第27話 3人の姉と1人の兄


 すっかり暗くなった空の下、昨日よりは軽い足取りで家に帰ると、玄関に真昼姉ちゃんのブーツと夕凪姉ちゃんのローファーの隣りに見慣れない黒いスニーカーが並べられているのを見ながら後ろ手に鍵を掛けた。



「ただいまー」



 声を掛けながらリビングのドアを開けると、ソファーに座って談笑していた真昼姉ちゃんと夕凪姉ちゃんと目が合った。こっちに背を向けていた長い黒髪には見覚えしかなくて、パッと駆け寄った。



「朝日姉ちゃん!」


「聖夜、おかえり! また大きくなったか?」



 振り返ってひまわりのように大きく笑った朝日姉ちゃん。結婚して家を出てからもたまに顔を出してくれるけど、大体連絡なしに帰ってくるからびっくりさせられることの方が多い。



「朝日姉ちゃん、今日は達哉兄ちゃんは?」


「仕事終わったら来てくれるよ」


「そっか」


「ん? なんか今日はあんまり嬉しそうじゃないね」



 いつもなら達哉兄ちゃん、つまり朝日姉ちゃんの旦那さんが来てくれる日は嬉しくて飛び跳ねる勢いで喜ぶけど、今日はそういうわけにもいかない。ちょっとだけ、何で今日なんだろうとか思ってしまった。反省。



「今日の夜、電話する約束してて。あんまりお話できないかもと思って」


「電話? 星ちゃんたちと? それとも最近仲良くしてる人たち?」


「えっと、最近仲良くしてる人たち」



 夕凪姉ちゃんがあまりにも目を輝かせながら聞いてくるから、恥ずかしくなって声が小さくなってしまう。まだ胸を張って恋人ですとは言えなくて、心配をかけさせるかもしれないとは思いながらもなんとなく誤魔化した。



「そっか、聖夜にもまた大事な人が増えたんだな。おめでとう」


「うん。ありがとう」



 普段は姉弟の仲で1番豪快で奔放な人だけど、父さんに代わって家を明るく支えてきただけあってその笑顔1つで家中が温かく照らされる。



「あ、お夕飯作るね。5人分で良いの?」


「うん。あ、材料は朝日姉ちゃんが買ってきてくれたのがあるからそれ使って」


「分かった」



 リュックをソファーに置いたままキッチンで手を洗って冷蔵庫を開く。昨日はなかった材料たちを見つけると、何がしたいかの察しはついた。ソファーにいた姉ちゃんたちもコップを持って対面キッチンのすぐ向かいのダイニングテーブルの方に移動してきた。キッチンで手を洗った人から小皿に水を淹れたりお盆を出したりと動いてくれる。その間にボクはキャベツとニラを刻んだ。



「聖夜、これも刻んでおいてもらっていい?」



 ボクからキャベツとニラが入ったボールを受け取った朝日姉ちゃんに手渡されたのは、母方の祖母が毎年つけてくれる超すっぱい梅干しやらチーズやら5種類の食材。中には赤々とした太った唐辛子みたいなのもあってぞっとする。



「いいけど、なんかパワーアップしてない?」


「そう? まあ、よろしくね」



 鼻歌を歌いながらキッチンを出ていった朝日姉ちゃんの行く先、テーブルの上には七味唐辛子やコショウ、チョコレートにマシュマロと、ありえない食材がズラリと並んでいる。ピーナッツとか納豆はまだマシな方だ。


 向こうで野菜と肉が混ざりきったころにボクの方も切り終わって持っていくと、姉ちゃんたちはそれぞれ大判サイズの餃子の皮の袋をバッと開けた。



「よし。やるぞ」


「楽しみね」


「朝日姉ちゃんのためにスペシャルなの作ってあげる」


「臨むところだ」



 それぞれゲテモノ餃子を作り始めた姉さんたちに混ざって、ボクは普通においしいものだけを黙々と作り始める。箸休めがないと冗談ではなく死にかけるから。


 夕凪姉ちゃんがやけに闘志を燃やしているのも、前に朝日姉ちゃんが作った『青汁の粉と漬け梅の健康スペシャル』に当たってしまったせいだ。年に1回くらい開催されるこの『ゲテモノロシアン餃子パーティー』とは戦いの場でもあるのだ。



「それにしても、どうして朝日姉ちゃんがいるの? 普段は休日に来ることが多いのに」


「ん? ただの気分だな」



 あっさりと返ってきた返事はあまり納得のいく答えではなかったけど、朝日姉ちゃんらしい解答だった。



「なんだ? 平日にあたしがいると不満か?」


「違うよ。嬉しいけど、ちょっと不思議だっただけ」


「そうか。嬉しいかぁ!」



 ちょうど1つ包み終わった朝日姉ちゃんの粉とゲテモノの残骸まみれの手が頭に伸びてきたのを避けてソファーの近くまで逃げ込んだ。



「朝日姉ちゃんも聖夜も。手が汚れてるときに暴れないで」



 真昼姉ちゃんに注意されて戻ると、朝日姉ちゃんもシュンとして元いた場所に戻った。



「ごめん、未だに反抗期が来ない聖夜が可愛くてつい」


「ちょ、それ本人の前で言う? ていうか、反抗期が来ればいいもんでもないでしょ」



 恥ずかしくなって慌てると、姉ちゃんたちは揃いも揃って温かい目を向けてくる。



「なんだよう」


「いやあ、あたしたちは多かれ少なかれ荒れたからね。可愛い弟が可愛くて仕方ないのよ」



 しみじみと言う朝日姉ちゃんに真昼姉ちゃんと夕凪姉ちゃんも頷いた。何とも居たたまれない気分になって早く次の餃子に取り掛かることにしたけど、温かい視線が3方向から注がれているのを感じてこそばゆい。


 大事に大事に育てられてきた自覚はある。だけどこればっかりは恥ずかしい。お父さんは年末年始くらいしか日本に帰って来ないし、お母さんも仕事で家にいないことが多かったから、ボクの遊び相手になってくれたり世話をしてくれたのはほとんど姉ちゃんたちだった。


 外遊びは朝日姉ちゃんと。勉強は真昼姉ちゃんと。手芸は夕凪姉ちゃんと。ずっと相手をしてくれて、やっていけないこととか家事も半分以上は姉ちゃんたちに教わった。お父さんとお母さんがボクたちを大切に思ってくれていることは知っていたけど、それでも寂しい日には姉ちゃんたちが傍にいてくれた。


 だから反抗する気にならない、そう言えば良い話なんだろうけど。べつにそういうことではない。その日々の中で、どう足掻いても姉ちゃんたちには敵わないと思い知っただけの話だ。腕力では朝日姉ちゃんに勝てないし、口喧嘩をしようものなら誰にも勝てない。それなら争い自体を放棄して笑っていたい、そう思っているだけ。まだまだ姉ちゃんたちに甘えていたい気持ちもあるしね。



「それで? 聖夜が最近仲良くしてる子たちって、どんな子たちなの?」



 急に朝日姉ちゃんに聞かれてむせ返る。後ろを向いて何度か咳を繰り返して、ようやく喉に突っかかったものが取れた。



「何、急に」


「いや、星ちゃんとか月ちゃんのことはすぐに話してくれたけど、その子たちのことは名前も出さないからさ。気になって」



 そう言われると確かに、2人との会話で友達っぽいものを選んで話していたときも名前を出した記憶はない。話さないと逆に変かな、と思って口を開いた瞬間、クラッシック音楽が家中に鳴り響いた。



「はーい」



 誰かがインターホンを鳴らしたことは分かったからとりあえず朝日姉ちゃんが返事をしたけど、みんな手が汚れていて玄関にすぐには向かえない。



「誰だろう。達哉かな」


「達哉兄ちゃんなら勝手に入ってくるでしょ」


「ボク行ってくるよ」



 朝日姉ちゃんと夕凪姉ちゃんが餃子を持ったままわたわたしている間に手を洗って玄関に向かう。覗き穴から向こうを見ると、スーツ姿の達哉兄ちゃんが寒そうに立っていた。慌てて鍵を開けて招き入れると、達哉兄ちゃんは震える手でボクに抱き着いてきた。



「聖夜くんだ。温かい」


「達哉兄ちゃん、ごめんね。鍵かけちゃったのすっかり忘れてた。早く部屋に行こ」



 後ろから抱き着いてくる達哉兄ちゃんを半ば引き摺りながらリビングに入ると、朝日姉ちゃんの鋭い視線が飛んできて達哉兄ちゃんに刺さった。



「達哉、なんで聖夜に抱き着いてんの!」


「朝日ただいま。真昼ちゃんと夕凪ちゃんも久しぶりだね。いやぁ、外寒くって。ドアが開いた瞬間に天使が現れたからそのままくっついてきた」



 ふわふわした話しぶりの達哉兄ちゃんに姉ちゃんたちが呆れたように笑っている間に、ボクは達哉兄ちゃんを背負ったままストーブをつけようとしてさっき作っていたものを思い出した。ストーブをつけたらチョコを始めとしたゲテモノたちが溶ける。



「達哉兄ちゃん、これ使って」



 ソファーに置きっぱなしになっていたボクのひざ掛けを達哉兄ちゃんにぐるっと巻き付けると、達哉兄ちゃんはぬくぬくとその中に潜り込んだ。猫みたい。



「聖夜、それは置いておいて、あとちょっとだから作っちゃお」



 自分の旦那をそれ呼ばわりした朝日姉ちゃんに呼ばれてテーブルに戻ると、ボクもまた餃子を作り始めた。ちょっとしたいたずら心で残っていたチョコレートとマシュマロ、太った唐辛子をいれて皮の口を閉じた。



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