第7話

 ゆっくりと瞬きをする。カーテン越しにうっすらと室内を浮かび上がらせる光が、朝だと告げている。

 何か、胸に迫るような、何とも言えない余韻が残っている。

 重怠い体を無理やり起こし、よろけるように洗面所に向かった。顔を洗って、バイトに行かなければならない。

「え・・・?」

 鏡を見て、自分が泣いていることに気付いた。

「なん・・・で?」

 夢のせいだろうか。何の夢だっただろうか。何かを掴み損ねたような、もう一度探しに戻りたいような、奇妙な焦りの感覚しか、今はもうないけれど。

 その日は、ミス連発で散々だった。

「和也。お前、今日はホント変だぞ。なんかあったか?」

 普段あまり怒らない先輩には怒りを通り越して呆れられ、終いには具合でも悪いのかと心配された。

「あ、いや、なんか、ほんと、すんません。」

「あれか?例の件。」

「え・・・ああ、いや。」

 東京に来てから、いくつもバイトをしてきたが、音楽が本業のつもりでいたから、正式に就職したことはない。今もいくつか掛け持ちしていて、その中に、変わったオーナーの店があった。道楽でやっているとしか思えないその店は、採算をあまり気にしていないようでいて、コアな常連がいるせいか、不思議と安定した収入を維持できている。

『お前さ、バンドまだ続けるのか?』

 澱のように溜まっていく不安と焦り。そして錆びついた情熱。そんなものを見透かされたのは、オーナーも昔、同じ経験をしたからだ。

『夢は、捨てたくないよな。いつかは届くかもしれないって思うと、抜け出せなくなるんだ。けどな、好きだったものが、しんどいものになっちまってるなら、一度、そこから離れた方がいいんだよ。』

 かつて同じ道を通ったオーナーの言葉はストンと胸に収まって、無駄に力んだ肩の力が抜けていくような気がした。

「悩んでんのか?止めるか、続けるか。」

 なんだかんだと愚痴を聞いてもらっていた先輩には、そのことも全部話していた。

「・・・それは、ほぼ、というか、もう、決めました。」

「そうか。」

「完全に嫌なもんにはしたくないんで。」

「・・・そうか。」

 一度離れることで、また気力が戻ることもある。少なくとも、好きなものは手放さずに済むぞ。というオーナーの言葉は、妙に納得できるものがあった。

「じゃあ、どうした?」

 そう、今日の不調は、それが原因ではない。朝から何だか妙に気が散るのだ。

「ああっと、そのう・・・」

 自分でもよく分からない理由はうまく説明が出来ない。まして、なんか夢を見たせいかも、なんてどうして言えるだろう。

「もしかして、あれか?」

 先輩が、ひどく真剣な顔をした。

恋煩こいわずらいか?」

「・・・・・・・・・はえ?」

 自分でも素っ頓狂だと思う声が出たが、間が開いたことで、先輩は勘違いをしてしまったらしい。

「そうか!そうなのか?!」

「いやいやいやいや、何でそうなるんすか。」

 やけに食いつきの良い先輩の勘違いを慌てて否定し、何とか落ち着いてもらう。

 全く今日は、なんて日だ。

 ぐったり疲れて、ベッドに転がり込む頃には、夢を見て泣いたことなどすっかり忘れてしまっていた。



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