〜立ち読み師 畠山陽一の見た夕日〜

ポテろんぐ

第一回

 これはとある駅前の本屋から始まった、小さな奇跡の物語である。 


 その街は、立ち読みに悩まされていた。

 昭和のその時代、本屋の立ち読みは社会問題となり、それが原因により本が買われず、閉店して行く本屋が山の様に存在していた。


 同時に朝の通勤ラッシュなどにより満員電車。

 それに伴い女性への痴漢行為も後を立たず、こちらもまた解決の糸口も掴めないままであった。


 その街の駅前には、なんの変哲もない至って普通の本屋があった。

 その本屋もまた、心無い本を愛さない立ち読み客のせいで売り上げは落ちていた。駅前にあると言う好立地にも関わらず、来る客のほとんどは本を買わない退読客ばかり。

 そのせいで、本を買いたい客は邪魔をされ、別の書店に行ってしまう。

 困った本屋の店主は、駅員の男と話している時にある名案を思いついた。


  ──いっそ、立ち読み客を痴漢してもらおう──


 翌日から本屋は店先に張り紙を出した。


『立ち読み客への痴漢行為を許可します』


 社会の迷惑行為だった立ち読みと痴漢を見事コラボレーションさせる事で起きた奇跡だった。

 どうせ立ち読み客は本を読んでいる間、迷惑なんだから、それくらいの社会貢献はして欲しい。と、世論もすぐに首を縦に振った。

 このアイデアは見事にハマり、翌日から「え? 痴漢できるの?」とゾロゾロと電車で痴漢をしていた変態達が我先にと本屋に詰めかけた。そして、サンドウィッチが飛ぶ様に売れた。


 不味いものと不味いものを組み合わせると意外と美味い物ができる様に、電車内での痴漢はそれ以来めっきりと減り、痴漢の本場は電車から本屋へと移った。

 文化人類学者である轟ポテ太郎教授は、当時のこの人流の動きについて『まるでサッカーの本場がブラジルから練馬区に移ったくらいの快挙である』と述べている。


 しかし、空前の痴漢ブームで湧き上がる本屋とは裏腹に、今まで立ち読みをしていた立ち読み客達は戸惑った。

「明日から痴漢されるなんて。でも、立ち読みはしたい」

「どうしよう? 自分に痴漢を満足させられるだろうか?」

「やっぱり、痴漢されるなんて怖いわ」


 後に立ち読み師として世界へと羽ばたいていく畠山陽一も、そんな痴漢への恐怖を胸の中に感じていたという。

 しかし、それ以上に『立ち読みをする事で、人の役に立てるなら』と覚悟を決めたという。


 ──手前ごときの尻の割れ目で 平和の鐘が鳴るのなら──


 畠山はそう詩を詠み、翌日、お目当ての漫画の発売日、覚悟を決めて本屋へと立ち読みに向かった。

 死を覚悟する男は白装束を身に纏うと言われているが、彼はその日、嫁に借りたガーターベルトを装着し、ズボンを履かずに本屋に入って行くと言う気合の入れようであった。


『なるようになれ! と言う気持ちでした。どうせなら、誰よりも人の役に立つ立ち読み客になりたかったんです』


 しかし、そう気合いを入れる彼とは裏腹に現実は厳しかった。

 誰一人として、立ち読みをしている彼を痴漢する変態は現れなかったのだ。


 畠山は密かにジェラシーを感じていた。

 彼の隣には相撲部屋の力士が漫画を立ち読みしていた。その力士は自分のぽっちゃりとした体を武器にして、ブラジャーで谷間を作っていた。


 負けたと思った。


 畠山は「自分はここで立ち読みをする資格はあるのだろうか?」とその時、初めて思ったという。ブラをした力士を見て初めて感じた挫折。


 次第に痴漢の客は増え、次第に立ち読み客達は贔屓の客をつけて行くことになる。そして、サンドウィッチが飛ぶ様に売れた。

 黎明期に起きた、お客様争奪戦。ここで負けることは、今後の人生での敗北を意味していた。


──このままでは自分は立ち読み界で生きて行くことはできない──


 そう大きな危機感をその時、畠山は抱いたと言う。


 それは畠山の中で小さく生まれ始めていた立ち読み師としての自覚。

 さらに『この漫画の続きがどうしても気になる』と言う立ち読み客誰もが持つ好奇心。

 そして、何よりも『漫画なんぞに金なんか死んでも払うか!』と言う立ち読みに真摯に向き合おうとする純粋な想いからくる気持ちであった!


 このままではいけない。


 畠山は四六時中考えた。


 そしてある名案が閃いた。


 それは正月、家族で親戚の家へとお邪魔した時のこと。

 畠山が何気なくその家のソファの隙間に手を伸ばすと、指先に固い物がある感触があった。

 なんだろう? とそれを取ると、それを見て衝撃が走った。


「これは!」


 それは、親戚の人がそこに落としたであろう百円玉であった。


「これだ!」


 畠山はその百円玉を見た瞬間に閃いた。


 正月明けの初出勤から、畠山は秘策を編み出した。 

 ある痴漢が、立ち読みをしている畠山の尻に手を伸ばすと、その痴漢は「おや?」と不思議な気持ちになった。イボ痔にしては硬すぎる。なんだろう? とそれを取ると、なんと畠山の尻の間から百円玉が出てくる嬉しいサプライズであった!


『自分には乳もなければ、尻もない。才能のない自分が戦えるとしたら、この方法しかないと思いました』


 畠山の作戦通り、尻間に百円玉作戦は見事に功を奏す。それから次々と畠山に客がつく様になった。そして、サンドウィッチが飛ぶ様に売れた。

 これを機に、畠山は一気に『立ち読み界に畠山あり』と言われる有名人にまで成り上がる。


 しかし、順風満帆に思えたある日、畠山をある悲劇が襲う。


──次回、感動の最終回!──


 大好きな漫画の最後のページに突如書かれたその一文。


 畠山はショックで頭が真っ白になってしまった。


『小学校の頃から、ずっと立ち読みしていたその漫画がついに最終回。頭が真っ白になりました』


 畠山は悩んだ。

 次週の最終回が最後の立ち読みになってしまうのだろうか? そうなれば、今までついた自分への痴漢の固定客もいなくなってしまう。

 ちなみに畠山はこの漫画は全話立ち読みで済まし、この漫画に対して払った金額はゼロ円である。


 金を払う価値はないが、失うと悲しいと言う微妙な感情の狭間で揺れる畠山。


 しかし、そんな畠山にある奇跡が降り注ぐ。


 翌週、


──やっぱ、連載します──


 最終回だと思われた漫画の連載再開が決まっていた。

 それは『畠山さんの立ち読みを辞めさせないでください!』と編集部に大量に届いた連載継続を願う手紙からであった。


 畠山はそれを知り、涙を流した。

 自分の為に、こんな手紙を送ってくれる人がいる。

 手紙には便箋代、封筒代、そして送料がかかる。


 ちなみに畠山が二十年間で漫画に注ぎ込んだ金額はゼロ円だ。全部立ち読み。


 畠山は涙を流した。

 そして、これからも一層、立ち読みに邁進して行こうと心に決め、『死んでも金なんて払うか』と誓ったのだ。払ったら負けを意味するのだ。



 どうして彼の尻にはそんなに人が集まるのか?


 ここにとある大学が彼の尻について研究した結果がある。


 部屋にチューリップ畑と尻を出した畠山を用意する。

 そこに一匹のモンシロチョウを放すとどうなるだろうか?


 なんと、モンシロチョウはチューリップ畑なんかには目もくれず、畠山の尻の上で穏やかに羽を休めたのである。

 


 そして、立ち読み師として名を轟かせる畠山に大きな転機が訪れる。


「戦場に行ってもらえないか?」


 突然のオファーに畠山は戸惑った。


 それは畠山の尻の魔力を嗅ぎつけた米軍からの依頼であった。


「あなたの立ち読みで戦争を解決して欲しい」


 畠山は迷うことなく、この依頼を承諾した。


「自分の尻で世界が平和になるなら、こんな尻、いくらでも世界に捧げます」


──手前ごときの尻の割れ目で、平和の鐘が鳴るのなら──


 新人の頃、そう歌を詠んでいたこの男はブレなかった。平和のためなら、たとえ己の命ですらも捧げる覚悟なのだ。ちなみに彼が漫画に捧げた金額はゼロ円だ。


 その後、突如、戦場のど真ん中にできた本屋で立ち読みしている畠山に誘き寄せられるように、友軍から敵軍までの兵士が彼の周りに集まってきて、次第に戦争は終結していった。


 その後、彼は世界中の戦場へと赴き、その戦争を終わらせて行くこととなる。


 とあるアフリカの講演に招かれた際、彼は世界にこう言った。


『一見尻は割れ目は右と左に離れている様に見える。けど、肛門に力を入れるだけで、二つはくっついてハートみたいな形になる。面白いね』


 あの『手前如きの尻の割れ目が──』と弱音を吐いていた男とは思えないほどの堂々とした演説であった。


 その後、彼は世界中を飛び回り、何百もの内戦を締結へ向かわせた。


 そして四十り歳の時に突然の病気により倒れ、亡くなり、この世を去ったのであった。

 さらに、驚くべきことは。

 彼が死んだ年齢の『四十り歳』の『四十り』を数字に当てはめると『4り』となり、なんという偶然だろうか『しり』と読めるのであった。





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