第7話 暑い夏
その日はとても暑かった。夕方だと言うのに日差しが強い。
部屋ではクーラーをかけているが、美代子の体調を思い、気温は高めに設定し、扇風機を使って部屋を涼しくしていた。
樹は仕事が休みで、家にいた美代子と折り紙を折って楽しんでいたが、急に美代子の機嫌が悪くなり、ブツブツと怒り出した。
「おばあちゃん、どうしたの?何を怒っているの?」
樹は声をかけ、肩に手を置こうとするが美代子はそれを振り払い怒り続けた。
その内、テーブルにあった物をなぎ払い始め、樹は戸惑いながらも美代子に声をかけ続ける。
美代子は急に立ち上がり、棚の上にある物を倒しながブツブツと呟き始めた。
「嫌なの・・・嫌なの!」
「何が嫌なの?僕、何かおばあちゃんが嫌がる事した?」
「違う・・・嫌なの!」
そう繰り返しては樹の手を振り払う。レイも足元で心配そうにウロウロと歩く。
ガツンッ
鈍い音と同時に樹のメガネが音を立てて落ちる。
「樹殿!」
レイのその声と樹の頭から流れる血に、美代子は我に返る。
そして体を震わせ、手に持っていた置物を落とし、今度は泣き始めた。
「おばあちゃん、僕は大丈夫だよ。ちょっと当たっただけ。頭は血が出やすいから気にしないで。ホラ、痛くも何ともないよ」
そう言って宥めるが、美代子は座り込んだまま泣き続けた。
レイは走ってタオルを取りに行くと、咥えてきたタオルを樹に渡す。
「樹殿、とにかく血を拭うんだ。美代子殿はそれを見て怯えてる」
レイの言葉に樹は頷き、額の血を拭う。なかなか止まらない血に、樹はもう一枚タオルを取ってきてとレイに頼む。レイは頷き、取りに向かう。
戻ってきたレイからタオルを取ると、頭に巻いて結ぶ。それから、顔についた血を拭って、そのタオルを背に隠す。
「おばあちゃん、ほら、もう血は止まったよ。僕は大丈夫だから泣かないで」
樹は美代子の涙を拭いながら声をかける。しばらくしてから落ち着いた美代子は眠りたいと呟いた。
樹は頷いて美代子を寝室へと連れていく。ベットに寝かせ、眠りに着くまで頭を撫でながら、大丈夫だよと何度も繰り返す。
その言葉に安心したのか、美代子は眠りについた。
樹はそれを確認すると居間に戻り電話をかける。レイは心配そうに樹を見上げるが、樹は思い詰めた顔で黙ったまま、携帯を握りしめていた。
「これで良し」
樹の頭に包帯を巻き終わった男は、安心させるかの様に優しく声をかける。
白衣を身にまとい、白髪の混ざった短髪の老人は近くの町医者だ。
病院の診療が終わるとこうして訪問医療もしている。
その日の夜も、樹が連絡した事で診療後に来てくれた。
「田中先生、ありがとうございます」
「いいんだよ。これが私の仕事だからね。良かったよ、傷が浅くて」
田中は治療後のガーゼなどを鞄に詰めていく。
そして、詰め終わってから、樹へと真剣な顔を向ける。
「樹くん、なるべく早く休みを取って、おばあちゃんを診せるんだ」
「・・・・・」
「私はおばあちゃんが認知症になった時に説明したはずだよ。突然進行が早くなる場合があると。おばあちゃんは恐らくだいぶステージが進んでいるはずだ」
「・・・わかってます。覚悟はしてました」
「樹くん、ステージが進んだ事によって介護もかなり厳しくなる。デイケアもヘルパーも難しくなってくる。今後の為にも専門のヘルパーがいる施設を探すべきだ」
「・・・・・」
「これから外も徘徊するかも知れない。昼間ならまだいいけど、夜に徘徊し始めたらどうする?君は探せない・・・その度に近隣に頼むのかい?」
「でも・・・僕は・・・僕が世話をしたい。先生、いいましたよね?認知症になると寿命は5年から10年だと。もっと長生きする人もいるけど、平均的にはそれくらいだと。だから、僕は残りの時間をこの家で一緒に過ごしたいんです」
樹は俯いたまま膝に置いた手を握りしめる。レイは樹の側に寄ると、樹の隣に座り、前足を樹の手にちょこんと置く。
「君の気持ちはわかる。君がこの町に来た時から、私が君を診てきたからね。君とおばあちゃんの絆もわかっている。だが・・・」
田中の話の途中で玄関の方から物音がしたのに気付き、樹は立ち上がり玄関へ向かう。玄関の扉は開かれたままだ。
レイは玄関を飛び出し後を追う。田中もその後を追う。樹も裸足のまま外へ飛び出し、暗闇の中叫ぶ。
「おばあちゃん!おばあちゃんどこ!?」
辿々しい足取りで歩きながら樹は叫び続けた。不意に何かに躓き派手に転ぶが、すぐに立ち上がり叫び続けた。
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