第7話 苛立ちの原因(ミレーユ視点)
「一体、どうなってるのよ……!」
ほんの数日前まで、学園での話題の中心には美しい自分がいた。それなのにここ最近はあの憎たらしい男爵令嬢の事ばかりが話題になるせいで悔しさで苛立ちが隠せなくなっていた。
わたくしは、王太子の婚約者で誰もが羨むような心優しく美しい淑女なのに。
そう、ミレーユ・ルーベン公爵令嬢はいつでも頂点にいる完璧な淑女でなくてはならなかったのだ。
「公爵令嬢らしくあれ」
両親からは物心ついてからずっとそう言われて育てられてきた。
幼い頃からの厳しい英才教育。王族の婚約者となるべくありとあらゆる事柄を詰め込まれた。両親からは過剰な期待とプレッシャーをかけられ、学園に入ってからは周りからの羨望の眼差しを裏切らぬように自分を偽り続ける日々。念願の王太子の婚約者に選ばれてからはいつものプレッシャーに重ね王太子妃教育も始まりいつの間にか裏と表の顔を使い分けるのが当たり前の生活となっていたのだ。
王太子の婚約者に選ばれた時は嬉しかった。今までの努力が報われたのだと。しかし、王太子の婚約者になってもわたくしの心は満たされなかったのだ。
王太子は確かに優しかった。婚約者としてドレスや宝石も贈ってくれたし華やかなパーティーではエスコートもしてくれた。だが、あんな難しい王太子妃教育のご褒美がこれでは割に合わないと思った。こんなに美しいわたくしが頑張っているのだから王太子ならもっともっとわたくしに褒美を与えるべきなのに。
「政略結婚とはいえ縁があって婚約したのだから、君を大切にしようと思う。一緒に国を支える覚悟を持って欲しい」
そう言った王太子の瞳には熱は籠もっていなかった。これでは物足りない。王太子はわたくしの疲れた心を潤してはくれなかった。あんなのは、わたくしの求める”愛“ではなかったのだから。
そんな時、わたくしは運命の出会いをする。それがジェットだった。
「ミレーユはどんな宝石よりも美しいよ。君のような美しい婚約者がいる王太子がどれだけ妬ましいか……」
ジェットの言葉とその熱の籠もった瞳はわたくしの枯れ切った心を潤してくれたのだ。彼が贈ってくれるドレスや宝石はさすがに王太子からの贈り物と比べたら値段は劣るが、それでも彼がわたくしの為に選んでくれたのだと思ったら嬉しかった。しかし彼にはお粗末な婚約者がいる。冴えない男爵令嬢が彼の婚約者なのかと思ったら憎かっが、わたくしたちは周りにバレないようにこっそりと愛を深めることにしたのだ。まるでロミオとジュリエットのようだと思ったらさらに燃え上がった。
まぁ、今までわたくしが貰っていた贈り物の資金がその男爵令嬢から搾り取られたものだとわかってからは、わたくしの方が女として価値があると認められたのだとわかってさらに心が満たされたから男爵令嬢の存在は恋のスパイス程度のものだったのだが。
それからわたくしはこっそりとその男爵令嬢をイジメるようになった。周りの令嬢たちはみんなわたくしのご機嫌を取ろうと必死だから言葉巧みに操るのは簡単だ。惨めな男爵令嬢の姿を想像したらこれまでのストレスがスッキリと晴れていくようだった。
そんな時、王太子がわたくしに苦言をこぼした。
「最近は王太子妃教育に身が入ってないと教師から連絡がきたのだが。君は王太子妃になるという覚悟が本当にあるのか?」
ほんの数回、仮病を理由に王太子妃教育を休んでジェットとデートしただけなのに、王太子から冷たい視線をむけられたのだ。
屈辱だった。なぜ完璧なわたくしがそんな目で見られないといけないのか?
わたくしはジェットを愛しているが王太子と結婚しなければいけない。ならば今だけ少しくらい息抜きをしてもいいのではないか?どうせ将来は満たされない生活を強いられるのだから。
そして、考えてしまった。
いっそ、王太子との婚約がなくなってジェットと結婚出来れば自分は愛に満たされた生活を送れるのではないか?と。いつもジェットは「駆け落ちしたい」「一緒に平民になれれば」とわたくしの身一つを望んでくれる。こんな公爵令嬢の肩書きしか求められない政略結婚から逃れて、愛するジェットと駆け落ちするのだ。なんてロマンチックなんだろう。さすがに平民になるのは無理だが、ジェットは子爵家の令息だしお金に不自由はしていないはずだ。だって今までの贈り物は男爵令嬢のお金だったのだし、ジェット本人の資金は減っていないのだから。きっとわたくしとの駆け落ちの為にたくさんお金を準備してくれているだろう。だっていつも、わたくしのためならどんな苦労も厭わないと言っていたのだもの。
それに、ジェットと一緒にいられるならば王族の豪華絢爛な暮らしなんていらない。ジェットと一緒に控えめなフルコースディナーを口にし、ちょっとした宝石とドレスに身を包むささやかな生活がやたら魅力的に感じた。旅行やパーティーだってたまにでいいし、屋敷だって王城より多少小さくなって構わない。使用人だって今の半分もいればなんとかなるだろう。
王太子さえ、いなければ。
だんだんとわたくしはそう考えるようになった。
だが、どんなに満たされなくても王族との婚約を簡単には無かったことにはできない。下手に破棄してもわたくしが責められるだけだろう。それは嫌だ。わたくしはいつでもみんなの注目の的で、優しくされるべきなのだから。
だから、こっそりと裏稼業の人間と連絡をつけた。そして、とある毒を入手してそれを王太子のお茶に忍ばせたのだ。これまで尽くしてきた婚約者から「反省して、これからもっと精進します」と仲直りのお茶を勧められたらさすがの王太子だって毒見をさせることなく飲むだろうと思ったのだ。
そして王太子はそのお茶を飲んだ。ジワジワと肢体の自由と意識を奪う毒は、すぐに相手を殺しはしない。それからわたくしは体調不良に倒れた王太子を献身的に支えてみせた。王太子妃教育も「今は少しでも王太子の側にいたいから」と涙を見せながら言えば免除された。王太子の汗を拭いたり手を握ったりするのは嫌だったけれど勉強より楽だったし、ジェットとの未来のためなら頑張れた。
王太子が完全に意識不明の重体となり、医者が「いつ目覚めるかは、もう……」と重い首を横に振った時は嬉しくて飛び上がりそうだった。
それからもわたくしは「きっと王太子殿下は目覚めてくれます」と昏睡状態の王太子に付き添った。そして指一本動かせずにいる王太子の無様な顔を覗き込みながらこう言ってやったのだ。
「この世界の人間は、“美しく、健気で儚い者”に惹かれるのよ」と。
誰もわたくしを疑ったりしない。みんながわたくしに同情して優しく声をかけてれるのだ。
このまま王太子が衰弱すればいい。そうすればこの婚約は自然消滅するだろうし、そのあとは悲しみに暮れるわたくしをジェットがたまたま慰めてくれて恋に落ちたと口裏を合わせればいいだけである。そうすれば誰もわたくしを責めないし「王太子の状態がアレでは致し方ない」と思うだろう。
あとはジェットと男爵令嬢を婚約破棄させるだけだったのに……。
再び男爵令嬢の顔を思い出してギリッと唇を噛む。いつまで経ってもジェットに縋り付く惨めな男爵令嬢のくせに、急に綺麗になったとみんなに注目されている生意気な女。しかもたくさんの生徒の前でジェットに恥をかかせるなんて酷いことした。あの場で悪いのはその男爵令嬢に決まってると言いたかったが、今の段階でわたくしとジェットの関係を悟られるわけにはいかない。周りの令嬢がジェットを「酷い令息」だと罵るのを肯定しなければいけない苦痛に耐えねばならなかった。
許せない。あんな女が未だにジェットの婚約者の立場にいるのがどうしても許せない。
そして、あんな冴えない男爵令嬢の評判ばかりが上がっていくのを指を加えて見ているだけしか出来ない状況にせっかく晴れていたストレスがまた溜まっていくのを感じるのだった。
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