本屋の魔女の樹莉子さん

井田いづ

第1話

 やたらめったらと古びた本屋の店主、樹莉子きりこさんは魔女だ。


 その本屋はいつもやっているわけではない。

 半年くらい閉まっているから閉店したのかと思えば、ある時になって平然と開店したり。それでも閉まっている日のほうがうんと多いのだから、あれでやっていけてると言うのが不思議だ。ここを訪れる人影も、僕くらいのものだ。

 僕も樹莉子さんの店には潰れてほしくないから、開いている日には頑張ってそこで本を買うようにしているけれど、そんなのも所詮は焼け石に水だろう──おは思うのだが、不思議なことにこの店は潰れないらしい。

 人は樹莉子さんが実は大金持ちのお嬢様で、売れなくてもやっていけるんだと言っているけれど、僕は違うと思うのだ。


(樹莉子さんは魔女だから、錬金術とか、なんとか、多分そう言う方面の何かでどうにかしてるんじゃないかな)


 前に樹莉子さんの店で買った本に、そんな本があった。

 本はちゃんと流行りのものも、そうじゃないものも入荷されている。読んだことのない本は日々増えて、読みたい本も、不思議な本も日々増えるから、僕は来るたびにどれから読むかに頭を悩ませるのだ。


(魔女の本屋だ、魔法書が紛れててもおかしくない。せっかく読むなら、ホンモノの魔法書がいいな)


 学校帰り。背中の荷物を背負い直して、足早に樹莉子さんの店にむかう。今日はやっているかな、なんて淡い期待で店の前にやって来て──ビンゴ! 木製の縦に長い扉の、緑青色のドアノブには「OPEN」の看板が掛けられていた。窓の磨りガラス越しに灯り見える。


 本屋の(正確に言えば、キリコ書店の)立て付けの悪い扉を開ければ、インクと、少しだけ時を経た紙の匂いが鼻先を擽った。心臓をぎゅっと鷲掴みにされるような気持ちになって、左右に立ちはだかる中身ギッシリな本棚を見上げる。凡そ規則性もなく詰め込まれた本たちは実に魅力的にこちらを見下ろしている。狭い書店の一番奥──多様な色合いの本に埋もれるようにして、魔女はそこに存在する。


 魔女は大抵、本を読んでいる。

 レジ奥に座って、すっと背筋を伸ばして、考えごとでもするように口元には手を添えて、黒い瞳は常に手元の本に向けて。吊り目気味の瞳を縁取る柔らかな睫毛はいつも目元に影を落とし、色素の薄い唇は常に面白くなさそうに結ばれて、ひとつに纏めて背中に流した黒髪はいつ見ても艶やかだ。彼女、立てば背も高く、見下ろされる形になる。

 ……本で見る誰よりも美人だと思う。僕が知る中で一番の、ダントツの美人だ。美人の魔女、つまりこの前何かで聞き齧った美魔女ってやつかもしれない。


(樹莉子さんは魅了の魔法も使えるに違いない。昨日読んだ本に魅了の魔法が出てきたから、きっとそれだ)



 彼女は「樹莉子さん」という名前で知れ渡っているけれど、結局のところ、誰も彼女の本名は知らないのだ。何歳で、彼氏がいるかとか、本当の仕事はなんなのか、お嬢様なのか、なんのかとか。僕だって知りたいのに、聞こえてくる噂は結局のトコロ噂話の域を過ぎないものばかり。


 そうっと入ったつもりなのに、扉が風に吹かれて、思ったよりも強く閉めてしまった。大きな音、ヤバ、と溢れた声に、ようやく樹莉子さんが意識を向けてくれた。

「いらっしゃいませ。読みたいだけなら、ご自由にどうぞ」

本から上げられた視線が、こちらに留まった。視線がかちあうと、胸がどきりと跳ね上がる。途端に息が苦しくなる。


(なんだっけ、前に読んだ本にもこういう魔法あったよな。人に苦しみを与える系の──それを客に放つのは、どうかと思うけど!)


僕はなんとか息を整えて、「こんにちは」となんでもない風に挨拶をした。

「あら、誰かと思えば、子どもか。いらっしゃい。もう前のは読んでしまったの?」

「はい。ちなみに、僕は言うほど子どもでもありません」

「そう言う子は子どもね」

にこりともせず、また視線は本に戻る。あとはお好きにどうぞ、の合図だ。


 不名誉なことに、ここでの僕の名前は「子ども」だ。年齢の割に小柄なこと、あとは僕の性格が子どもっぽいというので彼女は僕を「子ども」と呼ぶ。僕はいつもの如く本棚に向かう──なんてことはなく、真っ直ぐに樹莉子さんの近くに寄った。

「あら、どうしたの」

「僕、やっと卒業なんです」

「そうなの。オメデト」

「卒業のプレゼントくれませんか」

「図々しいわね」

「人間、図々しいくらいが良いかなって」

「場合によるけどね」


 樹莉子さんは溜息と栞を挟み込むと、手元の本をそっと閉じた。黒い目が僕を見上げる。

「何かあるの、欲しいもの」

「え、マジでくれるんですか?」

「まあ、あげられるものなら」

「じゃあ、じゃあ、えーっと」

言い出しておいて、咄嗟には浮かばない。どうしようもない僕の脳みそにぐぬぬと唸り声を上げる。ゲーム機や玩具なんて頼む間柄ではないし、手作りの何かを頼みたくても、面倒をかけたくはないからそれもダメ。餅は餅屋、本は本屋で、本を頼むのもいいけど、そうじゃない気がする。僕が欲しいのは、知識。


 樹莉子さんはもう一度溜息を重ねた。

「そうね、お得意さんだもの。図書券でもあげるわ。もしくは好きな本を何冊か? あなた読書家だもんねぇ、こんな店に足繁く通うくらいだし」

僕はふと、思いつく。欲しい知識を得られる立場、それを卒業の贈り物にして貰えばいいんだ! もちろん、本は魅力的だけど、そこはお小遣いを頑張って貯める方向で対応したい。


「何が欲しい?」

「僕を、樹莉子さんの一番弟子にしてくれませんか」

「……は?」

眉間に皺が寄ってもなお、美しいのだから、やはり僕は魅了の魔法にでもかかっているのだろう。


 僕はレジカウンター──と言ってもただの長机に電卓と鍵付き引き出しの載っただけの代物──に手をついて、身を乗り出した。背中で真っ赤な学校カバンと、修学旅行で買った強そうなキーホルダーがぶつかってがちゃんがちゃんと音を立てる。

「一番弟子になりたいんです。……も、もしかして既に弟子が……?」

「なによ、弟子って。いないわよ。……アルバイトのこと? にしたって、あなたじゃアルバイトにはまだ早いでしょう」

「アルバイトじゃなくて!」

僕はそこでそっと声を落とした。


(魔女ってこと、秘密にしたいかもしれないし。魔女が人に不当に恐れられるって話もあったよね)


「僕、魔女の弟子になりたくて」

樹莉子さんが目を瞬かせた。

「魔女」

「樹莉子さん、魔女なんですよね」

「あー、あー、なるほどね。理解したわ」

樹莉子さんは鼻で笑った。

「そういや、そんな渾名がついていたのを忘れてたわ。なぁに、子どもは魔女の弟子になりたいの?」

「はい!」

「なんで?」

「僕も魔法を使いたいから」

「どんな魔法がいいの」

「えっと……それは」

「まぁいいわ。でも教えられる魔法があるかしらね……」

「それに、その、魔法以外にも知りたいんです、樹莉子さんのこと。魔女の弟子なら、色々知れるかなって」

「ふぅん?」

揶揄うような色を帯びた声に、僕はついついムキになる。

「だって僕、樹莉子さんのこと、僕なんにも知らないじゃないですか。樹莉子さんは僕のこと、結構知ってるのに。まほうがあったって、これは不公平です」

「だってそりゃ、子どもが無防備だからじゃない。学校名もあなたがウチに忘れたプリントから知ったんだし、デカデカと名前の入った体操服できたこともあったし、聞いてもないのに給食の何が美味しくて何が不味いかとかまでべらべら話すんだもの。きっと私でなくたって知ってるわよ」


(なんてひどい言い草だ!)


 僕は唇を尖らせた。きっと調査魔法とか、鑑定魔法とかを使ったんだろうと思ってるのに、まるで僕がマヌケのように言うのだから、樹莉子さんもひどい人だ。

 樹莉子さんは小さく考える素振りを見せてから

「ま、いいわよ」

と肩をすくめた。

「弟子にしてあげる」

「え、本当に!」

「面白そうだしね」

「やった!」

僕は嬉しくって飛び跳ねそうになった。なんなら、「この店にあるモンぜ〜んぶ持ってこい! 残らず買うぞ!」なんて口走りそうにもなった。


 魔女の店の客はほとんどいなくて、弟子もいない。ということは僕が一番樹莉子さんの近いところにいる……なんてこともありえるのだ! 僕も魅了の魔法とか、とにかくすごい魔法を使えるようになって……悪者(とにかくよくわからないけど悪い奴)から樹莉子さんを守って、なんかこういい感じに…………。


 緩む口元を手で隠してから、僕は本棚に目を向けた。

 弟子入り記念だ、ということで僕は散々迷ってから、迷った中で一番高い本──無論僕でも買える範囲のものではあるけど──をとってきて、レジに置く。世界魔術大全、なんて感じの本。

「あら、今日はこれ? 朝読書には向かないわねえ」

「弟子入り記念です」

樹莉子さんはふうん、と呟くと、近くの棚に手を伸ばした。それからキッチリ一冊分だけ会計を済ませる。

「弟子になったからには、あなた、沢山本を読みなさい。それがまず第一の課題よ。魔法は知識から出てくるものだから。ついでにウチの稼ぎにもなるし」

そう言いながらも、樹莉子さんは「これは私の奢りよ」ともう一冊、僕が目移りしていた本を包んでくれた。魔女──もう師匠と呼ぶべきか、師匠からの助言はありがたく聞く。

「はい、師匠! 僕も早く一人前になりたいので」

「変な子。師匠は師匠らしく魔法の準備でもしようかしらね」


 言いながら、樹莉子さんは僕の背中をそっと押して出口の方に送り出した。

「また明日来ます!」

「仕方ないから、開けとくわ」

「早速魔法を教えてもらえるんですか⁈」

「まずは勉強から。あなた、あまりに純粋すぎるもの。流石に見てられないわ」

「……純粋だと悪いんですか?」

「ええ。だって、それを知った悪い魔女が、それに漬け込んで魔法をかけてしまうから」

悪戯っぽく微笑まれて、僕の心臓はぎゅううっと掴まれた。悪い魔女、かは知らない。けれど時既に遅しなのは確かだ。

 とうの前から、僕は樹莉子さんの魔法にかけられているんだから。僕も樹莉子さんに、いつか同じ魔法をかけられる日が、来るといいんだけど。


(了)

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本屋の魔女の樹莉子さん 井田いづ @Idacksoy

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