第9話 新たな世界へ⑨
新たな世界へ⑨
今日はチーがお家トレーニングに行く日。昨日までチーはメグとお家トレーニングについて太郎から聞いた話をもとにワクワクドキドキしていた。
人間の住む普通の家ってどんな感じなんだろう?2匹がいたのは山の中の簡単な小屋。夏暑く、冬は凍えるほど寒い。しかし太郎に聞くと太郎が家族と住む家は小屋のような粗末なものではなく夏は涼しく冬は暖かいという。
フカフカの清潔な寝床は自分専用。家族に褒められるようなことをするとご飯だけでなくオヤツというご飯より美味しいモノがもらえるらしい。それもたくさんの種類があるそうな。太郎の話を聞いて2匹は期待に胸を膨らませていた。
ところが今朝になってメグの様子がおかしい。ケホケホと咳をして苦しそうに寝ころがり、体を起こすことすらできないようだ。チーが呼びかけても小さな声で大丈夫というだけ。チーは心配になって大声で助けを呼んだ。
「誰か来て!苦しんでるの、おばさんを助けて!」
小さな体で目一杯吠える。だが人間たちは朝のミーティングとかで事務所に集まっており、誰も気づかない。チーは泣きそうにになりながら一生懸命吠え続けた。もう声が枯れて出ない。クーンクーンと泣いていた。
人間たちの集まる事務所のミーティングに太郎も参加していた。
ん?なんか声がする。太郎は耳を澄ませた。人間の声が邪魔するものの耳をそば立てるとチーの言葉が聞こえた。
「助けて!助けて!」
その声は次第に小さくなっていく。
太郎は急いで立ち上がると傍にいた若い男のシャツをくわえて事務所を飛び出した。
「おい、待てって!」
若い男は転びそうになりながらも太郎と一緒に事務所から駆け出した。
事務所に残った人間たちはいつもはお利口な太郎が珍しくイタズラをしていると思い、微笑ましく見ていた。
クーンクーンと悲しげに泣くチーのケージの前に太郎は駆けつけた。
「おい!どうした?」
「おばさんが、メグおばさんが…」
太郎はメグのケージをのぞき込むと若い男の方を振り返り、激しく吠えた。
「早く!メグがおかしいよ!死んじゃうよ!」
ようやく後から追いついてきた若い男は太郎の剣幕にただならぬものを感じ、メグのケージをのぞきこんだ。
「どうしたメグ!?今、先生呼んでくるから頑張れよ。」
太郎にうなずいた若い男は事務所に駆け込み、施設に併設する動物病院の女医の手を引っ張って来た。女医はメグを見るなりケージを開けた。
「アカン、診察室連れて来て。あたしは先に行って準備しとく。」
若い男にメグを抱っこさせ、自分は先に病院へと走って行った。
クーンクーンと鼻を鳴らして不安げに様子を見守るチー。太郎は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「今は先生に任せよう。大丈夫だって。昨日まであんなに元気だったんだから。」
「おばさんになんかあったらどうしよう。アタシ、心配でお家トレーニングなんか行けない。」
うなだれて涙をこぼすチーに太郎は怒った。
「バカ!メグはすぐ元気になるよ。もしメグのことが心配でチーがお家トレーニングやめたら、元気になって帰ってきたメグは悲しいよ。メグはチーの土産話を楽しみにしてたんだろ。だから絶対行け!」
「なによ、アタシ達みたいな目に遭ったことないアンタなんかにアタシの気持ちが分かるわけないじゃない。勝手なこと言わないでよ!」
上目遣いで自分を睨みつけるチーを見て太郎は悲しそうな顔をした。
「俺、もとはお前らとおんなじ。お家トレーニングも行ったし、里親候補の家にトライアルも行ったけどうまくいかなくて行き場がなかったんだ。そんな俺を見かねてウチのお父さんが引き取って家族にしてくれたんだ。」
「え?そうなの?」
「後から来た奴がどんどん里親の家に引き取られて行って、時々里親家族と遊びに来るんだよ。みんな幸せそうだった。」
太郎はその時のことを思い出したのかしばらく俯いたまま黙ってしまった。そして声を震わせて話し始めた。
「うらやましかったよ。悲しかった。なんで俺には家族ができないんだって。だからお父さんが「今日からお前はウチの子だよ。」って抱きしめてくれた時は、俺一生この人について行くって思った。」
「アンタ、今幸せ?」
チーは唸ることをやめ、静かに太郎に問いかけた。太郎は泣きそうな顔を目いっぱい綻ばせた。
「うん。だからチーにも新しい家族に迎えてもらって幸せになって欲しいと思う。」
一片の曇りのない真っ直ぐな太郎の視線を受け、チーもうなずいた。
「わかった。アタシ、お家トレーニング行く。アタシも幸せになる。」
太郎は大きくワン!と鳴くとブルンブルンとフサフサの大きな尻尾を振って応援してくれた。「チー、頑張ってこい!」
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