第20話 後日談

 もちろん和也だって、先の事は真剣に考えている。ただ、今はそれどころではない。そもそもこのやり取りは、注文や調理や片付けの合間にしている。満席になるような店ではないが、それなりに忙しいのである。

「オムライスお待ちどおさま。」

「すみません、コーヒーお願いします。」

「はい、お待ちください。」

「あのう、お替わりってできますか?」

「はい、できますよ。」

「なあ、和也。」

「後にしてください。あ、お会計ですね。」

「でもな?」

「ありがとうございました。まだしませんよ。」

「いや、そうじゃあなくて。」

「結婚どころじゃあないんですよ。」

 今はオヤジ連中にかまっている暇はない。少し尖った口調になったのは、そのせいだ。だからというわけではないだろうが、テーブルから下げてきた食器を手に、注文伝票に目を走らせながらカウンターの中に入ろうとすると、オヤジ連中が微妙な顔をしている上に、凪さんは軽く口を開けて気まずそうな視線を泳がせている。

「・・・なんすか?」

 その視線は和也を通り越しているようで、にわかに嫌な予感を感じながらゆっくり振り返ると、そこにはいつの間にかやって来ていた透子がいた。

 和也は思わず絶句した。

 このタイミングはまずい。とっさにそう思った。

 なぜ入口の鐘が鳴ったのに気づかなかったのだろう。人の出入りがあったから、それに紛れたのだろうか。

 透子は、凍り付いたような表情をしていた。でもすぐに笑った。無理やりの、明らかにわかるような作り笑いで。

「支度、してくるね。」

「あ、透子・・・」

 従業員用の小部屋に足早に向かう彼女に声をかけたけれど、彼女は振り返らなかった。

「間の悪い・・・」

「俺、そろそろレコードを交換する頃合いだって言おうとしただけだぞ。」

「・・・え?」

 ぼそりとしたオーナーの呟きに我に返ると、確かにレコードが終わりかけていた。オーナーのこだわりの一つが音楽だ。店のBGMは、有線でもCDでもない。だから、終わるたびに新しい盤に変えなければいけない。


 その日、透子は一見いつも通りにふるまっていた。けれど、和也にはどことなくぎこちなくて、いつもより早い時間に帰ってしまった。





「で、そのあと避けられてると。」

「そんな気がする。」

 久々に店に来た一樹は、閉店後も居座って事の顛末を聞き出し、呆れたように和也を見た。

 昼時の忙しい最中だったし、少し投げやりな言い方だった自覚はある。それに、言いたいことを色々省略してしまったから、あれだけを聞いたら、傷ついてもおかしくはない。

「メールとかじゃなくて、直接話せよ。」

「それが出来るならやってる。」

 一応その日のうちにメールで釈明はした。片づけをすっかり終えた後だから遅くはなってしまったが。でも返信はなくて、翌日からも仕事の合間に電話してみたりメールを送ったりしたが、電話には出ないし、メールには何回かに一回、簡単な返信があるだけだ。そして、この間の休日は、店に来なかった。

「お前さ、上条さんが絡むと不器用になるよな。」

「なんだよ、それ。」

「妙に遠慮してみたり、タイミングがおかしかったり。大抵の事はそつなくこなすくせに。」

「別にそんなことは・・・。」

 確かに彼女を前にすると、いつもの調子ではいられない感覚はある。自分でも呆れるほど言葉が足りなかったり、空回りしていたりして、彼女から戸惑いを感じることもある。

「別にそれが悪いってわけじゃないんだけどな。それだけ特別ってことだろ。ただな、伝わってなけりゃ意味ないんだよ。」

「どういう意味だよ。」

 そう、彼女は特別だ。だからこそ、適当なことはできない。いろいろと気をまわすし、時に一歩引くこともある。彼女もそれが分かっているから、大抵はゆったりと笑っているのだと思っている。

「お前、この先どうするつもりだ?何の為にこの店やることにしたんだよ。」

「そりゃあ、決まってるだろ。」

「俺は聞いてたから知ってるけどな、彼女はどうだ?そういう話、したことあるか?」

「それは・・・」

 それは時期尚早だ。ある程度条件が整ったら、そうしたら切り出すつもりでいた。彼女もきっとそのつもりでいると思っていた。

「言わなきゃ分からないこともあるぞ。大体、最初の目標は達成してるだろ。なのに話すらしないのは、避けてるからか?」

「そんなわけないだろ。目標を上げただけだ。」

「それ、相手に伝わってるか?上條さん、不安だったんじゃないか?」

「それは・・・いや、でも分かるだろ。」

「そうかな。お前の気持ちを彼女が知っていたら、こうなってないだろ。」

 知っていたら、信じられていたら、あの一言だけでは動じない。言われてみれば、そうかもしれない。もしかしたら、彼女には伝わっていなかったのだろうか。だとしたら、思っていたよりまずい事態かもしれない。

 また、すりぬけてしまう。掴んだと思ったのに、また、消えてしまう。

 思わず頭を抱えた和也を見て、一樹はため息をついた。

「世話の焼けるやつだな。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る