第16話
北山は常から人の訪れが少なく、まして糸桜の下まで来る人間は、まずいない。
遠子が心を寄せたあの公達が、人間同士の争いで遠方へ送られてから、
人間のすることは不可思議だ。
呪詛など、なかったのだ。
そう言い立てた者が、意図しての事か、本当にそう信じていたのかは分からぬが、呪が生まれたのは、むしろその後だ。発端となった悪意は、故なき罰を受けた者の怨嗟や無念を集め、幼い東宮と周りの者へと向かっている。
「そうか。・・・
空は高く澄んでいるが、都の空は相変わらず暗い霧が覆う。東宮の
山が鮮やかに色づき、紅に山吹と蘇芳の
君待つや 鳥ゆく空を 渡らはむ 雲の通い路 花をさしつつ
『魂が姿を変えて往く空を、渡って行きましょう。山吹を灯として掲げながら、煙となって貴方の元へゆく道を。貴方は、待っていてくださるでしょうか。』
最後には、そのような歌を詠んだという。哀れなことだ。
人間は儚く、寿命も短い。だから、このような日が来ることは分かっていた。しかし、友となれる人間は少なく、やはり寂しく思えた。
それから、いくつもの季節を、山の獣や仲間の精霊達と語り合いつつ過ごした。風が冷たさを増し、蘇芳から氷へと衣が変わる頃、薄く雪の降りた道に枯葉を踏みしめて、一人の法師が辿り来た。その法師に見覚えはなく、法師も初めて訪れるように、心許なげであったが、我の下まで来ると、感慨深げに見上げてきた。その法師に我は見えず、また、存在も知らぬ様子であったが、まるで何かと話すかのように語りかけてきた。
その法師は、あの公達の友であった。あの後、都を流行り病が襲い、幼かった東宮も、右大臣家の主だった者達も、あっけなく失せていった。今はもう、都を覆っていた暗雲は晴れている。欲に捕らわれて悪意を撒き、自らの首を絞めるとは、人間とはまことに、不可思議なことをする。病を鎮める為に、呪詛事件で罰を受けた者は赦されたらしいが、あの公達は流された地で病みがちになり、そのまま絶えてしまった。初めの頃は、様々に恨み言も漏らしていたようであるが、最後はただ、一人のことのみを思っていたという。
うき身世に 露と消ゆとも 見し人を 思ひ思はむ 後の世にこそ
『辛いこの身があっけなくこの世を去ったとしても、妻と思い定めた人を思い続けよう。来世では添い遂げたいものだ。』
遠子の思いは、あの公達に届いていたのであろうか。そのような術は、なかったやも知れぬ。
この法師は、友に合わせる顔がないと、会いに行くことはなかったものの、誰からと分からぬように、必要な物を送っていたらしいが、全てが終わった後に出家し、二人を弔い来世の
来世など、必ずあるとは、限らぬものを。二人が必ず会えるとも、限らぬものを。
あの公達も、遠子も、この法師も、それぞれに哀れなことだ。
降りかかる雪に、鳥も獣も身を潜め、時が静かに流れる中、瞼を閉じて、遠子のことを思い出す。あれは、もっと長く生きるものだと思っていた。誰ぞと契りを結び、子を成して、その子らをここで遊ばせることもあるかと思っていた。そのような遠子を見てみたかった。樹霊の身で、出来ることもありはせぬが、あの法師と共に、我も願ってみよう。二人に次の世があるのなら、次こそは、何に縛られることなく、思いを遂げられるようにと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます