第7話 約束
富瀬 奏也は、物心つく前から運動神経が良く、よく笑う元気で明るい子供だった。
人見知りすることなく、誰とでも仲良くなるので、幼稚園でもいつもクラスの中心にいて、皆の人気者だった。
ある日、柏崎 紫という女の子が幼稚園に転入してきた。
その子は、見るからにお金持ちのお嬢様という風貌をしており、まるで絵本で見た白雪姫のようだと奏也は思った。
紫は、綺麗な容姿をしているのに、決して笑わない変わった女の子だった。
誰とも親しくなろうとせず、いつも皆が遊んでいる輪から外れて、一人で絵本を読んでいた。
皆が紫と仲良くなろうと声を掛けた。
でも、紫は、つんと顔を背けると、こう言った。
――わたしは、いま えほん を よみたいの。じゃましないで。
とにかく紫は、自分の気持ちに忠実な子供だった。
自分のやりたくないことは絶対にやらないし、自分のやりたいことは他の何を押しのけてでもやりとおす。
先生がいくら友達と仲良くしようね、と言ってもきかない。
――先生は、先生になりたかったから、先生になったんでしょ?
どうしてわたしは、やりたいことをやってはダメなの?
――ウソをついてはダメ、と大人はいうけど、
悪いことをしてないのに、ごめんなさいを言うのはウソじゃないの?
早熟でもあった紫の扱いに周囲の大人たちは手を焼いた。
周りの子供たちとも衝突が絶えず、問題を起こしては、何度も幼稚園を変えていたのだ。
幼い頃は、まだそれでも許された。
でも、成長するにつれて、紫の性格は、周囲との軋轢を生むようになる。
いつしか自然と紫と一緒に遊ぼうとする子はいなくなり、皆、遠巻きに嫌厭するようになっていった。
独りぼっちになっていた紫に、唯一態度を変えなかったのが奏也だった。
二人が10歳になる頃、事件は起きた。
同級生に、白山 晃牙という男の子がいた。
彼もまた、紫とは別の意味で問題児だった。
親は、地元の信頼が厚い政治家で、誰も彼もが晃牙の顔色を伺い、彼の言うことに従うしかない。
悪いことでも晃牙が良いと言えば、それは正義になった。
ある日、晃牙がクラスメイトの男の子を虐めていた。
奏也がそれを見て、止めに入った。
その時は、先生がすぐに見つけてくれたので、難を逃れたが、奏也は、そのことで晃牙から恨みを買った。
晃牙は、仲直りの印に、と言って、奏也を唆し、万引きの手伝いをさせようとしたのだ。
奏也が気付いた時には、共犯にさせられていた。
自分のした罪に震える奏也に、晃牙は、言った。
――柏崎 紫、あの生意気な女を二人で成敗しようぜ。
実は、晃牙に虐められていた子を奏也が助けに入った時、すぐに先生が駆けつけてくれたのは、紫が先生を呼んだからだと晃牙は知っていたのだ。
万引きという小学生には重い罪悪感を奏也に抱かせることで、晃牙は、奏也を意のままに操ることに成功した。
共通の罪を抱いた黒い兄弟というわけだ。
――……成敗って、何をするの?
――簡単だ。ただ石を投げ付けてやればいい。お前は、悪だ、ってな。
そんなこと出来ないよ、と言う奏也に、晃牙は、紫との関係を揶揄してからかった。
――それとも、お前。あの女のこと好きなのか?
(小さい石……小さい石……ちょっと投げるたげだから……)
奏也は、震える手で手頃な石を掴むと、校舎の前を歩いていた紫に目掛けて石を投げた。
しかし、なまじ運動神経の良かった奏也が投げた石は、当初の的を外し、校舎の窓ガラスを割ってしまった。
飛び散ったガラス片が前を通っていた紫の頭上から降り注ぐのを奏也は、死人のような顔で見つめていた。
結局、そのことが原因で、奏也は、それまでの晃牙との経緯を全て話し、大人たちは、その時になって初めて事の重大性に気が付いた。
紫は、命に別状はなかったが、額を何針か縫う怪我を負った。
両親に連れられて、奏也が紫の自宅へ行くと、
紫は、怒っているのか、真っ赤な顔で奏也から目を背けていた。
前髪の下から見える白いガーゼが見ていて痛々しい。
奏也は、泣きながら自分のしたことを紫に謝った。
――……ごめん……ごめんなさい……ほんとうに……怪我させて、ごめんなさい。
――ふんっ。あんたって、ほんとーにバカねっ!!
あんな奴の言うことを真に受けて、ばかじゃないの?
やりたくないことは、やりたくないって言いなさいよねっ!
――う、うん……うん。ごめんね、ごめん……ごめんなさい……。
――べ、別に、許してあげてもいいわよ。その代わり、私の言うこと、何でもきく?
――……う、うん、きく。
――それじゃあ……私の許嫁になって。
――……許嫁って?
――将来大きくなったら、私と結婚しますって約束をすることよ。
お、女の子の顔に怪我させたんだから、あなたが責任とりなさいよねっ!
――……いいよ。オレ、紫と結婚する。許嫁になるよ。
――本当? 絶対の絶対? 約束よ?
――うん、約束する。
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