小鳥が騒いでいるようだと思った。

 彼女たちがどういう関係なのかは分からないが、同じ男を好きな者同士で何故結託できるのか、紫には理解できない。


(彼女たちが何か言ったところで、私と奏也の関係が変わるわけじゃない。

 ……でも、奏也に近づく雌豚たちをこれ以上増長させるわけには……)


 どうしたものか、と紫が思案していると、

 痺れを切らした咲姫が苛立った様子で紫に迫るように一歩前に身を乗り出した。


「今すぐここで、富瀬くんに電話して、許嫁を解消しなさい」


 気が付くと紫は、四方を女子生徒らに囲まれていた。

 後ろには屋上のフェンス。

 逃げ場はない。

 そして何より、鬼気迫る彼女たちの狂気が異常だった。

 ここで紫が反論しようものなら、取って食おうとでも言わんばかりだ。


 紫は、ふぅと溜め息を吐いた。

 とりあえず言われたとおりにしようと、スカートのポケットからスマホを取り出すと、奏也に電話をかけた。


「分かってると思うけど、妙なことを言ったら、ただじゃ済まないわよ」


 咲姫が釘を刺す。

 紫は、コール音を聞きながら奏也が出るのを待った。

 しかし、いつまで待っても奏也は出ない。

 この前のことを怒っているのだろうか。


(もしかして、またあの女と一緒にいるのかしら……)


 嫌な想像をしかけた紫の脳裏に、この前見た奏也と翼のキスシーンが浮かんだ。

 思い出すだけで胸が抉れるような痛みを感じる。


(このまま奏也と離れることになるの……?

 そんなの嫌っ!!)


 紫は、あの時の光景を頭の中から締め出すように、頭を振った。


「ちょっと、あなたたち、そこで何をやってるの?」


 突然、屋上の扉を開けて、空城 翼が姿を現した。

 一瞬、狂気を孕んだ空気が緩む。

 振り返った小鳥たちは、声の主を見て、聖女様よ、〝現代の聖女〟様だわ、とどよめきの声を上げた。

 咲姫は、動揺の色を隠せないまま、言葉を探している。

 紫は、思わず素で翼に向かって話しかけていた。


「奏也は?」

「奏也くんなら、授業が終わってすぐ運動部の子たちが来て、どこかに連れて行かれたけど……確かサッカー部だったかな。

 今なら、たぶんサッカーグラウンドに居るんじゃない?」


 紫は、ぱっと後ろを振り返ると、フェンス越しに見えるサッカーグラウンドに視線をやった。

 その様子を見た咲姫が鼻で笑う。


「何よ、まさかここから捜すつもり?

 見えるわけないわ、この高さからじゃ」


 サッカーグラウンドは、校庭と隣接してはいるが、ネットで区切られている。

 緑色の人工芝にサッカー部の赤いユニフォームはよく映えて見えるが、顔までは識別できない。

 しかし、紫は、咲姫の言葉など耳に入らないようで、じっと目を凝らして、サッカーグラウンドを見つめている。


 翼は、これは一体どういう状況なのか、と説明を求めて皆を見回した。

 しかし、咲姫はもちろんのこと、小鳥たちにも、紫を脅していたなどと答えられる筈もなく、翼から視線を外すように目を泳がせる。

 その時、奏也を探して動き続けていた紫の目がある一点で止まった。

 金網が音を立てて軋む音に皆が顔を上げると、紫がフェンスに登るところだった。


「ちょ、ちょっと何してんのよっ」


 さすがに慌てた咲姫が呼び止めようとしたが、紫は、スカートを翻してフェンスの向こう側へと身を滑らせた。

 足場には一人分の足の踏み場しかなく、一歩足を前に出せば、地面まで真っ逆さまに落ちてしまう。

 しかし、そこに立つ紫の顔に恐れの色は一切なく、紅潮した頬でサッカーグラウンドにある一点だけを真っすぐ見つめている。


「ソーヤーーーっ!!」


 腹の底の底から声を出すように紫は叫んだ。

 その耳をつんざく様な叫び声に、その場に居た咲姫や小鳥たちが耳を塞ぐ。

 翼は、目をビー玉のように丸くして紫を見ていた。


 校庭にいた生徒たちも声の発生元を探して頭上を仰ぐ。

 その内の何人かは、屋上のフェンスを乗り越えた紫の姿に気付き、悲鳴を上げて指を刺した。

 グラウンドでは、声を聞き取った何人かが顔を上げて周囲を探す素振りをしてみせたが、ほとんどが練習に集中しており、気が付かないようだ。

 ただ、赤いユニフォームを着た生徒の中に、頭に紫色の紐のようなものを括り付けている一人が顔を上げて、紫を見た。

 遠くて顔までは判別できないが、彼が奏也だと紫には確信が持てた。

 再び大きく息を吸い込むと、ぴりぴりと痛む喉を震わせて、力の限り叫ぶ。


「私、奏也のことが好き! 大好き!!」


 それは、嘘偽りのない紫の心からの告白だった。

 紫がこれまでずっと胸に秘めて温めてきた熱い想いだ。

 矜持も虚栄も捨てて、ただ身一つ、心一つから出た言葉。

 他には、何もない。

 紫にあるのは、奏也への想いだけ。


 ――それじゃあ……私の許嫁になってくれる?

 ――……許嫁って?

 ――将来大きくなったら、私と結婚しますって約束をすることよ。

 ――……いいよ。オレ、紫と結婚する。許嫁になるよ。

 ――本当? 絶対の絶対? 約束よ?

 ――うん、約束する。


 紫の脳裏に幼い頃の情景が浮かぶ。

 まだ幼さの残る奏也が目を赤くして、自分と指切りをする姿を見て、心から愛しいと思った。

 絶対にこの人を離さないと心に誓った、大切な思い出。

 紫の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。


 その姿を遠く離れたサッカーグラウンドから奏也が無言で見つめていた。

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