第2話 彼なりの仲直りと俺なりの再燃発起

 陽の家と俺の家のちょうど中間地点に位置する公園を、俺たちはいつも集合場所にしていた。


 持ち手がサビついたブランコや背の低い滑り台、その先にある小さい砂場。


 いつ更地にされてもおかしくない、誰も使っているのを見たことないくらいしょうもないところだ。


 前に陽に女子と仲良くなるための相談をしたのもこの場所である。


 集合するといつものように、陽は「おっす」、俺は軽く頷くだけで挨拶を交わし、二人してブランコに座る。


 いつもと違うのは二、三分ほど沈黙があったことだ。


「本当に、女になったんだな」


「ああ」


 先に切り出したのは陽だった。俺はガラガラな声で返事した。いや、正確には装った。


 こんな声をこいつに聞かれたくなかったから。


 陽は咳払いをして視線を落とした。


「悪いな、一週間も連絡しないで」


 彼が謝ることはない。俺だって連絡しなかったし、俺が彼の立場になったら一週間どころかずっと疎遠になる可能性だってある。決して気にすることはない。


 できれば声に出してそう言いたかった。


 陽は顔をこちらに向けて続ける。


「言い訳するわけじゃないけど、お前が女体化症ってやつになったって先生から聞いてさ。それで色々調べてたんだよ。その病気のこと」


 俺を軽く指差す陽に、俺はただうなずいた。


「それでさ。発症条件とか色々書いてあって。お前、モテたいってすげえ言ってたよな。昔から」


 バレた。


 そりゃそうだ。俺がこれまでどれだけ色々な相談に乗ってもらったか。


 でもそのおかげか、バレたというのに比較的平常心な自分に驚いた。


 そう思ったのも束の間である。


 陽は俺の反応を見ながら突然ニマッと笑い、


「お前さ、すげえおもれえな」


「は?」


 隠しきれない動揺で、生返事というには無理があるくらい声色が低くなった。こいつ今なんて言ったんだ?


「だってよ、女子にモテたすぎて女体化症になっちゃうなんて、すげえバカじゃん」


「……! こっちの気も知らないで」


 言って睨みつけたが、そんなことはお構いなしに陽はまくしたてる。


「案外良い身体してんじゃん。もうちょっとこっち来てよく見せてくれよ」


 そう言って陽は俺の華奢な腕を掴む。そのままゆっくりと俺の体を引き寄せようとしてきた。


 我慢できなくなった俺は、思わずヤツの股間を思いっきり蹴り上げた。


「ひぐうううぅぅぅぅぅぅ!?」


 陽は悶絶して勢いよく跳ね上がり、股間を抑えてその場にへたり込む。


 呼吸が荒くなりながらも、ヤツを見下ろしながら俺も負けじと怒鳴り散らした。


「俺も男『だった』からわかる。すげー痛いだろう! 悔しかったらやり返してみろよ! もう俺にソレはねえけどな!」


 そう言って親指を地面の方に立ててやった。


「……くくくくく!」


「ははははは……!」


 気づけばどうしてか俺たちは共に笑っていた。


 だが、笑いながら理解する。


 陽は俺が男だった時のようないつも通りを『演出』するつもりはハナからなかったのだ。あくまで彼は女になった俺を男友達として受け入れるつもりだった。


 まあ、その意思表示が今の外道すぎる態度だというのは最悪だ。こいつは本当に——。


「ありがとう」


 無意識に口が動いた。


「俺、正直言うとさ。日常なはずがない日常が嫌になって、喋ることすら放棄しようとしてたんだ」


 陽は何も言わないが、ただ俺の瞳を真っ直ぐに見据えて続きを促す。


「でも、お前と茶番をしてるうちに自然と声が出た。そんで笑ってる時、悩んでる自分も一緒に笑い飛ばしてた。勿論完全には払拭できてないけど」


 少し間が空いたが、彼への感謝が俺の背中を押した。


「だから陽。話を……聞いてくれるか」


 陽は待ってましたと言わんばかりに少し口角を上げ、大きく息を吸って相槌を打ってくれた。





 俺が知らされた限りの女体化症の詳細。陽は予想できていたが発症条件が性的興奮であるということ。発症前後で悩んでいたこと。一方でこの一週間陽はどう過ごしたか。クラスのみんなの反応はどうか。


 キコキコと錆びついたブランコを漕ぎながら、たった一週間だが積もりに積もった話をしていると、空はすっかり橙色に染まっていた。


 陽は肘を膝に立て、顔をその手で覆う。


「……それでお前はまだ、諦めないんだな?」


「自分でもマジでバカだと思うよ。でも、俺は自分に向き合いたい」


 俺がキメ顔でそう言うと、陽はやれやれと首を横に振っていつものため息をつく。


「なーにが向き合うだ。ただ性欲に従順なだけじゃねえか。人のこと女たらしとか散々言っといて。なあ、性欲モンスターさん」


 陽はまたため息をついてから、勢いをつけてブランコから飛び降りた。そしてこちらに向き直って、


「いいぜ。俺もたった今お前に勝機を見出した。その機会を本当にものにできるかはお前次第だけどな」


 夕日をバックに満面の笑顔を浮かべた陽はまさに救世主メシアかのように見えた。


「それで……? 俺はどうすればモテる……?」


 思わず固唾を呑む。すっかり陽の助言に興味津々で、自分でもさっきまで気分最悪だったのが嘘みたいだ。全く、性欲というのは恐ろしい。


 陽は誰もいない小さな公園だと言うのに、誰にも聞かれたくない感じで噂話をするかの如く話す。


「お前が女の子になってしまったのは確かに気の毒だ。でもそれをバネに変えるって言うのはどうだ?」


 言っている意味がまだわからない。


「……? つまり?」


 陽は一度俯き、すぐに顔を上げて真っ直ぐ俺の方に向く。


「前に言っただろ。女心を知れと。お前が女の子になった今、これからいろんなことを経験していく間に女心ってものがわかってくるかもしれないじゃないか。それに、同性とは話しやすいから男の時と比べて段違いに女子たちと仲良くなれるんじゃないか?」


 オイオイ、お前ってやつはほんとに……。


「天才かよ!!!!」


 自分でも驚くほどの甲高い俺の声が静寂に包まれた住宅街にこだました。超恥ずかしい。





「……というわけで前にも言ったけど、彼は女体化症と言う病気にかかってしまったんだ。普段と全く違う容姿をしているが、『彼』は紛れもなく横枕だ。大変な苦労があることはみなも察することができるだろう」


 朝礼にて俺の件について淡々と話を進める担任。彼はオサレな黒縁丸眼鏡をくいっと上げた。


 そして彼は教室の右側に固まっている女子集団の方に向いて微笑みかける。


「それに伴い、なかなか難しいかもしれないけど、女子のみんなには横枕に色々サポートをお願いしたい」


「はーーーーい!」

 女子集団が元気よく返事する。


 これも俺の人望か……。と言うわけではもちろんなく、単純にこの担任が美形で面倒見が良いために女子人気が高いからである。


 顔立ち良くて高身長、表情も豊かで生徒にも気を配れるとか逆にエグい性癖とか持ってるだろ。ていうか持っててくれ。そうでないと納得できない。


 そのあと少しの連絡事項を挟んで朝礼が終わると、担任は「例の件よろしくね☆」と女子集団にウインクをかまして去っていった。それに黄色い声をあげる女子生徒ら。


 すぐに一限目のチャイムが鳴った。


 女体化関係なく授業だりい……。寝とこうかな。


 いや、流石に復帰初日から睡眠学習はまずいぞ横枕実(よこまくらみのる)! 頑張れ! 今こそ気合を入れるんだ!


 俺は意を決して一限目に臨んだ。



 ……四限目の鐘が鳴った。いや、正確に言えば鳴ったらしい。


 いつものように両腕で枕をつくり机に突っ伏して涎を垂らしながら寝ていたが、揺さぶられて目を覚ました。


 最も問題なのは、気づけば女子たちに囲まれていることだ。


 どうやらそのうちの一人が俺を目覚めさせたようだ。我の眠りを妨げるとは……何用か。


「横枕くんったらかわいい〜! 前まではあんまり気づかなかったけど授業中めっちゃ寝るタイプじゃぁん! 寝息、かわいかったぞっ」


 女子Aがそう言うと、あはは、というよりキャハハと周りの女子たちも笑う。

 マジ? 俺寝息立ててた?


 驚愕の事実に頬を赤らめる俺など気にも留められず、女子たちが一斉に周りの机を動かし始める。


「こうやって机を重ねて……と。みんなで一緒に食べよ?」


 またある女子Bが親切にも食事に誘ってくれる。普段一匹狼を貫く孤高の存在であるワイも、そこまで積極的に迫られると一緒に食うほかあるまいて!


 陽先輩! あんたの言う通りだよ! これから薔薇の、いや、この際百合でもいいから青春ラブコメしてやるんだ!


 キモ笑いを浮かべながら、弁当箱の風呂敷を解く俺であった。


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