第4話

 呼び出し音を聞きながら、何を話したものか、と今更ながら考える。思い出話なんて年寄りくさいし、共通の話題も当然ない。近況報告という程のものもない。取りとめもなく思考が漂ううちに呼び出し音が切れ、少し割れた声が聞こえてきた。

『もしもし』

 記憶にある、そのままの声だった。その途端、僅かにあった戸惑いは霧のように消え、時間の隔たりが急速に縮んでいくように感じた。

「・・・よう、久しぶり。・・・夕方、電話くれたろ?」

『・・・和也か。』

「おう。」

『今、東京か?』

「ああ。」

『・・・久しぶりに、飲まないか?』

 微妙な声音だと思った。電話を通しているからではなく、あいつらしくない、静か過ぎる声だ。


 待ち合わせ場所には、ボンヤリとした目を所在無げに漂わせている奴がいた。スーツを着て、ある程度身なりを整えているせいか、見知った姿とは少し違うように見えた。最後に会ったのはまだ学生の頃だ。暫く会わなかった間に、向こうも社会人になっている。変わっていて当たり前だ。

 けれど、格好だけではなく、雰囲気も少し変わったように見える。視線が遠くを彷徨い、力がない。こんな目をする奴では、なかったはずだ。

「・・・一樹?」

 ためらいながら掛けた言葉にゆっくり振り向き、こちらを確認すると顔を緩めて笑った。それは、記憶の中の、見覚えのある顔そのままだった。相変わらず力のない、濁りのある目を除いては。

 一旦言葉を交わした後は、暫く会っていなかったのが嘘のようにすんなり馴染んで、適当な話題で酒を流しこんだ。時々腹を抱えて笑ったりもしたが、高校の頃に隠れて飲んでいたときや、二人とも東京に出てきたばかりで張り切っていた頃に比べると、随分と大人しい飲みだ。落ち着いた、といえば聞こえはいいが、ただ単に気力が萎えているのだと思う。

 店を出て時計を見ると、まだ少し早い時間だった。

「よし、夜桜見物でも行くかあ。」

 アルコールのおかげで多少陽気になっている一樹が、いい思い付きとばかりに提案する。

「ほとんど咲いてねえだろ。」

「ちっとぐらい開いてるだろ。」

 言いながらも足は既に動いている。まあ、いいか。どうせ今夜は暇だ。


 通りは、仕事帰りの仏頂面と、ほろ酔い加減で上機嫌に騒いでいる人間が入り混じっている。夜はまだ冷えるが、酒の入って温まった体には、心地よい。ぶらぶらと歩きながらガード下まで来たとき、ギターの音が聞こえてきた。

 ある一角を囲むように人だかりが出来ている。無名のミュージシャンが、時々こうやって人の集まるところで存在をアピールする。姿は僅かに垣間見える程度で年は良く分からないが、よく通る声だ。一歩間違うとただの騒音にしかならない、ささやかなライブ。聞いたことのないメロディは、自作の歌か。確かなメッセージを込めた張りのある声。安定した音程。染み込むように感覚に馴染んでいく旋律。立ち止まる人影が次第に増え、じっと耳を澄ませている。これならば、きっと芽が出るだろう。

「いい声だな。」

 同じ感想を持ったのか、一樹が呟く。

「・・・一時、俺も片足突っ込んでたな。お前に引っ張り込まれて。」

 そういえば、そんなこともあったか。バンドに憧れる時期は、大なり小なり誰にでもある。活動を始めたばかりの頃、手近な知り合いを手当たり次第引っ張り込んだ。大抵は、他にもっと気が向いていることがあって止めていったが。

「割とすぐに止めたよな、お前。」

「俺にはちょっと、向いてなかったな、バンドは・・・。自慢じゃないが俺は音痴だ。」

「・・・自慢になんねえよ。」

 思わず苦笑いをする。確かにこいつはあまり音感が良い方ではなかった。引っ張り込んでおいて何だが、早々に見切りをつけて止めていったのは、賢い選択だったと思う。

「お前はまだ、続けているんだな。」

「・・・ああ、・・・まあ、な。」

 何気ない一言に、曖昧な返事を返すことしか出来なかった。

 なまじ感覚が良かっただけに、限界を知らない頃は夢を見た。出来ると信じた。仲間内だけの小さな世界では、不可能だとは思わなかった。

 けれど今は、可能だとは思えない。他に道も無かったが、続けていく情熱は、もう残っていない。ここいらが、引き時なのだろう。

 桜はやっぱり、良くて一分咲きだった。

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