第8話

「おい、顕孝あきたか。聞いておるか?」  

「・・・・ああ。」

 遊びに来ていた敦隆あつたかの話に、生返事をしていると、呆れたような声が返ってきた。

「聞いておらぬではないか。張り合いがないなあ。」

「そもそも何をしに来たのだ、敦隆あつたか。」

 特に用があったわけでもなく、他愛ない話をしに、少し寄ってみただけのはずだ。

「何とつれないことを言うのだろう。唯一無二の友ではないか。」

「唯一ではない。人を偏屈な者のように言うな。」

 宮仕えを始めた時、敦隆とは衛門府えもんふで共に務めた。敦隆あつたかは、父と政治的に対立している右大臣の子だが、自分とは気が合うので良く行き来をするようになった。今は兵衛府ひょうえふ蔵人所くろうどどころに分かれたが、日々のことや、他人には話せない家族の愚痴、時には文を交わしている女のことなど、話をしに来る。妾腹の敦隆あつたかには、右大臣邸は居心地の良い場所ではなく、北の方所生の兄とも、折り合いはあまり良くないらしい。

「何を言っても、ああ、としか返さぬ。上の空で、何に気を取られているのだ。まるで、恋わびているようではないか。」

 ぶつぶつと文句を言いながら、自分の言葉にハッとしたように顔を上げる。

「もしや、そうなのか?先日の糸桜か?」

「そういうことではない。」

「珍しいことではないか、顕孝あきたかが恋煩うとは。左兵衛佐さひょうえのすけになびかぬとは、どのような女だ?」

「だから、そうではないと。」

 糸桜の女のことは、ずっと心に懸かっている。もう一度逢いたい、もう一度声を聴きたい。その思いは、日を経るにつれ、強まるばかりだ。今までに文を交わした相手とは異なる、経験のないこの感情が何であるのか、自分でもよく分からずにいた。

「いずれの家の者であろうな。僅かな伴で北山を歩くのだから、高貴な家の姫ではあるまい。尼君のお知り合いか?」

「いや。」

 自分もそう思ったから尋ねてみたのだが、大叔母の反応は芳しいものではなかった。

『あの糸桜を愛でていた女人ですと?まあ、顕孝あきたか殿。その女人とは、関わらぬ方が良いでしょう。隠部の者やもしれませぬ故。』

「隠部?何だそれは?」

「分からぬ。尼君に聞いても、知らなかったのなら忘れるように、と言われた。」

「気になるではないか。」

「ああ。気になっている。」

「白状したな。」

 敦隆あつたかが嬉しそうに笑うのが、些か気に障る。

「また、北山を訪れてみてはどうだ?」

「もう、花は散っておろう。」

「しかし、その女人は尼君のことを知っていたのだろう?近くに滞在していると話していたのなら、その辺りでまた会うやも知れんぞ。」


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