第12話 それぞれの決意

side鬼頭武蔵



 聖夜の着替えをギリギリ耐え抜きながら手伝い終わると、俺と会長はようやく聖夜を直視することができた。当の本人はイマイチ分かっていないのか、不思議そうな顔で俺と会長の顔を交互に見ていた。


 純粋無垢という言葉が似合いそうな聖夜を自分の色に染められたならばどれだけ幸せか。まだ付き合ってもいないのに、そんなことを考えてニヤけそうになる。



「着替え、手伝ってくれてありがとうございました」



 俺だけではなくて、それぞれが思考中だったのか続いていた沈黙。それを破った聖夜は声が震えるほど緊張していて、顔も明らかに強張っている。不安を感じながらもベットの端に腰かけて、聖夜の固くなって縮こまってしまった肩をそっと擦った。



「ふっ、くっ……っ」



 俺の行動が引き金になってしまったのか、聖夜は堪えきれなくなったように肩を震わせて泣き出した。その肩を擦り続けるしかできない俺と、反対側に腰かけて肩を抱き寄せた会長。3人並んでいても何か話すわけでもない。ただそれぞれが自分の中に燻っていた不安と期待と向き合って、お互いに伝えるべきか、どう伝えるべきか、それを考えているんだろうということが不思議なくらいはっきりと感じられる時間だった。


 聖夜の涙が落ち着いたころ、ふうっと大きく息を吐いた聖夜は降ろしていた足を抱えるように座り直した。



「あの、昨日の告白の、返事なんですけど」



 絞り出すような震える声に、俺と会長が唾を飲む音が低く響いた。



「ごめん、なさい」



 頭を下げた聖夜から零れ落ちた雫がシーツに染みを作る。


 何がごめんなさいなのか、もしも俺が考えつく最悪の意味だとしたら何を考えてその結論に至ったのか。聞きたいことはたくさんあるのに、口を開いても喉に声が詰まって出てこない。


 聖夜の肩から滑り落ちた手のひらを見つめたまま呆然としている俺の前で、肩を震わせて小さく嗚咽している聖夜。泣きたいのは俺の、俺たちの方だと思ってしまう自分の中の小さな俺を握り潰したけど、掛けられる言葉もない。


 突然バンッとドアが開けられて、シャッとカーテンも勢いよく開けられる音がした。時間が止まったように動けなかった俺は、その音でようやく顔を上げた。



「ちょっと、セイと話してもいいですか?」



 そこに凛々しく立っていた周さんと柊さん。その後ろで美和子が俺と会長に向かって手招きをしていた。



「親友同士の話し合いの間はこっちでレディの相手をしなさい」



 魂が抜けたような顔をしている会長が美和子の方に行くその後ろについていくと、入れ替わりで聖夜に近づいた周さんと柊さんが中からカーテンを閉めたから、俺はドアをしっかり閉めた。



「美和子」


「あら。丸山先生じゃなくていいのかしら?」


「あー、会長も知ってるし、今だけ許して」


「はいはい。まだまだ子どもねぇ」



 放心状態と言えばいいのか、何も考える気になれずに美和子の前に置かれた丸椅子に腰を下ろした俺の頭を美和子が宥めるように撫でてくれた。会長はどんな様子かと窺うと、診察用の簡易ベットに腰かけて、後ろに手をついてふうっと長く息を漏らした。



「北条くんは恋も経験しまくってるような大人びたところがあると思っていたんだけど、そんなこともなかったのかしらね?」



 美和子の声に、漫画で見るようなブルーな表情で俯いていた会長がこちらに顔を向けて力なく微笑んだ。



「恋の経験なんて、ないですよ」


「そうなの?」


「はい。何人もお付き合いをしてきたことは認めますけど、向こうから言い寄られて付き合うことばかりで。振られても未練を全く感じなかったどころか、その直後に恋人を作ったりしてましたよ。そんなことを繰り返しても大病院の医院長の次男っていう肩書き目当てに言い寄ってくる人は後を絶たなかったですし。僕自身、親への反抗心が確かにあって、親の評判を落とせるならそれでいいと思ってました」



 突然の告白に、俺は驚くことしかできなかった。人気者だとは思っていたけどそんなことをするような人には見えなかったし、噂の1つも聞いたことがない。病院長の息子というのも、噂があっても本人は認めていないと話している声を聞いたことがある。今の会長にとってはあまり知られたくないことだったんじゃないだろうか。


 何も言えない俺とは裏腹に、美和子は受け止めるように頷いた。



「何か、心の変化があったのね」


「はい。僕には真面目を具現化したような兄がいるんですけど、その兄にある日突然胸ぐらを掴まれたんですよ。兄の当時の彼女さんが僕に騙されたとか襲われたとか、あることないこと兄に吹き込んだらしくて。その彼女の妹さんが同じ学校の先輩だったせいでその話は学校でも広まったんです。それでも僕の周りから離れる人は少なかったですけど、日ごろの行いのせいで嘘だと信じてくれる人は誰もいませんでした」



 言葉を切った会長は目を伏せた。夕陽に照らされたその姿は儚くも美しい。



「そんなときに聞いてしまったんです。あんな次男でも利用価値はあるんだから、1番馬鹿で取り入りやすいんだからって。僕は結局病院長の次男としか見てもらえていなかったし、自分でもその立ち位置を利用していました。弟ほど頭が良いわけでもないし、兄ほど人気があるわけでもない。不良品な次男という立場でも、家での僕の立場を知らない人は周りに集まって煽ててくれましたから。でもそれでは僕は一生親の手の中から逃げられなくて、僕自身はどこにもいなくて。自分の価値を探すために知り合いが誰も来ないここを人知れず受験して、ギリギリ合格して入学しました。それからは人付き合いを学んで少しずづ信頼を得て、今の立ち位置に落ち着きました」



 話終わって深く息を吐いた会長は俺に目を向けると自嘲するような笑みを浮かべた。



「僕はさっき、武蔵くんのことを羨ましいと言ったでしょ? 最初から武蔵くんみたいな優しい人間でありたかったって、本気で思っているんだよ」



 潤んだ目に夕陽が差し込んで輝くと、会長はそっと目元を指で拭った。諦めの色が浮かぶ瞳に微かに混じる悔しさと羨望、それからその奥の奥にある無。



「会長はこれでもう降りるんすか?」


「そうだねぇ。どうしたら良いんだろうね。誰かを追いかけるなんて初めてで、どうしたら良いのか」



 頼りなくへにょりと笑ったその姿に無性にむかつく。ライバルがいなくなる喜びでも失望でもない、自分でも理解ができない苛立ち。



「そっすか」


「武蔵くんは?」


「俺っすか? 当然諦めないっすよ。少なくとも、聖夜がさっきどうして泣いていたのかを聞くまでは。しつこい男は嫌われるとか言うらしいっすけど、聖夜に俺のことを認識してもらってまだ2日っすもん。まだまだ短いっす。友達からになったとしても、1番近くにいて将来的には恋人を目指します」


「そっ、かぁ」



 俺は勉強みたいに手引きがあるものは得意だけど、答えのないものを考えることが苦手だ。きっと何度も間違えて、もしかしたら大切な人を傷つけることになるかもしれない。分かっていても、この気持ちは止められない。これから先、聖夜を守るのも笑わせるのも、泣かせるのだって俺がいい。


 会長が考え込むように手を顎に当てる。聖夜が会長に恋する顔をしていたことは知っている。だから会長が降りてくれれば俺にもチャンスは回ってくる。そうなってもならなくても、会長がどんな判断をしたとしても、俺が聖夜の傍から離れないことはもう決心している。



「いい顔するわね。武蔵がそこまで本気なら応援するわよ」



 ずっと黙っていた美和子は力強く頷いて微笑んだ。俺を応援するということはどういうことか、よく分かっているはずなのに。



「安心しなさい。何せ、うちで1番の異端児と言われるこのあたしが味方なのよ?」


「いいの? やっとおじさんに認めてもらえたって聞いたけど」


「いいのよ。爺さんたちの選挙より、弟同然の従兄弟の方があたしには大事」



 大真面目な顔で言い切ったと思ったら、美和子はパチンッとウインクをした。こういう独特な人だけど、俺の前を歩いている人だということは実際に間近に見てきたから知っている。



「あの、選挙って?」



 視線を俺と美和子の間で彷徨わせる会長。考えていたはずなのに、気を散らせてしまって申し訳ない。



「あたしと武蔵の爺さんは県議会議員で、あたしの親父は市議会議員。世間体が何より大事な人たちなのよ」


「俺は母親が嫁入りしたのであまり厳しくはないですけど、年末年始とかに会ったときに下手なことを言うとグチグチ言われるんすよ」


「あたしなんてこんなでしょ? 女装ばっかりしてるものだから、高校のときに勘当されちゃってね。まぁ、それがあったからこの仕事をしているようなものなんだけど」



 一瞬珍しく疲れた顔を見せた美和子は、今は高校の近くのアパートで1人暮らしをしているけど、また選挙が近くなってきたから監視の目が強くなっているんだと思う。俺の母さんも爺さんとおじさんが突然家に来るかもしれないから、最近は気疲れしている。



「武蔵くんと丸山先生も、大変なんですね」


「まぁね。ちなみに、あたしは今度本格的に縁を切ってもらうつもり」


「どうして?」



 俺も初めて聞く話に目を見開く。ふふっと幸せそうに笑った美和子はスマホを取り出して1枚の写真を見せてくれた。会長も俺の方に静かに歩いて来ると、一緒になって写真を覗き込んだ。そこにはふわふわとした服と笑顔が印象的な可愛らしい女性の隣りで見たことがないくらい幸せそうに微笑む美和子が写っていた。



「彼女は片瀬伊織さん。あたしのカフェ友達だったんだけど、お付き合いすることになってね。今度親に会いたいって言われたときに思ったの、彼女には武蔵のところのおじさんとおばさんみたいな気苦労を掛けたくないなって。お互いの仕事もあるし県外には逃げられないし、そう考えると縁を切った方がいい。どうせ高校のときに向こうから切ろうとした人たちだし、大丈夫だと思いたいけどねぇ」



 遠い目をした美和子の顔には疲れが浮かんでいたけど、画面を落とす前にもう1度写真を見た瞬間に固い決意を決めた顔になった。これが守りたい人がいるということなのかな、と急に美和子が大人に見えた。


 ごくりと唾を飲む音がして隣に視線をやると、会長が美和子をじっと見つめていた。夕陽に照らされても俺とは違って黒光りする髪と漆黒の瞳。さっきまでの頼りなさは消えた、俺から見てもかっこいい会長だった。



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