第5話 宣告

 ところ変わって、夜のバルリング伯爵邸。


 バルリング伯爵は、応接間で一人の髭を生やした軍人と相対していた。その名はドミニク・イェーリス将軍、エルザの父だ。


 バルリング伯爵は、情けない顔をして懇願していた。


「イェーリス将軍、どうか、我が領地だけは戦火に遭わないよう、戦場を選んでもらえれば」


 イェーリス将軍は首を横に振る。


「それは無理な相談だ。バルリング伯爵、なぜ私が娘をあなたに嫁がせようと思ったか、その意図は分かっているかね。オクトーレ公国連合が攻め込むならば、何の障害もなく平地が続くバルリング伯爵領を選ぶと踏んでいたからだ。それに、あなたはオクトーレ公国連合の公の一人に姉上が嫁いでいる。バルリング伯爵領の情報は筒抜けも同然、散々私が忠告したにもかかわらずろくに兵も置かず、防備にも金をかけなかった。襲ってくれとばかりに、呑気なことをしていた。オクトーレ公国連合は、それを見逃すほど愚鈍ではない」


 バルリング伯爵は慌てふためく。何もしてこなかった、それは確かなことだからだ。今更言い訳など通用しない、イェーリス将軍には。


「し、仕方ないではありませんか。まさかオクトーレ公国連合が攻め込んでくるなど夢にも思わず」

「すべての可能性を考え、最善の手を選び、勝利を掴む。言葉にすれば簡単だが、そのためにどれほどの努力を払い、虎視眈々と状況を見据え、情報を得るか。我々軍は多大な犠牲を払いつつも、国を守るために最善を希求している。そのことを、どうやらあなたは理解しておられなかったようだ。娘一人で抑止力を生み、このヴァルツ帝国を守れるなら、と私は親心を抑えて嫁がせようとしたにもかかわらず、あなたはその思いを無碍にした。これを、何というか知っているかね?」


 もはや、バルリング伯爵に向けるイェーリス将軍の言葉には、感情はこもっていない。冷徹に、知らせるべきは知らせた、これ以上の言葉は必要ない、とイェーリス将軍は立ち上がり、言葉を浴びせる。


「恩知らず、と言うのだ。今すぐに領地に戻り、領民を避難させたまえ。あなたにできることは、もうそのくらいしかないのだから」


 カツン、カツンと軍靴を響かせて、イェーリス将軍は振り返ることもなくバルリング伯爵邸をあとにした。


 結局、バルリング伯爵は領地に使いこそ出したが——自分は、領地へは戻らなかった。戦地へ赴く度胸も、領民を思う心も、何もない男が貴族としての誇りと責任を放り出したのだ、と後ろ指を差されるようになるのは、そう遠い未来の話ではない。

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