第26話 傍にいて欲しい

side吉良聖夜



 月曜日の朝。家を出る直前にスマホが鳴って恐る恐るPINEを確認した。



『いってきます』



 粋先輩から届いたメッセージを見て落ち込んで、駅に粋先輩がいなくて落ち込んだ。いつも通りコーヒーショップの前の石壁に寄りかかっているんじゃないかと期待したんだけど、やっぱりいなかった。



「聖夜、大丈夫か?」


「へ? あ、うん! 大丈夫だいじょう……」


「ぶ、じゃねえな?」



 ポンッと頭の上に手を置かれてハッとした。せっかく鬼頭くんと過ごせる時間なのに。何やってるんだろう。


 今日はお昼ご飯を一緒に食べる日ではなかったけど、鬼頭くんにどうしてもと言われて中庭までやってきた。お日様の下で食べるのは暖かくて案外気持ちが良いけど、どこか寂しい。



「今頃会長も向こうでお昼ご飯食べてるみたいだな」



 ほら、と見せられた写真には粋先輩がお友達と笑って写っていた。粋先輩が金沢に修学旅行に行ってから今日までの4日間、グループPINEの方にいろいろと写真が送られてきているみたいだけど、ボクは見ることができていなかった。見たいし、返信もしたい。粋先輩もそれを望んでいることは分かっているけど、それができない。



「楽しそう、だね」


「そうだな。あ、そうだ。できるなら会長からのPINEに返信してやってくれ。聖夜から返信がないって俺の方に連絡がきて、4日間ずっとうるさいんだよ」


「ごめん」



 思わず俯くと、鬼頭くんの手がボクの顎に触れてグイッと持ち上げられた。顔が近い、近すぎる。見開いてしまった目に映る鬼頭くんの表情はいつも通りまっすぐだけど、少し寂しそうにも見える。



「謝って欲しいわけじゃねぇよ。ただ、聖夜が寂しいんだったら会長も寂しいってことは忘れんなよ」


「うん、分かった」


「よし。まあ、明日にはこっちに帰ってくるらしいからな。もうすぐだ」



 手を離してもらえたと思ったら、頭に伸びてきた手がまた柔らかくぽふぽふと頭を撫でてくれた。勝手に顔が熱くなるのが止められない。


 鬼頭くんの言いたいことは分かってる。でもその理論で言うなら余計に連絡はできない。それに、明日帰ってきても次に会えるのは月曜日だ。



「聖夜」


「どうしたの?」



 呼ばれて見上げると鬼頭くんはムッと拗ねたような顔をしていた。子どもっぽくて可愛らしいその顔を見ると、まだ多くの人は知らない表情を独占できている事実に嬉しくなる。


 目が合った瞬間にズイッと顔を寄せられて、反射的に身体を逸らそうとしたのに頭を抑えられて逃げられない。



「鬼頭くん、ここ、外!」


「知ってる。てかそれだよそれ」


「それ?」



 なんの話か分からなくて眉を顰める。



「怒った?」



 心配そうに眉を下げて顔を覗き込んで来るけど、そんな顔になったのは鬼頭くんのせいだと思う。



「頭抑えられてるからほかの表現のしようがなかっただけ」


「え、あ、悪い」



 パッと手を離した鬼頭くんはバツが悪そうに狼狽えながらボクから1人分のスペースを空けて座り直した。責めたくて言ったわけではなかったから、慌てて首を振って離れてしまった腕を掴んだ。



「ごめん。ねえ、離れないで?」


「え、あ。ったく」



 何故かため息を吐かれて今度こそ首を傾げると、鬼頭くんは困ったように眉を下げて笑った。地面に手をついて少しだけこっちに戻っては来たけど、半人分空いたスペースには違和感がある。



「あんまり近づかないように気を付けるな?」


「どうして?」


「もっと近づきたくなるから、ね?」



 いたずらっぽい笑顔を浮かべながら言われるとやけに緊張するのは仕方のないことだと思う。ボクの恋人は無駄に色気たっぷりでかっこよすぎるから困る。



「さっきぐらいなら、近づいてくれてもいいのに」


「拗ねんなよ」



 穏やかに笑いながらグイッと頬を摘まれて引っ張られる。こんなときでもいつもより距離があるのはなんとなく寂しい。粋先輩がいないのに、鬼頭くんとも距離が開いてしまっているのは不安になる。


 最近はずっと2人がそばにいてくれた。人生の中で言ったらほんの一瞬の出来事でしかないはずなのにもう1人でいることが怖い。鬼頭くんが離れていくなら、と思って自分から半人分近づくと、鬼頭くんは視線を逸らして離れていった。



「ごめんな。そんな顔すんなよ」


「だって」



 どんな顔をしているかは分からないけど、泣いてしまいそうではある。どうしようもない感情を抑え込むことは難しくて、迷惑を掛けると分かっているけど止められない。頬に冷たいものが伝う感触がして慌てて拭おうとした手を鬼頭くんに遮られて、その手がボクの頬に触れた。涙は親指でグイッと拭われて視線を上げると、鬼頭くんは困った顔をしていた。



「ごめん、泣かせて。不安なことは分かってる。でも、今俺が暴走したら誰も止められないからってことだから。それは分かって欲しい」


「分かってる、分かってたんだよ。でもね、でも……」



 上手く言葉にできずにじっと鬼頭くんを見つめると、鬼頭くんはボクの腕を引いてその力強い腕を背中に回してくれた。その胸に身体を預けると、鬼頭くんの手がトントンと優しく叩いてくれる。



「武蔵くん、甘えてばっかでごめんね」


「なんだよ急に……って、今名前!」



 バッと身体が離されて視線が合う。武蔵くんの顔はどんどん赤くなって、手で隠されてしまった。



「武蔵くん?」



 ちょっと近づいてみると、おでこを押されて離されてしまった。口をムニュムニュと動かしているのが可愛いからもっと近くで見たかったんだけどな。



「あんま近づくなっての。てか、何で急に名前を?」


「いや、だった?」


「いやじゃないけど、いろいろな。慣れるまでドキドキしそうだな」



 頬を掻きながら笑う武蔵くんは嬉しそうで、それを見ていたらボクまでドキドキしてきた。心の距離だけでも近づきたいと思ってそうしたのに、ドギマギしてしまう。



「ごめん、ボクもドキドキしてる」


「そっか。嬉しいよ」


「え?」



 思ってもいなかった言葉に聞き返すと、武蔵くんは決まりが悪そうに視線を逸らした。やってしまった、と言わんばかりに眉を下げているのが可愛くて少し近づくと、武蔵くんは咳払いして頭を掻いた。



「あー、いや、さっきさ、ちゃんと言えなかったけど、改めて名前で呼んで欲しいって言おうとしてたんだよ」



 そう言えば、さっき何かを言いかけたみたいだったけど、話の筋が逸れてしまった気もする。



「会長は名前で呼んでるのに、俺だけ苗字なのはちょっと妬けるし。それに、今週はずっと聖夜が離れている会長のことばっかり考えてるのも本当はちょっとむかついてたし。隣にいるのは俺なのにとか、ダサいことずっと考えてた。ごめん」


「いや、それはむしろボクが悪いよ。ごめん」



 ボクが寂しいと粋先輩も寂しいって武蔵くんは言ってたけど、それは武蔵くんも寂しかったから言えたことなんじゃないかっていう気がしてきた。嬉しい気持ちではないけど似ている気持ちを同時に感じていたことが嬉しくて、ついつい口元が緩んでしまう。



「キモく、ないのか?」


「全然。逆に嬉しいかも。武蔵くんは本当にボクのことを大切に思ってくれてるんだって伝わってくるから」



 笑いかけると、武蔵くんはホッとしたようでくしゃりと笑い返してくれた。その顔が大好きでボクもホッとする。武蔵くんが隣にいてくれて本当に良かった。



「粋先輩がいなくて寂しくて仕方ないけど、武蔵くんが笑ってるのを見たら安心できる。ありがとう」


「おう、それならずっと笑っててやるからな」


「うん」



 照れ臭そうにしながらも笑っていてくれる。安心してスマホを開いた。PINEの通知が1000件を超えているのを見て軽く引いたけど、ちょっと嬉しく思っている自分がいることも確かだ。



「会長ヤバいな」


「ふふっ。ね?」



 ゆっくりタップしてトークを開くと、月曜日から大量のメッセージが届いていた。1つ1つ読んでいくと、楽しんでいることや状況報告がほとんどを占めている中でたまに『寂しい』、『会いたい』なんて言葉が混ざっていた。1番下までスクロールすると、ちょうど今届いたメッセージがあった。



『やっと届いた。大好きだよ』



 ずっと我慢していたのに泣きたくなって、隣で画面を覗き込んでいた武蔵くんの手を握った。握り返された体温に安心してキーボードに指を滑らせる。



『ボクも大好きです。会いたいです』



 素直な気持ちを綴って送信すると、武蔵くんは黙って頭を撫でてくれた。よくやった、と言ってもらえている気がして緩んだ頬を手で隠しながらスマホをポケットにしまう。



「今日の夜、電話してみたら?」


「うん。そうしよう。3人で話したい」



 武蔵くんは一瞬目を見開いたけど、頷いてくしゃりと笑いかけてくれた。



「PINE入れとく?」


「お願い」



 武蔵くんが隣に置いてあったスマホを片手で操作している隣で、今日の夜何を話そうかと胸を躍らせた。



「楽しみだな」


「そうだな」



 そっと肩を抱き寄せてくれたその肩に身を預けながら、武蔵くんの大きな頼もしい手に触れる。


 きっと声を聞いたら泣いてしまう。もっと会いたくなってしまう。それでも少しでいいから、あの柔らかい声が聞きたい。そばに感じていたい。



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